| 妹よ(マーマレードスプーンシリーズ) |
本作は拙作「マーマレードスプーンシリーズ」の第8作目になります。無論、単独でも楽しんでいただけるよう書いたつもりですが、前作までをお読みいただいた方が、より楽しめることは間違いないので、できればご一読を。
「ああ、身体が固まっちゃった。ずいぶんと遠いんだなぁ、やっぱり」 羽田に着くなり、開口一番、ニナ・ハルトヴィックは、そうぼやいた。 それから、タラップを降りると、荷物を受け取るために、指定された場所へ向かう。手荷物というには、少しばかり大きい、彼女の荷物。 重量300キロを軽く超える、ホンダオブアメリカ製、1800ccVツインのクルーザバイク、VTXーRSレトロを受け取るためである。 空港の表示には、たいてい英語が書き添えてあるから、初めての彼女も、それほど迷うことなく、無事、バイクを受け取ることができた。 マシンにまたがった彼女は、ショットのライダースのファスナーを上げ、ヘルメットをかぶると、こぼれた長い金髪をなびかせながら、きゅるきゅるとリアタイヤを鳴かせつつ、豪快に走り出す。 首都高速の渋滞に辟易しつつ、ニナは適当に走っていた。 東京の方へ行けば、都心環状線に出るはずだ。そこに、目指す男がいるはずなのである。しかし、どこをどう走ったのか、気づけば彼女は、首都高速を降りて、国道4号線に出ていた。 こりゃどうも道を間違えたな、と思った彼女は、Uターンして引き返す。 今度は道を間違えないように、左側をゆっくり走っていたのだが、左を走ること自体、彼女にはものすごく違和感があったので、どうも道案内の看板に集中できない。 本当なら、そのまま走っていれば、首都高速上野インターから、素直に乗れたはずなのだが、一番左を走っているうちに、いつの間にか高速に乗りはぐってしまった。 すると、その高速道路の下に、突然、驚くほどたくさんのバイクが停まっているのが見えてきた。よく見れば、右も左も、バイクショップばかりではないか。 このまま行っても、どこにつくのか見当もつかないため、彼女はとりあえず、道端に列を成して停まっているバイクの横に、自分のVTXを停めた。 バイクを降り、ヘルメットを取ると、排気ガスとほこりでくしゃくしゃになった金髪が、ぞろっとこぼれ落ちる。TVCMのように、さらっとさわやかに風になびくなんてコトは、実際にはなかなか起こらないのだ。 「あー、もう、いや」 長い金髪を引っ掻き回して、ぼさぼさの頭のまま、彼女は辺りを見回す。バイクがたくさんある割には、そこにいる若者たちは、一様にみな、おしゃれな感じであった。 少なくとも、故郷の友達、バッカス・バックやブルーノ・アデナウアのような、むさくるしい男たちはいないようだ。みなひどく若く、中には幼いとさえいえそうなものも多い。 「ああ、日本人は若く見えるって言ってたっけ」 日本に詳しい友人に教わったことを、いまさらながら思い出して納得すると、彼女は目に付いた大きな建物へ向かう。どうやら、駅のようだ。ここならきっと、ポリスがいて、都心環状線の位置を教えてくれるに違いない。 階段を上がって空中回廊のような場所へ出ると、そのまま上野駅の中に入ってゆく。すぐ左手に、ポリスボックスがあった。 ニナは、ドイツ語で警官に話しかける。 当直の警官が、ドイツ語をほとんどしゃべれなかったのは、この国に来てから、いくつめの不幸だったろう。もっとも彼がドイツ語に堪能だったとしても、首都高速の入り組んだ道を説明するのは、並大抵の苦労ではなかっただろうが。 「ドイツ人?」 駅から出てきた女が、そう、声をかけてくる。 「どうしたの? 私でよかったら、通訳しましょうか? ドイツ語はそんなに得意じゃないんだけれど」 渡りに船とはこのことだ。ニナは大きくうなずいて、彼女に通訳を頼む。 「トシンカンジョウセンってところに行きたいのよ」 すると女は、一瞬目を丸くしてから、こぼれるように笑った。 「ふふふ、そりゃあ、彼にドイツ語ができたとしても、なかなか難儀なことね」 「そうなの? そんなに複雑な道なの?」 「それもあるけど、都心環状線って言うのは、ひとつの場所の名前じゃなくて、東京の中心を囲むように走っている、高速道路の総称なのよ」 「あぁ、なるほど。それじゃあ、聞かれても困るわね」 する と、微笑んでいた女が、いたずらっぽい目つきで言った。 「よかったら、私が案内しましょうか? どこに行きたいのかは知らないけど、とりあえず、環状線と名のつく場所までは、案内できるわ」 「本当? ぜひ、お願いするわ」 そういってから、ニナは、自己紹介がまだなことに気づいた。 「私は、ニナ。ニナ・ハルトヴィック」 「私は、リカ。円城寺里佳(えんじょうじりか)って言うの。ニナは環状線に、何しに行くの? 差し支えなかったら、教えてくれない?」 「兄を探しに行くのよ。兄がその場所にいるって、ある人から聞いたものだから」 「ふうん、でも、環状線にいるなんて、ずいぶんアバウトな教え方だなぁ。もしかして、走り屋だったりしてね」 後半の冗談は、独り言気味に言ったのだが、驚いたことに、ニナは強くうなずいた。 「ええ、たぶん、その手のことをしてると思うわ。兄が単車を降りるなんて、絶対にありえないから」 「そうなの? それじゃあ、私も知ってるかもしれない」 「どういうこと?」 小首をかしげたニナの問いに、里佳は少し恥ずかしそうに答えた。 「私もね、夜な夜な環状線を走ってる、走り屋なのよ」 聞いた瞬間、唖然とし、続いて、ニナは思いっきり爆笑した。 「なんて、すごい偶然なの。日本に来て、日も落ちないうちに、走り屋の、それも女の子を捕まえられるなんて。私の幸運も、なかなか捨てたもんじゃないわね」 笑うニナに、里佳は肩をすくめて見せる。それから思い出したように聞いた。 「でも、私の知ってる限りじゃ、外国人の走り屋なんて、いないはずだけどなぁ。お兄さん、名前はなんていうの?」 ニナは、少し複雑な表情で答える。 「兄と私は、腹違いなのよ。ドイツと日本のハーフなの。だから、彼は日本人っぽく見えると思うわ。名前は、ノブナガ」 今度、唖然とするのは、里佳の番だ。 「ノブナガ? もしかして、あなたの探してるお兄さんって言うのは、村田信長(むらたのぶなが)?」 「ヤー! そうよ。どうしてあなたがその名を?」 「ムラさん……村田信長は、私たちの仲間よ!」 二人は、あまりのことに、あっけに取られたまま、見つめあっていた。
深夜。 いつものパーキングに集まる、マーマレードスプーンの面々。そこに入り込んできたのは二台の単車、ハヤブサとVTXだ。二台はまっすぐみなの集まっている場所まで来ると、轟音を放つエンジンを切った。 市販車世界最速の称号を持つ、GSX1300ハヤブサ。ド低く車高を落とし、ショッキングピンクに塗られたそのハヤブサから、飛び降りるなり、里佳は大騒ぎしながら、ムラに駆け寄って行く。 「ムラさん、ムラさん、ムラさん、ムラさん!」 「バナナの叩き売りじゃねえんだから、人の名前を連呼するな」 ムラはそう軽口をたたくが、ほかのメンツはそれに受ける余裕もない。里佳の後ろのVTXに乗っている人物が、ヘルメットを取ってこちらを見たからだ。 こぼれ落ちる金髪。サファイヤのような青い瞳。パーキングの街灯に浮かび上がる、陶磁器のように真っ白な肌。面々の口をぽかんと開けさせるには充分な衝撃だった。 「里佳、里佳、里佳! だ、誰だ、あれ」 大騒ぎする男たちには目もくれず、里佳はまっすぐにムラの前へ。 「ムラさん、あれ、誰だかわかる?」 ムラはものすごく不機嫌そうな顔で、肩をすくめた。 「わからない訳がないだろう。俺の妹だ」 「なにぃ〜〜〜〜!」 とたんに巻き起こる大絶叫。まさに阿鼻叫喚と言った風に、絶望的な声を上げる、マーマレードスプーンの男たち。しかし、それには一切かまわず、里佳はうれしそうに続けた。 「あのね、すごい偶然だったのよ。ムラさんを探して日本にやってきた彼女が、上野駅で警官に道を聞いててね……」 「なんで、連れてきた?」 「え?」 冷たいムラの声に、里佳は固まってしまう。 マーマレードスプーンの面子の中では、ゆげと並んで最年長のくせに、かなりくだけていて、若い連中ともしょっちゅう飲んだくれたり宴会をやっている、頼りがいのある優しい男。 そんな印象のムラが、これほど厳しい表情をするのはめったにない。 驚きと当惑で、里佳は思わずニナを振り返る。 と。 単車を降りたニナは、ゆっくりとこちらに近づいてきた。 「兄さん。久しぶりね」 「お前も、ずいぶん大人になったな」 兄妹はかなり複雑な表情で、久しぶりの再開を果たした。 「うぉ〜、ムラさんが英語しゃべってる!」 「バカ、ドイツ語だよ、あれ」 周りが騒がしいのも気にならないのか、そこだけ妙に冷たい空気を漂わせながら、兄妹はしばらく黙ったまま、見つめあった。やがて、妹の強い視線に、ムラの方が先に目をそらす。 「やっと見つけたよ。私の彼が、八方手を尽くして、見つけてくれたんだ」 「ああ、知ってるよ。バッカス・バックだっけか? 直接俺を見つけてコンタクトをとってくりゃ、知らぬ存ぜぬで他人のふりをしてやったんだがな。ヤロウ、先にゆげの奴を見つけやがった」 「うん、聞いてる。そのゆげさんが、バッカスや私に、いろいろと便宜を図ってくれたんだ。日本のことも、メールでいろいろ教えてもらった」 「まさか、ゆげのヤロウがドイツ語を話せるとは知らなかったぜ」 ムラが苦笑すると、ニナも微笑んで答える。 「ううん。多分、全然話せないんじゃないかな? 来たメール、変な言葉が多かったから。きっと、日本語で書いたメールを翻訳ソフトで翻訳して、送ってくれたんだよ。いい人だね、 ゆげさんって」 「ゆげが? はは、奴は俺とおんなじ、ただのクズだよ。ただし、最高に気持ちのいいクズだけどな」 「それ、ほめてるんでしょう? 相変わらず、ひねてるんだね」 ニナが苦笑すると、ムラは真剣な顔になった。 「で? おめーは何しに来たんだ? まあ、言わなくても想像はつくが」 「わかるの?」 「親父とお袋が死んだのは、俺のせいだって言いたいんだろう?」 「そう思うの?」 問われてムラは、しばらく黙ったあと、投げやりな口調で答えた。 「さあな。俺の知ったことじゃねえよ」 「ふうん、知ったことじゃないんだ?」 「それで? 俺に何をしてほしいんだ?」 「何をしてくれるの?」 「ドイツ人てのは、質問に質問で返すのか?」 「あなたにだって、その血は流れているでしょうに。私は、本当の気持ちが知りたいだけ。いま、あなたが何を考えてるのか、それに興味があるのよ。昔のことを蒸し返す気はないわ。少し前までは、そんな気持ちも確かにあったけど、私は変わったの」 「人間、そう簡単に変わるもんじゃないと思うが」 「そうね。でも、私は変わった。変えてくれる人に出会えたから。胸の中にわだかまっていたモヤモヤを、ごまかすんじゃなく、きちんと整理させてくれる人に出会えたから」 「バッカス・バックか?」 「うん!」 ニナは、心底うれしそうに、強くうなずいた。 ムラはなんだか少し寂しげな顔をしたあと、不意にヘルメットをかぶり、座った腰の下に手をやって、妹と同じVTX(ただしこちらは国内仕様のCだったが)のキーをまわすと、エンジンをかけざま、白煙を上げて走り去ってしまった。 「ムラさん!」 一部始終を聞いていて、思わず叫んだ里佳の声は、パーキングの喧騒にかき消されてしまう。 終始ドイツ語で交わされていた会話のせいで、事態を把握できない面々に、ニナの了解をとってから、里佳は状況を説明した。 ひと通り話を聞いたみなは、一様に首をかしげる。 なぜ、ムラは行ってしまったんだろう? 「わざわざドイツから来てくれた妹に、冷たいもんだよなぁ」 憤(いきどお)りを隠さずに、ふくれっつらをしたのはノック。ランボルギーニディアブロを駆る、体格のいい男。 もちろん、リョウとジュンも同じく納得いかない表情で、ノックの言葉にうなずいている。二人とも、それぞれの愛機ZX12RとV−MAXをまたいだままなのは、場合によっては、すぐにムラを追いかけるつもりなのだろう。 マーマレードスプーンの三バカと呼ばれる三人らしい、率直な反応だ。 ニナは三バカの言葉を里佳に通訳してもらうと、肩をすくめて苦笑した。その笑顔がまた、たまらなく可愛らしくて、三人はふにゃふにゃのだらしない顔になる。 「でもまあ、ムラさんにだって言い分はあるだろうし、わりと饒舌なあの人が、まったく言い訳しないんだから、僕はむしろ、なにか事情があると思うんですがね」 冷静な意見を述べたのは、ハイド。 ド派手なまっ黄色のダッジヴァイパーを駆り、ハンドルを握るとジキル・ハイドよろしく人格の変わる男だが、こうして普段話す分には、非常に冷静で、理知的な男だ。 この男は、故郷の友、クールアイスに似ているなと思いながら、ニナは、彼の言葉を里佳に通訳してもらい、答えた。 「自分の非を認めているからこそ、何も言えない、っていう風に考えるほうが、自然だと思うけど?」 「いや、それなら、こうして姿を消したりしないよ。何であれ、自分が悪いのなら、その場から逃げ出すような人じゃない。少なくとも、僕が出会ってからのムラさんは、都合が悪いことをあえて背負い込むことはあっても、逃げ出すことは一度もなかったよ」 「ごめんなさい。可能性として、言ってみただけなの。あの人がそういう人でないことは、私もよく知っている。それに、怒りで凝り固まっていたうちは見えなかったけれど、バッカスと付き合って落ちついてからは、私にも彼の気持ちはわかるようになったから」 里佳が通訳し終わると、あからさまに肩を落とす、三バカ。 「ちぇー、彼氏つきかよ」 代表してリョウが悲鳴を上げる。 それは訳さずに、里佳はまじめな顔で言った。 「ムラさんの気持ちがわかるって言うのは?」 「うん。彼にはね、居場所がなかったんじゃないかなって思うの。いいえ、もちろん私の母が冷たかったとか、そういうことではないのよ? むしろ彼女は、ノブナガ兄さんがそういう思いをしないようにって、私より彼の方を可愛がったくらいだから。私が嫉妬するほどに、ね」 「それじゃあ、居場所って言うのは……」 「聞いた話なんだけどね、日本人って言うのは、自分のことよりまず、他人に迷惑をかけないように、他人に恥ずかしくないように、って育てられるって言うでしょう?」 「まあ、最近はそうじゃない家庭のほうが多いみたいだけど、少なくとも私は、そういう風に育てられたわね。実際にどうとかは、聞かないでほしいんだけど」 里佳が少し冗談めかすと、ニナも微笑んで続ける。 「だから彼は、新しく家族になった私や母に、すごく気を使ってくれたのよ。私たちは、それを単純に、彼の好意だと受け止めていたの。でも、本当は違ったのよね」 「ああ」 里佳が納得したようにうなずくと、ニナは、苦笑した。 「やっぱり、日本人にはわかるんだね。バッカスなんて、いくら説明しても、よくわからないって首をかしげていたもの」 「ええ、そうかもしれないわね。日本人は基本的に、感情を激しく表に出すことを、恥と考えるのよ。だから、あなたたちにとって曖昧な態度に見える行為のほとんどは、感情表現を控えた結果だといっていいと思うわ」 「ノーと言えないことも?」 「ええ、それも含めて。腹が立っても、強く怒らない。うれしくても、喜びは控えめに。悲しくても、大げさに泣いたりしない。そのすべては、自己主張より、調和を一に考えるという、私たちの民族性から来てるのよ」 「社会主義みたいね」 「ある意味では、そうなのかもしれない。でも、最近のアメリカ寄りの考え方も否定はしないけれど、私は、日本人のそういうところ、嫌いじゃないわ。アメリカ人が自由の民であることに誇りを持っているのと同じくらい、調和の民であることに、誇りを持っているの」 「調和の民……か」 「この国ではね、家に鍵をかける習慣がなかったのよ。周りの人間を信じ、周りの人間を気遣う。そういう社会を形成していたの。残念ながらその文化は、鍵をかけ、回りを疑うことから始める文化に、取って代わられてしまったけれど」 「里佳、あなたドイツ語は苦手なんていってて、すごい論客じゃない」 いわれて里佳は、自分の暴走に気づき、顔を赤らめる。 「ごめんなさい。関係ない話だったわね」 「ううん、すごく興味深かったし、面白かったわ」 「なあ、里佳。何を話し込んでるんだよ?」 痺れをきらせたノックに言われ、二人の女の子は、思わず顔を見合わせて大笑いしてしまった。 「いけない。脱線してしまったわね。それで、ニナ? お兄さんの、どんな気持ちに気づいたって言うの?」 「うん」 ニナは、優しい笑顔のまま、答える。 「彼はね、寂しかったんだと思う。父は彼にしてみれば、彼の母を裏切って、私の母と結婚した。そして私が生まれた。兄は家族の中で一人だけ、髪も目も真っ黒で、顔つきも日本人っぽかった。家族の誰も、そんなことは気にしてなかったけど、彼だけは、気にしてたんじゃないかと思う」 「そうなのかな。でも、そういえば、こっちに来てもハルトヴィック性は名乗ってないもんね。村田ってのは、お母さんの旧姓なんでしょう?」 「うん。兄さんは、小さなころから、お母さんの国、日本に興味を持ってたんだけど、私の母と父が再婚してからは、余計に日本人を意識してたみたい。まして生まれた妹の私が、金髪に青い目だったから、余計に」 「それで、すねて家出?」 「ううん、違うよ。最初に言ったみたいに、彼は必要以上に、私たちに気を使って、優しくしてくれたの。私たちは、それに甘えて、彼が苦しんでることに気づいてあげられなかったのよ」 「苦しんでる?」 「そう、自分だけが黒髪、黒い目で、家族と違うってコトを気にしてたの。でも、家族って、そんな気を使う間柄じゃないでしょう? 私たちは、普通に家族のつもりで気を使わなかったけど、彼の方は、これ以上ないくらい、気を使っていたのよ」 「それに疲れたのか」 「そうかもしれないけど、私は、違う気がする。疲れたんじゃななくて、気を使う自分に違和感を感じてたんじゃないかな」 「でも、それって結局、ムラさんが勝手に気を使って、勝手に違和感を感じて、勝手に出て行ったってことになるんじゃない?」 「そうじゃないの。なんていうんだろう……彼が気を使ってることに、私たちが気づいてあげなくちゃいけなかったのよ。『そんな気を使わないでいいんだよ、家族なんだから』ってヒトコト、言ってあげるだけでよかったはずなの」 「え〜? そうなの?」 「うん」 ニナは、悲しそうな表情で、答える。 「彼の優しい笑顔の裏に隠された寂しさを汲み取ってあげられなかった、私たち家族の責任だと思うんだよね。だから、彼が出て行ったことは、当然なんだと思う」 「私は、納得できないなぁ」 「でも、多分、それが正解だと思うよ」 「お〜い、お嬢様方。俺らの存在を、覚えてますか〜?」 ノックが、明らかにふくれっつらのまま、大声で言った。 「いけない、ここにも寂しくなってる男がいる。相手してあげなくちゃ」 里佳が舌を出してそう言うと、ニナは、はじけるように笑う。 男どもは、その笑顔に、鼻の下を伸ばして相好を崩した。
外回りに比べ、スピードが乗らないといわれている、首都高環状線内回りを、ムラのVTXが駆け抜ける。 内回りのテクニカルなコースだとか、時間的に少し早いため、一般車が多いだとか、そんなネガ要素も関係ないとばかりに、VTXはステップをこすり付け、火花を散らしながら、車の間を縫うように進む。 見通しの悪いブラインドコーナーに、安全マージンぎりぎり、いや、下手したらそれを超える速度で、突っ込んでゆくその姿は、いつも以上に鬼気迫るものがあった。 と。 後ろからチカチカとパッシングを浴びせられる。 「ん?」 ミラーを確認したムラは、それがすぐに朋友、ゆげの駆るハーレィダビッドゾンFXDL、ローライダーだと気づいた。ヘルメットの中で、にやりと唇を吊り上げる。 「悪りいな、ゆげ。今日は負けねえよ」 つぶやくのと同時に、ムラはアクセルを開けた。 排気音と一緒にメカニカルスーパーチャージャーのメカノイズがトーンを上げ、リアタイアは一瞬空転したあと、アスファルトをガッチリとつかみ、VTXは蹴飛ばされたように加速する。 直線一発なら、ゆげのローライダーは敵にならない。 VTXはヤケクソのように見る見る加速してゆく。しかし、ただでさえテクニカルな内回り、しかも、一般車が山ほど走っている今の状況では、エンジンパワーを使い切ることは難しい。 テクニックの差で、ムラはゆげにじりじりと追いつかれてゆく。 「ち、さすがに速ぇな」 舌打ちすると、ムラはいつもでは考えられないような速度で、高速コーナーに突っ込んでゆく。後ろで見ていたゆげの心臓が、一瞬止まる。万が一、コーナー向こうに事故車でもいたら。 幸い、事故車も何もなく、ムラは最後までゆげに抜かれないまま、みながいるのとは別のパーキングに入った。続いてゆげもそのあとを追う。 ふたり 同時にマシンを停め、ヘルメットをとる。 と、すぐ、ゆげはムラに言った。 「どうした?」 おまえがこんな無茶な走りをするなんて、いったいどうしたんだ? 何かあったのか? という質問を含んだ、『どうした?』である。 「別に」 「へえ」 「なんだよ?」 「いや、別に」 「ふん」 二人はそのまま、タバコに火をつけると、お互いの顔も見ずに、ただ、ぷかぷかと煙を上げている。ずいぶんと長いこと、そうしてそのまま、二人はタバコばかり吸っていた。 と、そこへ。 ばるん! ぶおん! ふごー! うぉん! ふぉん! やかましいエンジン音が、それも複数、聞こえてきた。もちろん、マーマレードスプーンのメンツと、ニナ・ハルトヴィックだ。 「あーやっぱりここだ。ほらな、リョウ、ジュン、俺の言ったとおりだろう?」 三バカの大将、ノックが、うれしそうに二人へ叫ぶ。言われた単車乗り二人は、肩をすくめた。その後から来た、ピンクのハヤブサとVTX−RSレトロが、ムラとゆげの前にマシンを停める。 「ムラさん、話だけでも聞いてあげて」 飛び降りながら叫ぶ里佳の言葉に、ムラは肩をすくめるしかない。 続けて、ニナがあとを引き取る。 「兄さん、話を聞いて。私は、父さんと母さんのこととか、そういう話をしに来たんじゃないのよ。それはもう、私の中で決着がついているの」 「そうか、それはよかった」 気のない返事をするムラのほほが、突然、パンと鳴る。 「いい加減にしなよ、ムラさん! ニナはあんたに会うために、遠くからたった一人で、日本に来たんだよ? あんたがそんなにひねくれてちゃ、まとまる話もまとまらないじゃないかっ!」 ムラのほほをたたいたあと、そう叫んだ里佳の瞳には、涙が溢れ出そうとしていた。里佳はそれを懸命にこらえながら、唇をかんでムラをにらみつける。 しばらくにらみ合ったあと、ムラは大きなため息をついて、里佳に頭を下げた。 「悪かった」 「話を聞いてくれる?」 「ああ」 「ニナ」 里佳に促され、ニナはまじめな顔で話し出した。 「私が日本に来たのは、もちろん、兄さんに会って、仲直りしたいってのが一番だったけど、それだけじゃなくて、大きなイベントの話を持ってきたのよ」 「イベント?」 声を上げたのは、ムラではなく里佳だった。 「仲直りの話じゃないの?」 「もちろん、それも大事だけど、それだけじゃないわ。里佳、むしろこの話は、あなたたちにも関係があるのよ」 「私たちに?」 「うん、実はね……里佳、通訳して」 そう言うと同時に、ニナは、うれしそうな、誇らしげな、なんとも言えぬいい笑顔を浮かべ、後ろで成り行きを見守っている、ほかの連中に振り向いた。 「ドイツでは、年に一度『レース』が行われているの。私も去年参加したんだけど、それは非公式のレース、映画のキャノンボールみたいなものなのよ」 翻訳した里佳の言葉を聞いた瞬間、何事かと珍しくまじめな顔で聞いていた連中の顔が、ものすごく輝き始めた。 「優勝者に与えられるのは、名誉だけ。それも非公式、裏の名誉ってヤツね。アスファルトラリーて別名があるくらい、ものすごく過酷なレースよ。四日間、朝9時から夜9時まで、給油以外はひたすら走り続けるんだから」 過酷だと言っているのに、それを聞く連中の顔は、好物を与えられた犬以上。もしあるならば、尻尾さえも振りかねないイキオイだ。 「そのレースの出場者を、募ってるの」 詳細を聞く前に、バカどもは吠える。 「おぉ! イクよ、絶対いく。行かいでか!」 「俺は仕事があるからなぁ……でも、いつ、どこでやるんだ?」 「あー、俺は平気。仕事なんか、今すぐやめてやる」 いちいち通訳する里佳の言葉に、ニナ・ハルトヴィックは可愛らしい女の子の微笑ではなく、にやりと共犯者の笑顔を浮かべた。 「とりあえず、今年の分は締め切ったわ。場所もフランスだから、ここからはちょっと遠いしね。フランスは4年前の優勝者の国だったの」 「それで?」 みなの気持ちを代表して、里佳が聞く。 「うん、だから、次回のレースの出場者を募集したいのよ。なんたって、次回は初めて、ヨーロッパ以外の国での開催だから。つまり、3年前の優勝者の母国での、ね」 「???」 「三年前の大会で優勝したのは……」 ここでニナは言葉を切ると、話の行方を察して苦虫を噛み潰しているムラに微笑んでから、大きな声で言った。 「そこにいる、ノブナガ・ムラタなのよ」 ……しん…… 水を打ったような、沈黙。 そして。 「のぉぉぉぉぉ! マぁぁぁぁジぃぃぃ? ムラさんがぁ?」 「うひょぉぉぉ! マジっスか? なんだよ、ムラさん。聞いてないよ」 「うおぉぉぉぉ! キャノンボォォォォォォルぅ!」 「すげえ、すげえ、すげえ! ムラさん、なによ? すげえじゃん!」 辺りは蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
「へ、ここだろうと思ったぜ」 ゆげがニヤニヤしながら近寄ってくるのを見て、ムラは芝生に寝転んだまま舌打ちした。 「ち、うるせえのが来やがった」 「ニナちゃんの見送りに行ったんだけどよ、おめえが来てなかったから、もしやと思ってきてみたんだよ。ここからなら、成田から飛ぶ飛行機が、よく見えるからな」 「別にそういうわけじゃない」 「ふん、素直じゃねえな、相変わらず」 ゆげが茶化しても、ムラはふんと横を向いたきり答えない。肩をすくめたゆげは、タバコをふかしながら、公園の芝生、ムラの横へ寝転んだ。そのまま、しばらくタバコをふかしている。 と。 不意にムラが口を開いた。 「あいつ、大人になってたな」 「ああ、もう、兄貴風は吹かせられないぜ? そうやってすねてるお前より、あのこの方がよっぽど大人だ」 「ぬかせ」 言ったムラの切なげな表情を見て、不意にゆげは目を見開く。 「あ、おまえ……」 「あ?」 「アレは、間違いだったのか……」 「アレ? なにがだ?」 ゆげは、里佳に聞いたニナの話を、ムラに聞かせた。 「俺が気を使って? あー、まあ、そういうのもあったかな。確かに、それも家を出た原因のひとつではあるかもしれない」 その遠くを見る悲しい瞳の、奥にあるものを察知して、ゆげは思わずムラに向かって問いただすような口調で言った。 「だが、本当は違うんだな? 本当は、妹を妹として見られな……」 「うるせえぞ、ゆげ」 怒っているでもなく。 ただ。 ムラは言った。 その穏やかな口調の中には、深い悲しみと、胸をしめつけるような切ないあきらめが感じられる。ゆげはムラに向き直ると、真剣な顔で、頭を下げた。 「すまん」 ちょっとびっくりしたような顔をしてから、ムラは苦笑する。 「やめろバカ」 それでもゆげは、もう一度頭を下げた。 「すまん」 その顔を見て、それから大きな、大きな、本当に大きなため息をついたあと、ムラは大きな声を出した。 「さぁてと、一丁、走りに行くか。よう、ゆげ、付き合えよ」 ゆげは悲しい、苦い微笑を浮かべて、それから急にぱあっと顔を明るくすると、勢いよく立ち上がった。 「せっかくだから、房総半島、一周するか?」 「おう、悪くねえ。いわしだ、いわしを食おうぜ?」 「いわしだ? んなもん、食いたいのか?」 「バカヤロウ! 旬のいわしは、信じられないくらいうめぇんだぞ?」 「へえ、そうなのか。OK、決まりだな?」 立ち上がって芝を払うと、30をとうに過ぎた男たちは、まるで子供のようにじゃれあいながら、駐車場に待つ愛機に向かって、ゆっくりと歩き出す。 二人の頭上を、飛行機が長い雲をひきながら、飛んで行った。 |