| いいちこ |
| 中町公民館は、湿気を帯びた重苦しい沈黙と、イラ立ちを伴った倦怠につつまれていた。 時刻は夜の11時。8時から始まった会議は、これでもう3時間も続いていることになる。しかもその間に検討された内容には、ほとんど進歩が見られない。内容はもちろん、次の町会役員の選出。 始まってものの30分でほとんどの役員は決まっていた。人気のある、つまりほとんどやることのない役職には複数の立候補があり、各家庭の状況や事情で決められてゆく。事情に差がなければクジ引きだ。 そこまでは順調だったのだが、最後に残された会長と副会長、会計。これがなかなか決まらない。いわく、日中仕事している。寝たきりの病人の看護がある。心臓病を患っている、などなど…… しかし、残された役は三つ。残っているのは3人。誰かがどれかをしなければならないのだ。ただ、ごねているのが押しの強い古株だから、みんなはっきり言えないでいるのである。 いいかげん誰の顔にも、疲れと怒りが浮かんでいる。3人は自分を棚に上げて、誰かやれよ、何であんたがやらないのよ?といった目をお互いに向け合って焦れている。3人の中でもいちばん押しの強いおばさんが、たまりかねたように叫んだ。 「じゃあ、私が副会長をやるから、あなたが会長をやってくださいな」 言われた紫の髪をしたおばさんの方は、口の中でもごもご言いながら、なかなか明確な答えを出さない。もうひとりは90過ぎの老人で、いくらなんでもこの人に会長を押し付けてしまうのは、二人とも気が引けていた。もちろん内心では、この老人が会長をやると言ってくれないかと期待している。 会議をここまでだらだら長引かせたのも、老人が痺れを切らせて「私がやります」と言い出すのを待っていたからなのだ。しかし老人も二人の思惑を知ってか知らずか、なかなか言葉を発しようとはしなかった。 押しの強いおばさんは、副会長を狙っていた。大役を引き受けたということで、後々の面倒な役を逃げることが出来るし、実際の仕事は会長にやらせて自分は楽をする気なのだ。もちろん、紫のおばさんも同じ思惑であるから、会議は長引きそうな様相を呈してくる。 みなの苛立ちが頂点に達しようかとした丁度そのとき、末席の方からひとりの若い男が立ち上がる。最初の30分で監査といういちばん簡単な役についた、おばさんたちに言わせればラッキーな男だった。 監査はみんながやりたがるから倍率が高いだろうと考えた人々は、最初から次に楽な役ばかりを狙っていた。しかし、ふたを開けてみれば、監査に立候補したのはこの若い男だけだったのだ。 青年は立ち上がると、おずおずと口を開く。 「私みたいな若い人間じゃ、会長はまずいですかね?」 その場の全員があっけに取られたあと、次々に拍手が沸き起こった。あたりにほっとした空気が流れる。老人を監査に回して、紫のおばさんが会計、押しの強いおばさんが副会長に決まり、長い長い会議はようやく終わった。 青年の働きは、まさに獅子奮迅と言ってよかっただろう。副会長のおばさんがロクに仕事をしないため、その年の町会行事はほとんど彼ひとりの手によって進められた。 そして彼が会長を勤め上げたこの年は、すべての行事が滞りなく、速やかに、かつ大成功に終わった。しかも、青年会長の発案で、行事の進め方や使用する業者などが変更され、新しいアイディアが次々と採用されてゆく。それがまた、ことごとく当たるのだ。 青年は、それほど目新しいことや、奇抜なことをしたわけではない。むしろ経営学や経済学の常識に添って、無駄な部分や業者の過剰な利ざやになっていた部分を切り取っただけだ。 これまでは、町内会の運営をそれほど熱心にする人がいなかったので、慣例という名の惰性によって見逃されていた部分を、至極当然の観点から手直ししただけだった。 中町町内で、彼の名前はそこそこに知れ渡っていった。悪名高い副会長のおばさんが全く仕事を手伝わないことが、彼のがんばりを際立たせ、彼の名を高める。非常に優秀で、やる気のある、最近の若い人にしてはしっかりしたヒト。彼はこんな評価を手に入れた。 一年後。 次の役員を決める会議に、前役員たちが顔を出した。いつものように途中まではすぐに決まり、最後の駆け引きの時間がやってくる。今年は去年より更に押しの強い猛者たちがそろっていて、当然会長はなかなか決まらない。 長丁場になるんだろうな、という思いが誰もの頭を掠めたとき、前会長の青年が立ち上がる。いつものように控えめな好感の持てる態度で、彼は聞いた。 「会長を続けてやるって言うのは、いくらなんでもまずいですよね?」 町会の規約には、会長の任期は一年とある。しかし同じ人間が続けてやってはいけないとは、どこにも書いてなかった。町会規約を調べたおじさんがそう言うと、周りの人々は歓声を持って彼の連続就任を認めた。 この年も、彼は一生懸命働いた。 彼の働きに感化されたのか、若い夫婦や独り者といった、普通ならまず町会行事に顔を出すことがないような人々まで、彼の仕事を助け働くようになる。素晴らしいことじゃないか、と中高年の者達は目を細めてこの様子を見ていた。 町会の活動が活発になれば、その分いろいろな行事が増え、したがって運営費が足りなくなる。当然その収入は、町会費の値上げということでまかなわれることになる。普通の町会なら、値上げに反対する人もたくさん出てくるだろうが、この町会に限ってはそんなことは全くなかった。 町が活気付き、若い人が行事に参加し、明らかに住みやすく楽しい町になっているのだ。しっかりとした結果を見せられれば¥、町会費の値上げなど、はっきり言って些事である。誰も文句を言う者はいなかった。 実際、この町会の活気によって、別れて住んでいた息子夫婦が帰ってきたとか、他の町より非行少年の数がぐんと減ったとか、人々の目に見える素晴らしい結果が現れている。感謝の声こそあれ、文句を言う筋合いのものなど、この町には存在しない。 青年は連続9期の長きに渡って会長を務めた。今や彼は、町のどこに行っても「会長」と呼ばれ、親しまれていた。この町にとって町会長とは、彼を置いて存在しないと言ってもよかった。 「しかしアレだな。実際のところ中町町会は、会長さんのおかげで持っていると言ってもいいよな?まったく、若いのにたいした男だよ。ウチに娘の婿に欲しいくらいだ」 「馬鹿言うな。会長さんに娘をやりたいって思ってるやつは、山ほどいるんだぞ?しかしまあ、おまえの気持ちもわかるよ。アレだけの人なのに選挙に出たり威張ったりしないで、いつまでも腰が低いんだからたいしたものだよな」 「実はさ、ほら、高橋さんとこのアパートに住んでる新聞記者がいるだろう?アイツが会長さんの事を調べたらしいんだよ。町会費をくすねたり、何か悪いことをしているんじゃないかって」 「なに?トンでもないヤツだな。どうせ何も出てこなかったんだろう?」 「ああ、そうらしい。いくら調べても、不正なことは一切なかったそうだ。アレは本物の聖人君子ってヤツだよ」 「ははは、そうこなくっちゃいけねえ。あのひとが悪いことなんかするもんか。へん、どんなもんだい!」 「おかしなやつだね。おまえが威張ってどうする」
更に10年経った頃には、冗談にもそんなことを言う者はいなくなった。彼はいまやこの町の象徴であり、守護神なのだ。 中町町会で会長の悪口を言ったものは、すぐに生活が立ち行かなくなる。町じゅうから無視され、必要なことは全く判らず、近所の店では何も売ってくれなくなる。近所と言っても、歩いてゆけるレベルではない。車で動くような地域の人間まで、すべてが敵意に満ちた目を向ける。 引っ越してきてしばらくの間は、町会に入らない、と言う若い夫婦などもたまにいる。だが、活気あふれる町会の行事や、他の町の倍は来ると言うごみ収集に代表される暮らしやすさに、そのうち自ら望んで町会に入るようになる。 町会費はいまや、他の町の100倍を越えるが、そんなものこの町に暮らしていける素晴らしさに比べれば、あって無きが如し。町は一致団結し、市や県、国からの要請なども簡単に突っぱねる。 近隣の町会からも参加したいと言う無茶な申し出があったりして、町会はいつのまにか中町を中心に3県にまたがる大組織になっていた。 無論、正式な地方自治体としては今まで通り中町に住む人たちだけが会員なのだが、住民レベルでは、とっくの昔に県の規模を軽く凌いでいる。あくまで任意に集まった生活向上を目的とする組織であるから、法的にも何ら臆するところがない。 宗教団体以上の団結と力を持って、中町町会は更にその規模を広げていった。アウトローは排除され、繁華街は安全になり、子供達は健やかに育ってゆく。まさに理想郷であった。 今年の役員会議。 いまや青年が会長であることを確認するだけの儀式が、今年も執り行われた。 場所は県立体育館。そこに入りきれない人々は、表に設置されたTV画面で彼の顔を一目見ようとにぎわっている。その様子は町会費でみなの家に設置された地元ケーブルTVによって、会員各戸に放送される。彼の姿はその価値があるのだ。 20年の節目を祝っていろいろな催しが執り行われ、最後に彼らの守護神である青年、いや、もはや中年の域に達した会長の姿が、TVを通して映し出された。とたんに湧き上がる大歓声。 司会進行役のアナウンサーが、彼の今年の抱負を聞く。しんと静まり返った中に会長の低く穏やかな声が朗々と響いた。みな熱心と言うよりは狂信的な目つきで、その言葉に聞き入っている。 彼の話は、わかりやすかった。 自分は初めて会長になったとき、どうしたらみんなが暮らしやすくなるかを考えた。そのとおり実践したら、みなが喜んでくれた。自分のしたことなど、たいしたことではない。みなが協力してくれたから、これだけ暮らしやすい町になった。 しかし、まだまだだ。市や県や国によって我々の生活は豊かになるどころか、圧迫されている。自分の力など、もともとたいしたものではないが、それでも賛同者がこれだけ集まってくれた。みなの力を結集すれば、もっと大きなことが出来、もっと住みやすい社会を作れるのではないか? 彼はそこで、20年目にして初めて、彼が考えていた偉大なる構想を会員に打ち明けた。言葉が終わった後、しばしの静寂が流れる。そしてそのあとに来たのは、怒涛のような大歓声だった。
数日後、近隣の自衛隊施設を乗っ取った…正確には隊員のほとんどが町会に所属していたのだが…彼らは、日本国に対して独立を宣言した。これが中町町会独立戦争の、そもそもの発端である。 もちろんこの青年と言うのが、我が国の偉大なる父、大将軍閣下のことであるのは言うまでもない。ご存知のように、閣下は偉大なる指導者となった現在でも、いいちこと言う安い焼酎を愛飲しておられる。 この焼酎が「下町のナポレオン」と呼ばれる酒だからだ。 国家の父となった今でも、下町の町会長であった頃の心を決してお忘れにならない閣下が、どれだけ偉大なお方であるかは、これで君たちにもわかってもらえるだろう。 このような偉大なる父の庇護を受けられる我々は、世界で一番幸せな民族だと言わねばならない。 さあ、若者達よ。今こそ立ち上がれ。 偉大なる将軍閣下のために、そして、この素晴らしい国の礎となるために、聖なる戦いに参加するのだ! |