僕の狂気
僕の名前はひでお。英雄と書いてひでお。

うん、君の予想通り、カンペキな名前負けだ。もちろん友達は英雄なんて呼んでくれない。やせて分厚いメガネをかけた僕のあだ名は「ハカセ」だ。

もっとも車のスペックやカタログデータの薀蓄(うんちく)が多いのも、このあだ名のもうひとつの由来なんだけど。

僕は臨床検査技師。病院に勤め血液検査なんかの仕事をしてる。基本的に人付き合いが苦手で、地道な研究をこつこつやるのが好きだ。もちろんひとりでね。

そうは言っても、好き勝手な研究なんかさせてもらえるわけもなく、今のところ与えられた仕事をこなすだけで精一杯なんだけど。

そんな僕のストレス解消は、週末のドライヴ。

いや、勘違いしないで欲しいな。僕に彼女なんかいるわけないじゃないか。僕の彼女は車だけさ。車に乗って、夜の街で他の車をぶっちぎるのが、僕の唯一の趣味なんだ。

土曜日。仕事を終えた僕は、「ハカセ」からドライバーになる。腹の底に響くエンジン音を聞くと、普段の気弱な僕は姿を消して、夜のストリートを席巻する、最強の走り屋が起きて来るんだ。

愛機「ダッジヴァイパー」のハンドルを握った瞬間、僕に怖いものはなくなる。もともとトラック用だったエンジンを軽い車体に積んだこのアメリカンホットロッドは、400馬力のハイパワーを誇る。

V10の極太エグゾーストを響かせて相手をぶっちぎるときの快感と言ったら……

その日はなかなか獲物にめぐり合えなかった。

ヴァイパーの重低音が聞こえるやいなや、中途半端なヤツラは、みんな隠れてしまう。フルスモークのキレた走りをするヴァイパーは、ここらじゃちょっと有名なんだ。

仕方ないから軽く流して帰ろうとした僕の後ろを、突然、ハイビームが射す。バックミラーを見返すと……

単車だ。

僕は単車とはヤらない。単車は車体が軽いからスタートダッシュは速いんだけど、いかんせんコーナリングスピードが遅いんだよ。

二本のタイヤ、それも断面の丸いタイヤの接地面積と、四本の極太タイヤの接地面積の差。それがそのままコーナリングスピードに反映するんだ。

F1マシンとGPマシンの鈴鹿サーキットのファステストラップを比べれば、応えはおのずと明らかだろう?

しかし後ろの単車は、しつこくハイビームを浴びせてくる。鬱陶しいので引き離そうと、僕はアクセルを開けた。エンジンが吼え、スピードメータの針が跳ね上がる。

と。

バルルルルッ!

単車が僕の脇を抜けた。

信じられない!

僕は自分の目を疑った。いや、スピード自体はまだ200キロにもならないくらいだったんだから、抜かれること自体は、さほど不思議ではない。

問題は抜いていったバイクだ。

これが最新のスーパースポーツバイクなら、僕だって驚きはしない。ところが僕を抜いていったのは、それらの怪物とは正反対のマシンだったのだ。

ハーレーダビッドソン、FXDL。ローライダーだ。

とてもじゃないが速い単車とは言いがたい。冗談じゃない!こんな単車に抜かれるわけには行かないよ。僕は慌ててアクセルをベタ踏みする。

しかしローライダーは驚くべき加速を見せて、僕のヴァイパーに後塵を浴びせた。おかしい。ただのローライダーがこんなに速いわけはないぞ。なんでだ?

不思議に思いながらアクセルを踏み込み、他の車を右に左に避けながらローライダーを観察する。

エンジンだけが嫌に綺麗なところを見ると、どうやらでかいのに乗せ変えているようだ。最近はハーレー用の2000ccなんてふざけたエンジンが売っているらしいからな。それならこの加速も納得がいく。

しかもこの単車乗りは、低いステップから火花を散らせて、驚くべきスピードで駆け抜けてゆくのだ。バンク角が足りない分は、後輪を滑らせて曲げている。キチガイ沙汰だ。

負けられない。

ストリートで速いというのは、他に何のとりえもない僕の、唯一のよりどころなんだ。

僕はローライダーの乗り手に殺意さえ感じながら、ひたすらに後を追ってゆく。幾ら馬鹿でかいエンジンを積んだハーレーでも、こちらもモンスターマシン、ダッジヴァイパーだ。徐々に奴を追い詰めてゆく。

気付いたら、僕の唇はゆがんでいた。笑っているのか?怒っているのか?自分でもよくわからない。

僕たちは抜きつ抜かれつしながら、一般道をキチガイじみた速度で走りつづけた。赤信号は減速して様子をうかがいつつ無視し、車が多ければ反対車線を走り、ひたすらにバトルし続ける。

たまたま走っていたパトカーに、何度かサイレンを鳴らされたが、それでも僕は停まらなかった。ハーレーのほうにも動揺した気配はない。きっと慣れっこなんだろう。

くそっ!単車ごときに、こんな速い奴がいるとは思わなかった。

冗談じゃない!僕は負けるわけには行かないんだ!僕がいちばん速いんダぼくこそこのストリートでさいきょうの、クソ、マケルモノカ……

見通しのいい直線に入った。

ただのベタ踏み最高速なら、絶対にこっちに分がある。僕のヴァイパーはハーレーの後ろにぴたりとつけて、じりじりと車間を詰めてゆく。ミラーに映った男の顔は、ヘルメット越しであるためによく見えない。

クソ!なめられてたまるか!

こつん。

ヴァイパーのフロントが、ローライダーのテールにぶつかった。今度は明らかに動揺してやがる。へへへ、いい気味だ。おまえごときが僕の前を走ろうなんて、100年早いんだよ。死ね!

こつん、こつん、ゴツン!

バカが!調子に乗りやがって!くそったれ!死んじまえ!ほら、こけろ!ほら、死ねよ!

ゴツン!ガツン!ガン、ガン、ガン!

何度も何度もぶつけてやると、ついにハーレーはバランスを崩した。それでも転ばずに何とか立て直すと、横向きに道をふさいで停まる。全身革ずくめの男は、ハーレーを降りてこちらに歩いてくる。

車を停めて、男が降りてくるのを見た瞬間、僕は我に返り、パニックになっていた。同時に、自分がいかに恐ろしいことをしようとしていたのかに気付く。

僕はこいつを殺そうとしていたのだ。

今まで会ったこともない、僕の人生に全然なんの関係もない男を、僕は殺そうとしていたのだ。

男がヴァイパーのサイドガラスをノックした。開けられない。開けたら男は僕を殺すだろう。僕が男を殺そうとしたように。

手のひらが真っ白になるほど強くハンドルを握ったまま、僕はぶるぶると震えていた。男は怒ってヴァイパーのドアを蹴っ飛ばす。

怖い、怖い、怖いよ。

半分無意識に、アクセルを踏んだ。ヴァイパーはハーレーに向かってゆっくりと進む。

男が何事か叫びながら、ますます強く僕のヴァイパーを蹴飛ばす。僕は男を見ないようにして固まったまま、ゆっくりゆっくりハーレーを押し倒した。

空いた隙間にヴァイパーをねじ込んで、そのままアクセルを全開にすると、僕は一目散に逃げ出す。

遠くにサイレンが聞こえていた。

どこをどう走ったか覚えていない。

気付いたら僕は警察に取り囲まれていた。観念した僕は、せめて堂々と出てゆこうと思ったのだけれど、膝が震えて満足に立つことさえ出来ない。ようやくドアを開けたところで、警官に取り押さえられた。

警官隊の向こうには、野次馬がたくさんこちらを見ている。

と。

ひとりの警官に促されて、ハーレーの男がやってきた。明らかに、烈火のごとく怒っている。僕は下を向いたまま、男とは目を合わせないでいた。

「てめえ、ふざけやがって!殺す気か!なんであんな事しやがった!」

なんでだろう?少し考えてから、僕は消え入りそうな声でつぶやく。

「負けたくなかったんだ。負けたく……」

僕の両眼から涙が溢れ出す。その涙が、負けたからなのか、警察につかまって人生が台無しになったからなのかは、僕自身にもわからない。

僕は立ったまま、ぽろぽろ涙を流しつづけた。

「くくく……あっはっはっはっは!」

ハーレーの男が、突然笑い出した。

「何かと思えば、負けたくなかった?はははははは!なんだ、そう言うことか!はははは!おめー、おめー……本物のバカだったんだんか」

きょとんとする僕に向かって、男は底抜けに明るい声で言った。

「おもしれー!おまえ、本気で面白れぇよ」

「……」

「なあ……」

顔を上げた僕に、男が笑顔で言った。

「また、走ろうな?」

男はそれからまた、思い出したように大声で笑い出した。

結局事件は、接触事故として示談が成立した。

僕はたいしたおとがめもなく、二日後の月曜日からはいつもどおり働き始めた。

仕事が終わるとヴァイパーに乗ってあの男に会いに行く。男は仲間を紹介してくれ、そいつらとも一緒に走るようになった。

バイク、クルマ、種類も何もかもごちゃ混ぜだった。僕たちに共通しているのはただひとつ。

誰よりも速く走りたい。それだけだ。

仲間には女の子もいて、僕はそのうちのひとりと仲良くなった。彼女もヴァイパーに乗っているんだ。僕はたくさんの仲間(でありライヴァル)と可愛い彼女を一度に手に入れた。最高だ。

仲間内で、僕はついに「ハカセ」と言うあだ名から卒業した。

「ハイド」

それが今の僕の呼び名だ。車に乗ると性格が一変する僕の話を聞いた仲間のひとりが、「ジキル博士とハイド氏」からとって付けてくれたんだ。

ローライダーとの一件を知らない僕の彼女は、英雄のHIDEを英語読みして「ハイド」になったって話を、未だに信じているけどね。

もっとも今では、車に乗ってもそれほど性格が変わるわけじゃない。

あの時、自分に感じた恐怖は忘れようがないから。

ハイパワーの車に乗る。

それは決して自分が強くなったわけでも、偉くなったわけでもないんだ。クルマと言う囲まれた空間にいることで、なんだか自分が強くなったような錯覚に陥ってるだけなんだ。

クルマ、バイク、それらはストレス解消の道具でも、自分を大きく見せる鎧でもない。たいていの人には単なる交通手段であり、そして僕らみたいな特殊な人間にとっては、より楽しく生きるためのもの。

どちらにしても、ただの道具なんだ。

そのことを忘れて勘違いすると、あの時の僕みたいにおかしなことになってしまうんだよ。人間が主、クルマやバイクはその後ろにあるべきものなんだ。

そう言うわけで僕は、今では仲間内でいちばんクレバー(冷静)な走りで知られてるんだよ?

いや、ホント。ホントだってば。疑い深いひとだなぁ、君も。

なんなら、勝負するかい?

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