| ほろびゆく民族 |
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「君は、日本人か?」 鋭く詰問されて、ケンは仕方なくうなずいた。 どうせ虹彩スキャンとDNAチェックで、ケンが日本人だということは、すぐにわかってしまうのだ。ケンがうなずくと同時に、彼の後ろで順番待ちをしていた人々の顔が、驚愕 と憎悪にゆがむ。 「民間人だが」 ムッツリと口を開いたケンに、係員は明らかな敵意を見せたまま、黙ってうなずいた。今の一瞬で、ケンのデータを照合したに違いない。 ケンのパスポートを汚いものでも触るかのようにつまむと、係員は黙ったまま、顎をしゃくってゲートを示した。 うなずいて歩き出した後ろから、席を替えてくれという声が聞こえてくる。ケンの隣に座るはずの客だろう。 まあ、いつものことだし、気にしなければむしろ、混んでる車内で一人だけ悠然と席を占領できるのだから、悪い話ではない。 車内へ行くと、すでにケンが日本人だと言うことが知れ渡っているようで、混雑しているのに、ケンの席の周辺だけが不自然に空いている。 ケンは肩をすくめると、そのまま何事もなかったかのように席へ座った。 周りの視線が集まっている。 もっともそれは、ひどくコソコソとした視線であった。面と向かって日本人に、「出て行け」などというガッツのある人間は、なかなか居ない。本当は同じ車両に乗りたくない、いや、同じ空気を吸うことさえイヤなのだろうに。 ごとりとゆれ、列車が走り出した。ユーラシア大陸横断鉄道は、これから一週間かけて大陸を横断し、ペキンへ向かう。名実共に世界の中心、中華帝国の首都だ。 そこから先は非合法。長時間の緊張を強いられることは間違いないのだから、せめて今のうちに眠って、少しでも体力を温存しておこう。ケンはふたりぶんのシートの上に横になると、うん、と伸びをする。 次の瞬間には、眠りについていた。 そのまま1時間。 スイッチを切ったように眠り、スイッチを入れるように目覚める。寝ぼけることがそのまま死につながる、野生動物と同じ眠り方だ。 たとえ身の安全が保障されている者でも、日本人なら、誰でもこういう眠り方をする。 なぜなら、日本人は戦士だからだ。 日本人。 かつて人口一億二千万を超え、経済大国としてGNP世界第二位を誇った、日本国と言う国は、もはや存在しない。中華帝国の東の果てに「日本島」として、その形骸を保つのみである。 ただ、同じく中華帝国の拡大に飲み込まれた朝鮮半島や、台湾島と根本的に違うところがある。 彼らは国の支配者が変わったことと、政治形態が変わったこと以外、基本的に民族としては生き残っている。しかし、日本民族だけは、人種そのものが世界から失われようとしているのだ。 お互いにとって不幸だったのは、先の大戦の生き残り、第二次世界大戦の恨みを忘れていない世代が、生きて実権を握っているうちに、未曾有の大天災である「大崩壊」が起こった事だろう。 「大崩壊」は世界を平等に襲い、結果、人口の多い民族が生き残るという結果になった。 皮肉なことに、表面上「開発途上」と言われ、カゲで「二流国」と蔑まれた国ほど人口が多かったため、崩壊後、強い力を持つようになったのである。 そして、ユーラシア大陸は元の中華人民共和国、現在の中華帝国の支配するところとなった。世界最大の国家となった帝国は、隣国日本を併呑すると、日本民族に対して、強烈なバッシング政策を敢行する。 平和ボケしたまま経済力の上にアグラをかいていた日本人は、不当逮捕を筆頭とする徹底的な「日本人狩り」によって、見る間に数を減らしていった。 第二次世界大戦の時、現役だった世代はことごとく殺され、そうでなかった世代はバッシングを恐れて、次々に混血化を進める。日本国籍でなければ、命まで奪われることはないからだ。 純潔の日本人は、数世代を経ずして、そのほとんどが失われていった。 一方、それを受け入れられない人間もいる。 彼らは、ほとんどが殺されたが、それでも一部は生き残り、地下にもぐった。そしてそのまま、最悪の国際ゲリラになったのである。もっとも、襲われる側にしてみればテロリストだが、弾圧された側からしてみれば当然の報復とも言える。 こうして日本人は、迫害される環境に甘んじる者と、戦う者とに別れ、日々、その数を減らしてゆく。 やがて、日本人が人類全体の0.1%を切った段階で、純粋な日本人で、かつ、武装勢力に加担していないモノ限定ながら、国際指定保護民族の指定を受けるまでになった。 日本人であり、民間人であるケンは、その数少ない国際指定保護民族なのだ。 国際指定保護民族は、その存在する国に、保護の義務が課せられる。ケンが訪れた国は、その思惑にかかわらず、ケンを重要人物として保護しなくてはならない。 だが、地下にもぐった国際ゲリラ「日本人」に、家族を殺されたものは、どこの国にも必ずいる。その家族は当然、日本人の命を狙った。 万が一にも国際指定保護民族を殺されたと言うことになれば、その国の安全評価は格段に下がり、総じて関連株も暴落する。 しかたなく、各国政府は、ゲリラに加担していない、一般日本人の身柄を徹底的に保護した。逆上した自国民から彼を守るための、ボディガードにならざるを得ないのだ。 そして、その費用は膨大なものとなる。実際、日本人の保護費用で国家財政が傾いた小国さえあるほどだ。彼らが観光に来るだけで、である。 「皮肉なもんだ」 そうシニカルに笑うケンに、世界中が歯軋りをしている。 そんな状況であった。 短く深い眠りから覚めたケンは、大きく伸びをすると、独り言ちる。 「さて、と。そろそろか」 ケンの周りには何人かの諜報部員が、彼の保護をする名目で、民間人にまぎれて潜んでいる。そして、彼らに見張られていることはケンだけでなく、周りにいる一般の乗客もわかっている。 だから、日本人のケンがいるとわかっていても、手を出すことが出来ないのだ。 もし、彼ら諜報部員がいなければ、ケンは憎しみに燃えた乗客たちによって、袋叩きにされているだろう。いや、何かきっかけがあれば、諜報部員たちを無視してでも襲われかねない。 その状況を、ケンも含めた車内のすべての人間が、理解している。 車内は、異様な緊張感に包まれていた。 一触即発の状態のまま、しかし、列車は何事もなく、ペキン駅のすぐ近くまでやってきていた。どうやらトラブルに見舞われずに済んだと、諜報部員の一人がほっとため息を漏らした。 瞬間。 どぉぉぉぉぉぉぉぉん! 轟音と共に大地が揺れ、列車が止まった。 一瞬の間をおいて、車内は蜂の巣をつついたような騒ぎになる。 「日本人だ! 日本人が襲ってきたんだ!」 誰かが叫んだ。 とたんに、パニックの度合いが倍加する。 ここが一番の正念場だ。ケンは全身の気を矯めて、周りの乗客の襲撃に備えた。冷静に考えれば、もし日本人が襲ってきたのなら、日本人のケンに手を出せば、襲撃者の怒りを買う恐れがある。 しかし、パニックで正常な判断が出来なくなっている人々が、日ごろの鬱憤や恐怖を、ケンへの怒りに変えて襲ってくる可能性も、充分にあるのだ。それを警戒して、ケンは身構えたのだ。 しかし、人々は恐怖を怒りへ転化することなく、恐怖を恐怖として受け取った。止まった車両の出口や窓に殺到した乗客たちは、我先にと脱出を始める。 ケンはそのごたごたにまぎれて、諜報部員の監視を逃れた。 逃げ惑う群衆の中に紛れ込み、荒涼とした大地に降り立つ。ペキンシティがいくら大都会だといっても、たかだか数十年であの大崩壊から完全に立ち直れるものではない。 駅や空港の周辺こそ、かつてのニューヨークや東京のごとき、いや、それ以上に設備の整った近代都市の様相を呈していたが、ほんの数十キロも離れれば、いまだに荒れ果てた大地にかつての都市の残骸が広がる、廃墟のような部分がほとんどなのだ。 ケンは慎重に辺りを見回した。 と、群集が逃げ惑う中、落ち着いた表情でケンを見つめる黒い瞳がある。ケンはその姿を確認すると、わざと逆の方に向かって走り出した。 巻いたとはいえ一流の諜報部員である。そのままその人物に接触すれば、これまでの苦労が水泡に帰してしまう。 ケンは走りながら、周りを確認した。二、三の影が、自分と同じ速度で走っているのを確認すると、ケンは突然、横っ飛びに、朽ちたコンクリートの壁の影に滑り込んだ。 壁を背にして立つと、程なく何人かの諜報部員達が回り込んでくる。 刹那。 彼らは悲鳴をあげる間もないまま、砂だらけの大地に、どうと倒れこんだ。 次の瞬間、コンクリートの向こうから、小さくくぐもった悲鳴が上がる。逃げ惑う人々は、そんな些細な事件に気付きもせずに、ペキンシティに向かって駆けて行った。 やがて、廃墟が静寂に包まれる。 と。 「どうやら、全部片付けてくれたようだな」 ケンがつぶやくと、どこからともなく、先ほどの黒い瞳を持つ人物が現れた。 「情報どおりなら、監視員は10人。とりあえずすべて沈黙させました」 答えたその人物は、瞳と同じ漆黒の長い髪を風になびかせた、美しい女性だった。 ケンは黙ってうなずくと、彼女の後ろに視線をやる。その先には、無言のまま静かにたたずむ、5人の戦士がいた。みな一様に、野戦服に身を包んでいる。 「それじゃ、連れて行ってもらおうか。美女という美女を抱きまくれる、男の天国にさ」 ケンがにやりと笑うと、女はしかめっ面でうなずいた。ケンの冗談が、気に入らなかったのだろう。彼らはケンを囲むようにして、隠してあるトラックに向かい、歩き出した。その後ろ姿を見ながら、ケンは大声で聞く。 「なあ、あんた。名前は?」 女はケンを振りかえると、厳しい表情を崩さないまま、簡潔に答えた。 「あなたの相手は、私ではありません。ですから、私の名前など、必要ないでしょう」 「そうなのか? そりゃあ、残念だ」 言いながら肩をすくめたケンを完全に黙殺すると、女はそれきり、二度と振り向かなかった。
「あ」 その女は、小さく声を上げると、ぶるぶるっと美しい裸体を震わせて、達した。そのままケンの身体の上に倒れこむと、はあはあと上がった息遣いのまま、優しく彼に口づけする。 ケンはくちづけを返しながら、女の髪をなでた。つややかな、漆黒の髪である。肌は陶磁器のように白く、しかし、それが今の営みによって、ピンク色に上気し、浮かんだ汗がきらきらと光っている。 極上の美人。 そういって差し支えないだろう。 女は緩慢な動作で身体を起こすと、そのままケンのそばに寝そべり、彼の髪や身体をいじりだす。情事のあと、そんな風にじゃれるのをケンが好むというコトを知っているのだ。 それは何度も愛し合った愛情から来る知識ではなく、ケンの日常から性愛まで、事細かに調べ上げられたレポートを基にした知識だ。彼女には、ケンに対する愛情の一片も持ち合わせがない。 そして、そのことはケンもよく知っていたし、ケンがそれを知っていることも、彼女は知っていた。 肌を合わせるどころか、会ったのさえ、今日が初めてなのに、ふたりはそうして何の感情もないまま抱き合い、交わったのである。 やがて。 「行かなくちゃ」 女が別れを惜しむような演技でそう言い、ケンもそれを残念そうな演技で送り出した。まあ、礼儀と言うか、挨拶みたいなものだ。 手早く服をつけた女は、もう一度彼に口付けすると、足早に部屋を出て行った。ケンはそれを黙って見送ると、ベッドサイドからタバコを取り上げ、ライターで火をつけ、深く吸い込んだ。 コン、コン ケンが煙を吐き出すと同時に、表の扉がノックされる。 黙ったままタバコをふかしていると、やがて扉が開かれた。扉を開けて入ってきたのは、これまた美しい女である。今度は先ほどの妖艶で大人っぽい女性とは正反対の、少々幼い印象を与える、可憐な少女だ。 「あの……」 ケンは無言のままベッドから起き上がり、すたすたと扉に向かって歩いてゆく。少々おびえた様子の少女を抱き上げると、そのまま歩き、彼女をベッドの上に放り出した。そして、なだれ込むように覆いかぶさると、服を剥ぎ取ってゆく。 女はされるまま、無抵抗だ。 と。 突然、ケンの手が止まる。しばらく何事か考えていたが、やがて彼は彼女の上から離れ、ごろりと横になった。ベッドの上で身を起こした女は、何か言いたげな表情のまま、ぺたりと座ってケンを見ている。 ケンは仏頂面のまま、またタバコに手を伸ばした。 ひとしきり怒ったように、ただタバコをふかしていたが、やがて女に視線を移す。女はすくんだまま、ケンを見つめ返した。 「もう、いいよ」 「でも……」 「おまえ、初めてだろう?」 「……」 「なにも、俺なんかに抱かれなくたっていいだろうに」 「でも……」 「それとも、名誉なことなのか?」 「……はい……母が言うには、純粋……」 「はっ!」 女にみなまで言わせず、ケンは大声を上げる。 思わずびくんとすくんだ彼女は、しかし、黙ったままケンの言葉を待った。 そう教育されているというより、本当に驚いてしまったのだろう。いや、自分が何か悪いことをしたのかと、すくんでしまっているのかもしれない。 「純粋な日本人を生むというのは、日本民族の存続に貢献できる、大変な名誉だ、とか何とか言い含められてきたんだろう?」 「……」 女、いや、少女は黙ったまま、下を向いてしまった。そのおびえたような顔を見て、ケンは罪悪感を覚え、努めて優しい口調で言った。 「確かに、純粋な日本民族を絶やさないことが大切だとは、俺も思う。日本人の血を残し、日本民族の文化や伝統を次の代に伝えることは、非常に大切だ。だが、そのためにとはいえ、こういうやり方は、あまり好きになれないんだよ」 「……」 少女は顔を揚げて、男の顔を見る。 「日本人は少ない。その少ない日本人が、小さなコミューンに分かれて潜んでいるのだから、血が濃くなってしまう危険があるのもわかる。だから、外からの血を入れることが大事だというのも、少なくとも、頭ではわかる」 「はい……」 「俺たちワタリは、そのために、民間人として暮らしているんだからな。俺だって本当は、日本人誇りを守るための戦いに、戦士として参加したい。だが、この身体では、そうもいかない」 言いながら、ケンは胸を張って、自分の裸身を強調する。 真っ白な、先ほどの妖艶な女と比べても明らかに桁の違う、肌の白さ。高い鼻に、濃い体毛。そして、金色に輝く長い髪と、アイスブルーの瞳。どこから見てもケンは完全に白人だった。 日本人であるというだけで、世界中から敵視されるのに、日本人らしい姿のまま生きてゆくのは、危険が大きすぎる。そのため、ケンたち「ワタリ」は、たいてい、白人か黒人に、その姿を整形しているのであった。 アジア人の姿のままでは、どこに行くにも遺伝子と虹彩のスキャンを受けなくてはならないが、白人の姿であれば、そのわずらわしさは激減する。 「俺は、精子の数が多く、健康で、何の遺伝的疾患もない。だから、「ワタリ」に選ばれた。ワタリとして、分散している日本人コミューンを渡り歩き、近親交配から来る遺伝的トラブルを避ける役目を持っている。そのこと自体を卑下するつもりはないし、大切な役目だとも思っている」 「はい……」 「俺はこんな姿だが、いや、こんな姿になったからこそ、俺は日本民族としての誇りを大切にしている。だから、このやり方には、どうしても疑問を感じてしまうんだ」 「……」 「血を残すのはいい。だけど、そのために、こんな家畜みたいな効率重視の方法で残したとして、それで本当にいいのだろうか?」 「でも……そうしなければ、日本人が滅んでしまうって、母が……」 「だろうな……でも、でもだ。それでも俺たちは、日本人だけはそんな方法を取っちゃいけないんじゃないだろうか? 誇りを第一に考え、結果そのものだけでなく、その過程の美しさにまでこだわったからこそ、日本人というのは美しかったんじゃないだろうか?」 思わず声が大きくなり、少女は身をすくめる。ケンはそれに気付くと、すまんと小さくつぶやいた。 「そんな風に考えて、いいのですね?」 「おかしいか?」 「いえ……なんだか……うれしくて」 「うれしい?」 「私は母に、大和撫子たれと育てられました。私たちの中にも、それについては賛否両論ありますが、少なくとも私は、大和撫子たることに、不満は感じません」 「へえ、めずらしいね。最近は、コミューンの中でも男女平等が主流だと思っていたが」 「男女平等は当たり前だと思います。ただ、その平等というのが、何でもかんでもというのは逆に平等じゃないと思えるのです。身体だって、脳の構造だって、男と女では、明らかに違うでしょう?」 思わぬ彼女の反応に、ケンは内心、少しの戸惑いと、それをはるかに超える嬉しさを感じていた。 「脳の構造というのは、脳梁の大きさのことか。空間把握能力や、音感、記憶、そう言ったものが、構造的に違うのは、確かにその通りだ。個人差はあるだろうが。体力の差は言うまでもない。それは優劣ではなく、相違でしかないがな」 「ええ、そう言った差異を踏まえた上での平等であるなら、それは大切です。そうでない、何でもかんでも男女同じというのは、生物学上の差異を無視した、ある意味不平等でしかないと思うのです」 「うむ。その通りだ。しかし、話がそれたな。で、大和撫子たる君は、何が嬉しかったんだい?」 少女は今や、瞳をきらきらと輝かせ、ケンとの会話に夢中になっていた。 「大和撫子たれといわれ、日本人の歴史や文化を学ぶうちに、その素晴らしさ、美しさに感激しました。日本民族としてこの世に生を受けたことを、本当に感謝しました」 「ふむ」 「でも、学べば学ぶほど、現状に疑問を持つようになったんです。血を絶やさないという目的のために、日本人が培ってきた文化をないがしろにして、ただ子孫を残すために生殖を強制し、ただ弾圧に抵抗して復讐するためだけに戦う、今のやり方が」 「なるほどな」 冷静に答えてはいたが、しかし、ケンの身体の中には熱い思いがみなぎってきていた。 「ですからあなたの、合理性ばかりを追求するやり方に異を唱え、過程の美しさにも結果と同様に重きを置け、という考えにすごく共感したんです。残すなら、血だけではなく、その積み重ねてきた文化そのものを残さなくては、何の意味もないように思うのです」 「名前は?」 唐突に発せられたケンの言葉に、少女は一瞬と惑ったあと、嬉しそうに答えた。 「美緒」 「みお……いい名だ。なあ、美緒」 「はい」 「ここから逃げよう」 「え?」 「ここを出て、俺といこう。俺は、君を探していたんだ。君のような女を、ずっと求めていたんだ」 どこから見ても白人のケンは、しかし、日本人としての熱いたぎりをほとばしらせて、懸命にかき口説いた。 ケンは、今まさに、本当に守るべき、愛するべき女を見つけたのだ。少なくとも本人はそう確信していた。 美緒はしばらく考えてから、ゆっくりとうなずいた。 ふたりの間に、心通じ合った至福が満ちる。 その時、突然扉が開いた。 「そこまでだ。ふたりとも、きてもらおうか」 ケンを連れてきた女が、無表情のままこちらを見ている。その後ろには先ほどのように野戦服を着た数人の屈強な男女が、武器を持って立っている。 一瞬抵抗して逃げ出そうかとも思ったが、しかし、向こうは戦闘のプロで、こっちは少女と、しがない種馬だ。ケンはあきらめて少女の顔を見た。彼女の顔にも絶望が満ちている。 「反逆罪、ってわけか。俺はいい。殺される覚悟は出来てる。しかし、この娘は俺の口車に乗っただけだ。なあ、この娘だけでも……」 「我々はふたりを連れて来いと命令されているだけだ」 剣もほろろに言い返され、ふたりは仕方なく彼らのあとに続いた。
通された部屋には、ずいぶんと老いた男がひとり、豪奢なイスに身を沈めて、彼らを待っていた。 女は二人を促して、共に部屋の中に入る。そして、彼らが老人の前に進み出ると、油断のない表情で、銃を持ったまま壁際に立った。老人を守る、ボディガードといったところだろうか。 重苦しい沈黙が流れた。 二人は居心地の悪い思いのまま、いや、これから何が起こるかという不安にさいなまれながら、老人を見つめている。老人は強い光の宿る瞳でふたりを見つめていたが、やがて、穏やかに話し出した。 「君たちは、我々のやり方に不満があるようじゃな?」 ふたりは黙ったまま、答えられない。 「血を残すために誇りを忘れている、と?」 厳しい表情で言われ、ケンはようやく口を開いた。どうせ、ただでは済むまい。それなら、言いたいことをいっておこう。怒りを自分に向ければ、少女の方は見逃してもらえるかもしれない。 「そう思います。効率第一、目的のためには手段を選ばないというのは、かつての大国欧米や、現在の支配者中華帝国と、結局は同じではないでしょうか?」 「我々が、欧米や中華帝国と同じだとっ!」 叫んだのは老人ではなく、壁際にいた女である。激しい反応は、生粋の国粋主義者の証(あかし)だ。老人は手を上げて女を制すと、穏やかな口調のまま、話を続けた。 「では、日本民族は、誇りを抱いて滅んだ方がいいというのか?」 「そうは言いません。ですが、日本人である誇りを忘れてまで、何を後世に残すのか、と問いたいのです。生き残ることは大切ですが、ただ生きているだけなら、何もこんな苦労をすることはありません。我々日本人は、国際指定保護民族なのですからね」 「おまえは、我々に檻の中で飼いならされて生きろというのかっ!」 またも叫んだ女に向かって、ケンは厳しい声を上げた。 「檻の中だろうが、野生のままだろうが、誇りを忘れて、生きることだけに夢中になっているのなら、動物となんら変わらないじゃないか! 先人の積み重ねた歴史を! 文化を! 誇りを! そういう日本人としての宝を受け継げなくて、何が民族の存続だ!」 「さきまっ!」 「やめんかっ!」 老人に一喝されて、女はしぶしぶ引き下がる。 と、美緒がその間隙を突いて喋りだした。 「日本人とは、美しい民族だと思います。私はそう学びました。押し付けられた考えでなく、自分で学び、そう感じました。私はその美しい日本を、日本人を、愛しています。だからこそ、その美学を捨てることはいけないと思うのです」 「そのために滅ぶとしても、か?」 老人の問いに、美緒は輝くような微笑で首を振った。 「いいえ。美しさを保ったまま、滅ばぬ道もあるはずです」 「そんなものはない!」 叫んだ女に、美緒はにこりと微笑んで言った。 「探しましょう。工夫しましょう。それこそ、日本人のもっとも得意なことではないですか。全滅や滅びの美学などではなく、英知を絞って工夫することこそ、我々日本人らしい、美しい道だと思いませんか?」 女は何か言い返そうとして、しかし、黙ったままぷいと横を向いた。 老人は、厳しい表情を崩さぬまま、厳かに口を開く。 「おまえ達は、反逆者だ。許すことは出来ん」 「ならば、その傲慢な思いを抱いたまま、長く生きるがいい。そして、いつの日か、血統だけを保ったまま、民族として精神的に滅びるんだ!」 ケンが激しく言い返すと、老人は無表情のまま、宣言した。 「おまえ達を、許すことは出来ない。だから、追放する」 え? という表情で、ふたりは老人を見つめ、次いで顔を見合わせた。 「お館(やかた)様!」 女が叫ぶのを無視して、老人は言った。 「ふたりでこの場を立ち去れ。そして、二度と戻ってくるな」 そう言うと、手を叩いて合図する。すばやく入室してきた戦士達に、老人は命令を告げ、ふたりは彼らに囲まれたまま、部屋を出て行った。 残った女は、老人に詰め寄る。 「お館様! アレでいいのですか?」 老人は深くうなずいた。 「いいんじゃ。そういう決まりなのじゃから」 「決まり?」 女がいぶかしげに首をかしげると、老人はようやく表情を緩めて言った。 「うむ。あの若者の言うように、誇りをなくして生きながらえることに、日本人としての誇りも意味もない。だが、だからと言って、そういうものは上から押し付けても、心にしみるものではない」 「心にしみる……」 「そうじゃ。あの娘のように、自ら興味を持って学び、自ら勝ち取った誇りでなくては、意味がないのじゃ。日本を、日本人を愛し、日本人であることに誇りを持ち、日本人の未来を憂う心というものは、押し付けの中では決して生まれない」 「……」 「彼らはそれを自ら学び取った。体制に疑問を持ち、考え、自分で結論を出し、勇気を持ってその考えをあらわし、我々が脅かしても、その考えに殉じた。素晴らしいことじゃないか?」 「はぁ……」 微妙な表情の女に、老人は優しい瞳を向ける。 「どちらが正しいというものではない。今を生き残ることも大切だし、誇りを失わないことも大切だ。だから、我々はこういう方法を取るのだよ」 「どういうことです?」 「民族を生き残らせるために、なりふり構わず行動しながら、それに疑問を持ち、自ら誇りを失わない者たちを、こうして追放、いや、正確には世界中に送り出しているのだ」 「はぁ」 「ふふ、まあいい。おまえのような者と、彼らのような者、どちらも日本人が<本当に>生き残るためには、欠かせない。我らは結束してその数を増やすために、戦い続けようではないか」 「はいっ!」 戦い続けるという言葉で、女は急に元気付いた。その姿に苦笑を漏らしながら、老人はつぶやく。 「いつか、ああいった若者が、もっと数多く出てくるだろう。そして、その時こそ、真の日本民族復活のときだ。彼らは日本民族の希望、いや、礎(いしずえ)なのだ」 「お館様……なんだか、それではまるで、彼らはアダムとイヴのようではないですか? 日本人らしくないですね」 老人は目を丸くしたあと、にっこりと笑った。 「それは違う。イザナギとイザナミ、彼らこそ国つくりの二柱なのだよ」 「イザナ……なんです、それは?」 「ふむ。おまえも戦いばかりでなく、少しは学問をせい」 優しく言われて、女は首をすくめた。 まるで孫を見るかのように、その様子に目を細めていた老人は、急に何事か思い立ったようだ。女に向かって問う。 「そうじゃ、ふたりはまだ、発ってないか?」 「はい。ペキンシティ周辺は、警戒が厳しいので、いきなり放り出すわけにもいきません。ですから、準備が整うまで、まだ、残っていると思いますが」 その答えに、老人は安堵すると、言った。 「あの若者の姿を、元に戻してやりなさい。こうなった以上、彼もそれを望むだろう」 「わかりました。しかし、白人姿のままの方が、好都合なのではないでしょうか? 彼らには、もはや我々の助けは望めないのですから」 「まあ、そうなんじゃが。しかしな……」 そこで老人は、にやりと片目をつむってみせた。 「イザナギが青い目をしてちゃ、格好がつかんじゃろ?」 |