幸せ

50畳はあろうかという、だだっ広い一室。囚人どもの収容施設だ。

俺はそこで看守をしている。つまり奴らが逃げ出さないように見張っているのだ。もっとも、収監されて一年以内の新人くらいしか、逃げ出すガッツのあるような奴はいないんだが。

奴らはここで、ただひたすら肉体労働を課せられる。カチカチに固いパンとぬるい野菜のスープ。それを一日二回食わせるだけで、あとはひたすらこき使うのだ。夜になれば養豚場の豚のように、だだっ広いこの部屋にすし詰めにされて眠る。

まったく、地獄のような生活だと思うのだが、不思議なことに最初は文句を言ったり逃げ出そうとする奴も、一年もしないでおとなしくなる。にごった瞳は焦点を結ばなくなり、一日中ぼーっとしたまま、何一つ文句をいわずに働くようになるのだ。

人間というのは、どんな状況でも、やがて慣れてしまうものなのだろう。もっとも、こんな自分の意志を失った奴らを、俺は人間なんて呼びたくないがね。

ま、面白い仕事ではないが、基本的に奴ら豚は聞き分けがいいから、そう忙しい思いをすることもない。朝起こして点呼をしたたら、飯を食わせてそのまま働かせ、終業時間になったら集めて点呼。そして飯を食わせて寝床に放り込む。それだけだ。

空いた時間は漫画でも読んでいればいいのだから楽なものさ。奴らの仲間に買収されないように、給料もかなりの額をもらっている。これで、この退屈ささえなければ、ホント、天国なんだが。

まあ、これ以上気楽な仕事は、そうあるものじゃないだろうし、欲を言い出したらきりがない。少なくともここにいる豚どもよりは、俺はずっと幸せなんだ。そう思って、退屈な日々を過ごしている。

人生なんてこんなモンさ。これが人生って奴だ。

なんて油断していたのがまずかった。

入ったばかりの新人がひとり、脱走しやがったのだ。もっともここのセキュリティは完璧だから、あっという間につかまったのだが。しかし、俺の落ち度は落ち度だ。しかもそのときは運悪く、仕事をサボって部屋の女の子を連れ込んでいた。これが致命的だった。

俺は今まで見張っていた奴らの中に、放り込まれることとなった。

絶望に、一瞬、死まで考えたよ。だってそうだろう?奴らの中に入ったら、間違いなく復讐されるに違いないんだから。あえて俺を放り込みリンチでもさせて、奴らの不満を解消しようというたくらみなんじゃないか?とさえ疑ったよ。

しかし、入ってみれば拍子抜け。

誰も俺をどうにかしようとする奴はいなかった。それどころか、俺が元の看守だということにさえ、気付いてない奴がほとんどだった。これには俺も唖然とするしかない。

そりゃあ食い物の中に鎮静剤か何かは入っているのかもしれないだろうが、それにしたってこいつらは大人し過ぎる。生きているのか死んでいるのかさえわからないような気がするね。まったく、人間じゃない。

その後、俺は何度か脱走を試みたのだが、ことごとく失敗に終わり、俺の心は絶望とあきらめで、だんだん無感動になってきた。

今じゃ、夜中にトイレに行く奴が俺の足を踏んだって、「あいてっ」とヒトコト言うだけで気にもならない。はじめの頃はそれこそ、そのたびにケンカしていた。もっとも、向こうはケンカに乗ってくるわけじゃないから、一方的に殴り倒して終わりだったんだが。

そんなある日、俺は夢を見た。

夢の中で俺は、何もない大地の上に独りで立っていた。前後左右に延々と広がる広大な世界。はじめこそやれやれとさっぱりした気持ちになったが、そのうちだんだん心細くなってくる。

まったく変化のない景色、無音、無刺激。そういったものは、ごくわずかな時間で人間の精神を蝕む。人間というものは、刺激のない状態に置かれると、早い者では数時間で、正常な精神を保てなくなるのだ。

荒涼としたその世界で、俺は孤独に気が狂いそうになる。慌てて飛び起きると、現実の俺は豚小屋の中。周り中に人がいる中で、俺はほっと安堵のため息を漏らす。

なるほどね。

こう言う仕掛けだったのか。つまり、食い物に混ぜられた薬品か何かの作用によって、こう言う夢を見せているのだろう。確かにあの孤独に比べたら、ここもいくらかはマシだ。俺は、あきらめの中で納得した。

それからは、毎晩あの夢を見るようになった。心臓をわしづかみにされるような、なんともいえない孤独の中で、俺は荒野を独りさまよう。悲鳴をあげて夜中に起きることもしばしばだった。起きて嫌な汗をぬぐっていると、他にも何人か悲鳴をあげている奴らがいる。

きっと彼らも同じような夢を見ているのだろう。俺はそれで少し救われたような気がして、薄汚い布団にもぐりこむ。今度は朝まで眠ることが出来た。

 

今日の夢は、いつもと少しだけ違った。

えんえんと荒野を歩く遥か向こうに、人影が見えたのだ。俺は大声をあげて手を振ると、人影に向かって走り出した。向こうも俺に気付き、同じように駆けてくる。

俺たちは荒野の真ん中で、喜びに抱き合う。それから二人でいろいろな話をして時を過ごした。目がさめてからも、いつもと違って幸せな気分で働くことができた。黙々と働きながら、今朝の夢のことを思い出している俺の前に、突然人影がさす。

顔を上げると、目の前にはひとりの男が立っていた。俺は驚いてその顔を見つめてしまう。そう、彼は夢の中で孤独を慰めあった、例の男だったのだ。彼の目にも喜びが満ち溢れている。

俺たちは黙って握手をした。看守が見ているから、あまり派手なことは出来ないのだ。それからすぐ、お互いの持ち場に戻ったのだが、彼がこのフロアのどこかで働いているという事実は、俺の心を慰めた。

その晩も、俺たちは夢の中で会った。ふたりで荒野を歩いてゆくと、目の前に街が見えてくる。街にはたくさんの人がいた。よそ者の俺たちは最初警戒されていたが、酒場に入って呑んだくれるうちに、周りの奴らとも打ち解けることが出来た。

そう、俺は夢の中で美味い酒を飲んで、ご機嫌な夜を過ごしたのだ。

朝、起きても、その楽しい気持ちは続いている。そして、そのまま仕事に出ると、もっと驚くことが俺を待っていた。なんと、今まで豚だと蔑んでいた連中の顔に見覚えがあるじゃないか。

昨日の夜、楽しい酒を飲んで一緒に騒いだ面々の顔が、そこにあふれている。昼間の彼らはぼーっとして、瞳にも光がない。たぶん、そういっている俺の顔も似たようなものだろう。

俺はもくもくと仕事をこなす。夜になると急いで布団に入った。

思った通り、夢の中ではみんなが生き生きと笑っている。俺も楽しくなって、大声で笑いながら、みんなの中に入っていった。目いっぱい遊んでご機嫌な夜を過ごすと、へとへとになって朝を迎える。

夜の疲れでいつもよりさらにボーっとしながら、一日を過ごした。

もともと単純作業だから、体のほうが勝手に動いてくれて、俺自身は何も考えずに半分眠ったまま、一日が過ぎてゆく。回りの連中と一緒に、急いで晩飯をかきこむと、とっとと布団にもぐりこむ。

楽しい時間が待っているんだ。

 

俺は、妻と子供が他の子供たちと公園で遊んでるのを、目を細めて眺めている。平凡なりにいろんなことがあったが、俺は今、幸せだ。

同じように家族を見ながら微笑んでいる友達に向かって、ポケットからウイスキーの小ビンを取り出してすすめた。彼は笑顔でうなずくと、ぐいと一口あおる。そしてウイスキーを返しながら、つぶやいた。

「なあ、俺たち幸せだな?」

俺は家族を見ながらうなずく。

「ああ、幸せだ。このまま天寿をまっとうできれば、もう、言うことはないよ」

「確かにな。でも、最近歳なのか、やたらと体のあちこちが痛むんだよなぁ。それに、なんだか眠りも浅くなったような気がする」

「俺も同じさ。夜中に突然、足に激痛を感じて起きてしまったりするんだ。まるで、誰かに踏んづけられたみたいにさ。もっとも、そんな時はたいてい嫌な夢を見てるから、かえって助かったりもするんだがね」

「ははは、やっぱりみんな同じなのか。それじゃ仕方ないな。しかし、おまえでもそんなに怖い夢を見るのかい?」

「ああ、怖いぜ?なんたって夢の中で起きると、今までこそが全部夢でした、なんてオチなんだから」

「ははは、まさに夢オチだ。しかし、そんな風になったら本当に怖いな。それじゃあ、俺も、お迎えがくるまでは精一杯生きることにしよう。夢でした、なんてことにならないように」

「ははははっ。一生懸命積み重ねてきたんだ。これが夢でたまるものか。これは俺の人生だ。愛する家族のためにも、お互いがんばろうじゃないか」

「そうさ。それが人生ってモノだ」

そう、これこそが人生ってモノだ。

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