| はいからさんが通る |
本作は、拙作「冬一郎参上」のサイドストーリーとなっております。もちろん単独でも話は通っていますが、興味をもたれた方は本編の方も、どうぞご覧ください。 時は台正時代。 明示の動乱も記憶の彼方に去り、斜陽に向かう士族や華族を尻目に、帝都はかつてない活気に満ち溢れていた。時代の主役は明らかに庶民に移っている。 ちりんちりん。 ほら、そんな時代の主役のひとりが、愛車に乗って勇ましく駆けてきた。束ねた髪に赤い大きなリボンを結んで、袴のすそからブーツをのぞかせたこの元気な女の子が、常盤(ときわ)まひる。海軍少将、常盤無間(ときわむけん)の長女で、近所でも有名なおてんばだ。 近いうち、有力士族の伊達家に嫁ぐなんて噂もあるが、本人にはそんな気がカケラもないことは周知の事実。常盤少将も娘の事では頭を抱えていると聞くから、稀代の名将も人の親なんだと、街の人々が面白がるのも無理はない。まあ、そんなところもまひるの人気の秘密かもしれないが。 「う〜ん、いい天気っ!これはアレね。お日様が遊びに行けって言ってるね、間違いなく。あ、そーだ。海に行こう」 強引なローカルルールによって学校をサボる事に決定したまひるは、お弁当をくくりつけた自転車を海に向けた。 「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ、まひるさん。また勝手に学校をサボったりしたら、私が少将に叱られてしまいます」 声をあげてまひるを止めるのは力王だ。 常盤少将にほれ込み、隠れ里をでて帝都までついてきた物好きな忍者である。この台正の世に忍者の活躍する機会などめったにないので、ついてこられて処遇に困った少将が、ボディガード代わりにまひるのお目付け役を命じたのだ。 力王本人はこの処遇にひどく不満を持っていたが、それでも敬愛する少将に「頼むぞ?」と肩を叩かれれば、うなずくしかない。そんなわけで隠れ里のラストニンジャ力王は、155センチ50キロの筋肉質で小柄な身体を翻し、日夜まひるの尻拭いに奔走しているのである。 「だったら力王はこなくていいよ。私ひとりだって大丈夫だから」 俺だって本当はそうしたいよ、と小さくつぶやきながら、力王は無言のまままひるの後について走ってゆく。まひるがどれだけ自転車を飛ばしても、平気な顔のまま走ってついてくるところは、さすがに忍者の末裔である。 海岸は閑散としていた。まだ春先なのだからあたりまえだが。 海岸に沿って歩いてゆくまひるは、冷たい潮風を心地よく感じていた。自転車でかいた汗があっというまにひいてゆく。その後ろには影のように力王がついている。こちらはもとより汗のひとつもかかずに、あたりを警戒しながら歩いてゆく。 「そんなに緊張しなくても、危ない事なんかあるわけないじゃない。まったく、心配性なんだから」 「いや、そうでもないようです」 振り返ってみると、力王は前方を睨んでいた。あわてて前に向きなおると、前方に人影がある。近づくに連れその輪郭がハッキリしてきた。 海を眺める老人と、その横でこちらを睨んでいる若者だ。若者はまひるたちが近寄ってゆくと、警戒した表情を見せる。力王がまひるの耳元でささやいた。 「相当な使い手です。まひるさんは下がっていてください」 それを聞いて肩をすくめたまひるは、若者には目もくれず老人に向かって叫んだ。 「おじいさーん。何が見えるの?」 その声に振り返った老人は、傍らの若者が何か言いかけるのを制すと、にっこりと微笑んだ。見る者を心の底から安心させる、優しい笑顔だ。 「うむ。ちくと疲れたきに、海を見にきた」 「あれ?おじいさん高知の人?」 「ははぁ、わかるかよ」 「うん、友達にね、高知から来た子がいるの。転校初日に土佐弁を馬鹿にされていじめられていたから、私がそのいじめっ子達を引っ叩いてやったのよ。それから仲良くなったんだ」 「ははは、そりゃ同郷の者が世話になったぜよ。代わりに礼を言わせて貰うぞな」 「その子の代わりにお礼を言うの?へへへ、なんか変なの。おじいさん面白いね」 すっかり世間話をはじめた二人に、お互いの付き人は毒気を抜かれ、それでも警戒しながら立っている。その様子を見ていた老人は、護衛の若者に声をかけた。 「菊島ぁ、そげん気ぃ張ってたら、疲れるじゃろ?おまんもこっち来て、海でも見りゃあええが」 「いえ、私は……」 「そーだよ、菊島君。いっしょにお話しようよ。私は常盤まひる。そっちの目つきの悪いのは、力王って言うんだよ。私のお守をさせられているから、だれにでも突っかかるの。根はいい人なんだけどね」 まひるのセリフに、菊島と呼ばれた青年は思わずふき出してしまった。力王に向かって頭を下げると、にっこりと笑う。 「力王さん、失礼しました。私もこのお方の護衛をしているので、ついつい用心深くなってしまいまして」 菊島の言葉にあいまいな顔でうなずくと、力王はそのまま黙って立っている。あくまでボディガードとしての立ち位置を崩す気はないらしい。 「さぁ、菊島君。そんな無愛想な男は放っておいて」 まひるがそう言っても、菊島はニコニコとうなずくばかりで、ちっとも近づく気配を見せない。こちらも護衛としての職務を全うするつもりなのだろう。呆れたまひるは処置なしと言った体で肩をすくめる。 そして老人に近寄ってゆくと、そばにぺたりと座り込んだ。 「疲れたから海を見に来たって言ってたね?おじいさんはまだお仕事してるの?」 「まひるさんちゅうたかの?わしゃあ、海が好きじゃき、往生すると海ぃ見に来るンぜよ」 「へえ、なんか困ってるんだ?」 「ああ、往生しちゅう。わしゃ「べこのかぁ」(馬鹿者)じゃき、頭ぁ使うんわ苦手なんじゃが、なかなかそうも言っちょれん。こんなじじいでも頼ってくる奴がおりゃあ、力になってやりたいがやき」 「ふーん、さすが土佐っぽ、男気があるじゃない」 まひるが感心したように言うと、後ろに立っていた菊島がたまりかねたように笑い出す。それを見て、老人はにっこりと笑う。 「菊島ぁ、おまんそげな笑顔も出来たんじゃの?わしゃぁ、はじめて見たぜよ。そのほうがよっぽど男前ぞね」 「うん、なかなかかわいい顔してるよ?」 ふたりに攻め立てられ旗色が悪くなった菊島は、助けを求めるように力王を見た。力王はふいと横を向いて知らん振りを決め込んでいるが、その口元は笑っている。 「まひるさん、噂じゃエライおてんばじゃ聞いちょったが、なんの実に可愛らしいご婦人じゃき。わしゃ気に入ったぜよ。おかげで元気が出た」 「え?おじいちゃん、私のこと知ってるの?」 「お父さんとは友達じゃき。今日は楽しかったぜよ。ほたらバイぜ」 まひるがびっくりしているうちに、老人はひょいと立ちあがる。菊島青年はまひると力王に向かって頭を下げると、老人の後に続く。二人は、風のように去ってしまった。 その後ろ姿を見送ったまひるは、くるりと振り返ると、力王に向かって笑顔で言った。 「ね、力王。面白いおじいさんだったね。お父さんと友達って言ってたけど本当かなぁ?」 まひるのせりふを聞いた力王は、肩をすくめて大げさに嘆息すると、あきれたといった様子で苦笑いをする。 「まひるさん、本当に判ってなかったんですね?」 「え?なにが?」 「あのご老人のことですよ。友達もなにも、少将が今日の話を聞いたら、びっくりしてひっくり返りますって。まぁ、多分あのご老人も自分の事がわからないまひるさんに驚いたと思いますがね?菊島とか言う男も笑っていたじゃないですか」 「なによ、力王。あのおじいちゃんが誰だか知ってるの?」 「みんな知ってますよ」 「え〜?だれなの?」 たぶん、久しぶりにいち私人として、変な気を使われずに話せた事が、国政に疲労したあの老人を慰めたのだろうな、と思いながら、力王は答えた。 「今はもう引退なさって、政治顧問みたいな事をなさってますがね。間違いありません。あの方は、初代内閣総理大臣、坂本竜馬先生です」
常盤少将は驚いていた。 前内閣総理大臣であり、今は日本の政治顧問であり、海軍軍人にとっては神様みたいな人物である坂本竜馬先生に呼び出されたのが今日。 驚きながらもおっとり刀で駆け付けて見れば、その生ける軍神から聞かされたのは、娘を自分のところに預けてみないかと言う話だった。 卑俗な意味で若い娘を欲しがるような人物ではないから、どう言う意図があるのかと思っていると、なんと先日娘と偶然出会い、ひどく興味を持ったなどと聞かされたのだからたまらない。 返事を保留して慌てて娘に電話で詰問すれば、なんと事実だというではないか。竜馬の元へもどった常盤少将は慎んで申し出を受けた。憧れの坂本先生に言われた事であれば何より優先する。 しかし、了解した後に竜馬の話を詳しく聞いた少将は、今度こそ本当に安心して娘を彼のもとへ預ける事を快諾した。その話の詳細は後に。 とにかくまあそんな経緯で、その週末、まひるは坂本邸にいた。目の前にいるのが日本をすくった立役者のひとりと聞いても、まひるの態度にそう変化はない。教科書に乗ってるような人と喋れるなんて、なんか面白いじゃない、くらいのものだ。 竜馬の隣には先日の若者、菊島十太夫円心(きくじまじゅうだゆうえんしん)の姿が見える。その若さにして、捕手神明菊島流「腰の廻」(とりてめいしんきくじまりゅうこしのまわり)の総領をつとめる使い手なのだが、まひるには普通の若い男にしか見えない。そんな武術の達人にはとてもじゃないけど見えないなぁと言うのが正直な感想であった。 どうも周りが騒ぐほどすごい人に見えない二人の前で、まひるは一応大人しく座っている。もちろんおかしなことを言われれば、即座に席を蹴って立つ構えだ。父親がなんと言おうと、まひるはまだ17歳。色んな事に挑戦してみたい年頃の女の子なのである。 「まひるさん、わざわざ呼び出してすまんちや」 「おじ…じゃなくて坂本先生。一体どういうご用件なんです?父から言われてとりあえずここまでお伺いしましたけれど、もし……」 「まぁまぁ、そう構えんで。常盤君がおまんを伊達家に嫁にやるちゅう話していたのをちくと耳にはさみよったき、ここに呼んだンぞね。わしンとこに呼ばれた聞きゃあ、伊達も煩い事ぁ言えんきに。こないだ、楽しい思いをさせてもらった礼ぜよ」 まひるは唖然とした後、ぷっとふき出した。 「なんだ、そう言うことだったんだ。ありがとう、坂本先生。あの縁談には本当に困っていたのよね。おかげで助かったわ」 「ふふ、竜馬でええよ。時にまひるさん、おまんは卒業したら何になるつもりじゃ?なんか、やりたい事でもあるんか?」 まひるはちょっと考えてから、竜馬の目をしっかりと見据えて答えた。 「今は何もありません。それを探しに学校へ行くと言うのじゃ、ちょっと情けないですか?」 「そんなこたぁあらんが、もしよけりゃ、わしンとこで政治を学んでみんかね?わしぁ、おまんはものを斜(はす)に見んき、面白い政治家になる思うちょるんじゃが。どうぜ?」 竜馬の意外な言葉に、まひるも菊島十太夫も、驚いて二の句が告げない。そんなふたりの様子を見て、竜馬は面白そうにニコニコしている。老いたりとは言え、彼の子供のような性根は、ちっとも変わっていないのだ。 「女が政治家ですか?」 驚いた十太夫に、竜馬は真顔で向き直ると、厳しい声で言う。 「女が政治をやってなんがいかんちや?わしゃ常々言っとろうが?仕事に男も女もないぜよ。大切な仕事は、力のある者がやりゃあええんじゃ」 十太夫は大人しく頭を垂れて、竜馬に詫びた。その様子を見ていたまひるは、急に大きな声を上げる。 「うん、面白そうだ。やってみるよ。それに世の中の男は、今の菊島君みたいに何かって言うと「女が」って言うからね。それをひっくり返してみるのもいいかもしれない」 すると今度はまひるに向かって真面目な顔をした竜馬が、優しい声音で話し出す。 「それは違うぜよ、まひるさん。ひっくり返して同じ事をしていたら、いつまでたってもなんも変わらぞな。男だ女だなんてこまい事にこだわっちょらんで、日本人すべてのことを考えないかんぜよ。それが政治家の仕事じゃき」 まひるははっとして竜馬を見ると、深くうなずいてにっこりと笑った。 「はい、判りました。先生、私に政治を教えてください。私、今以上に住みやすくて、力のある人が男女関係なくきちんと評価される、そんな日本を造ってみたいです」 「日本を造る……」 まひるの口から出た言葉に、十太夫は驚きつつも感心していた。 「あなたは、日本を造ってゆくつもりなのですね?変えるとか守るとかじゃなくて。明示維新からこっち、政治家でさえ今の構造の安定化を図ったり、細かい修正を考えていると言うのに、あなたは日本を造ってゆくと言うのですか?」 「だって、今のまま固まっちゃったら、困るのは私達だもの」 竜馬は嬉しそうにまひるを見たあと、十太夫に向かって微笑んで見せた。 「菊島、わしの目はまだまだ曇っちょりゃせんじゃろが?この子は男だ女だの前に、政治家向きの「人間」だぜよ。別に欲しくもなかったが、せっかく持っちょる力じゃ。わしゃぁ、そいつを使って、この子を早いトコ政治家にしちゃるぜよ。どがいぜ、面白くなってきたろうが?」 十太夫は竜馬の前に膝をつき、凛とした様子で一礼した。 何事かとびっくりしているまひるの前で、張りのある声が話し出す。 「先生、先日から仰っていた話の真意が、このぼんくらにもようやく理解できました。先生の仰る通り、私は本日只今をもって先生の護衛役をご辞退させていただきます」 「菊島君、辞めちゃうの?」 問うたまひるに正座のまま身体を向けると、十太夫は晴れやかな顔で笑った。そのとろけるような笑顔に、まひるの心臓がどくんと波打つ。 「これから先、この菊島十太夫円心は、常盤まひる殿をお守りする刀になります。あなたは後顧の憂いなく、政治道に邁進なさってください。この菊島が、何者たりともあなたを傷つけさせません」 真摯な顔で語る十太夫の言葉は、聞き様によっては愛の告白にも聞こえた。びっくりしつつ真っ赤になったまひるは、なにやらごにょごにょと口の中でつぶやいている。 政治道に邁進って、相撲取りじゃないんだからね?などと言っているようだが、十太夫の真っ直ぐな目と晴れやかな笑顔の前では、語尾が小さく消えかかってしまうのも致し方ないところであろうか。 もちろん竜馬は、その様子を見ながらニヤニヤと笑っていた。政治的な話とは別に、こういう魂胆もあったのだ。それがあったればこそ、娘の先を思う常盤少将も竜馬の話を快諾したのだろう。 没落寸前の士族と、竜馬の側近。常盤少将がどちらがいいと判断したかは聞くまでもない。もっとも、竜馬の真意が娘を政治家にする事だと知ったら、今度は違う頭痛の種が増える事も間違いはないのだが。 「というわけじゃ、まひるさん。おまんは今日からここに住んでわしの付き人じゃ。もちろん、学校にも行ってしっかり勉強すること。サボって海に行くのは、もういかんぜよ?」 急に素敵に見え出した十太夫。政治家になれという竜馬の言葉。 色んな事が錯綜して、まひるの頭の中はめちゃくちゃにこんがらがっていた が、それでも、まひるはふたりに向かって頭を下げた。 「よろしくお願いします」
その日は、まひるにとって特別だった。 坂本竜馬の没後、その政治理念を引き継いだまひるは外務大臣に就任し、第一次世界大戦となるべき未曾有の世界危機を 防ぐと言う快挙を達成した。 そのたぐいまれなる外交手腕と強力な国民の支持のもと、かつて薩長同盟成立に奔走した師匠よろしく世界を飛び回り、ついにその危機を回避すると言う離れ業をやってのけた のだ。 これによって内外からも圧倒的な支持を受けたまひるは、今日正式に党首就任が決定する。本邦初の女性(次期)内閣総理大臣は、ご飯と味噌汁、漬物と焼き海苔、それに焼き魚と言う、きわめて一般的な朝ご飯を食べながら迎えの車を待っていた。 やがて力王の運転する車が、まひるの家の前につく。それを受けて十太夫はまひるにその旨を伝えた。二人はまるで夫婦のように、クルマの後部座席に乗り込む。群がる報道陣を掻き分けて、クルマは走り出す。 しばらく走っていると、突然、まひるの車の横に大型バスが現れた。窓をすべて鉄板でつぶしたそのクルマは、装甲車のような不気味な雰囲気をかもし出している。 「菊島さん」 「ああ」 力王と十太夫の間で、短いやり取りが成される。 と、次の瞬間、まひるを乗せた車は急ブレーキをかけてバスをやり過ごす。数十メーター先に慌てて停車したバスから、ばらばらと人が降りてきた。手に手に獲物を持った男たちの目的は、もちろんわかっている。 まひるが総理大臣に就任する事を面白く思わない輩が放った刺客たちは、あっという間に車を取り囲む。総勢10名だ。 「10人いればどうにかなるかと思ったのかね?菊島さん、俺たちずいぶんと舐められたモンじゃないか?」 「とりあえず俺が行く。力王はまひるさんを守ってくれ」 力王の軽口には取り合わず、十太夫は引き締まった顔で車外に出る。その後ろにまひるが声をかけた。 「十太夫さん、気をつけて」 十太夫はにっこりと微笑み返すと、男たちに向かって歩き出した。十太夫が充分男たちをひきつけたところで、力王は突然アクセルを踏み込むと、そのまま全力で走り出す。 「力王!どうして?」 「俺たちの仕事は、まひるさんの安全ですから。こんな事は菊島さんとの間で何度もシミュレートしました。まひるさんは心配しないで、菊島さんを信じていればいいんです」 「でも」 心配そうにそう言ったまひるに、前を睨んで高速で車を飛ばしながら、力王が背中で答えた。 「好きなんでしょう?菊島さんが」 「な、なに言ってるの?こんな時に」 「好きなんでしょう?俺はずっとまひるさんの傍にいましたからね。判ってるつもりです。首相になってひと段落したら、菊島さんと祝言を挙げるといいですよ」 「力王!」 複雑な表情で答えたまひるに、力王はちらとだけ振り向いて笑いかけると、優しい声で続けた。 「他の奴ならともかく、菊島さんなら俺にも異存はありません。それに放って置いたら二人とも、全然そんな話になりそうもないですからね。まあ、最初で最後のおせっかいですよ」 もちろん力王もまひるの事が好きなのだ。だからこそ力王は、まひると十太夫について、だれよりもやきもきしていたのである。 まひるを守りながらいつもいっしょにいるうちに、力王は十太夫の男っぷりにも惚れ込んでいた。なんとしてでも、このふたりには幸せになってもらいたい。それが力王の本音であった。 セレモニーの会場には、たくさんの人間が集まっていた。そこまで送り届け、SPに後の仕事を任せると、力王はやっとひと心地つく。それから車にとって帰ると、十太夫を下ろしたところまで、全開で走り出した。 ものすごい勢いでふっ飛ばしたのだが、力王がついたときには刺客を全員拘束した十太夫が、のんびりとタバコを吹かしながら力王の迎えを待っているところだった。力王は小さく「さすが」とだけ言うと、十太夫を乗せてまたも走り出す。 「菊島さん、まひるさんにも言ったんだが……」 先ほどの話を告げると、十太夫は真っ赤になって驚いた。その様子はとても10人を瞬時に片付けた武道家とは思えない。力王は苦笑しながら、「なに言ってもだめですよ。祝言の段取りは俺がつけますからね?」と笑っていた。
ふたりが会場についたときには、すでにセレモニーは佳境を迎えていた。まひるが内閣総理大臣に就任する事を承諾したときには、会場に訪れた人々だけでなく、周りに集まった民衆までが、みな喝采の叫びを上げる。 最前列近くにまひるの父、常盤無間の姿を見付けた力王と十太夫は、そっと近くまで寄っていき、祝辞を述べた。いまや元帥に昇進し、日本の守護神たる常盤無間は、目に涙をためながらふたりに何度も謝辞を述べる。 この二人がいなければ、まひるはこれほど走りつづけてはこられなかっただろうと言う事を、だれよりも彼が理解していたのであった。 その場所から三人で、まひるの晴れ姿を眺めていた。力王は途中で元帥に先ほどの話を耳打ちする。驚いた元帥は、十太夫に気持ちを問い正した。 「菊島さん、あなた本当にまひるを貰ってやってくれますか?」 「そんな、元帥。私の気持ちなどより、まひるさんがどう思っているかではないですか」 「ははは、菊島さん。まひるの気持ちなど聞かなくても判っていますよ。あの子はたまに帰ってくると、ずっと菊島さんの話をしていますから。で、菊島さんの気持ちはどうなんです?」 十太夫は照れながら、しかし胸を張ってまひるを愛していると答える。その言葉に元帥も力王も、心からの喜びを覚えた。 「元帥閣下、これは早速祝賀の用意をせねばなりませんよ?まひるさんの総理就任にくわえて、婚約発表までする事になるのですから。いやぁ、楽しくなってきたな」 「こら、力王。そう、はしゃぐんじゃない。それよりおまえはどうする気だ?さすがに新婚家庭にいっしょに暮らすわけにはいかんだろうが?」 それでも嬉しそうにそう言った元帥に向かって、力王は真面目な顔で向き直ると、真摯な口調で話し出した。 「元帥閣下、私はあなたに惚れて里を出ました。ずいぶんと長い間まひるさんについていましたが、これからは菊島さんひとりに任せていいですよね?私は、元帥閣下の傍で、閣下の力になりたいのです」 常盤元帥はその言葉を聞いてまた涙を流した。こんどは娘のためにでなく、自分をこれほど慕ってくれる、力王の男気に泣いたのだ。十太夫も二人を見ながら胸を熱くしていた。 これだけ長い間、常にまひるを見つづけ、守りつづけた男たちが、三人同時にまひるから目を離したのは、おそらく初めての事だったろう。三人はその男の不穏な空気を見逃してしまった。 最初に気付いたのは力王だった。ほとんど同時に十太夫も気付く。十太夫が気付いたときには、すでに力王が走り出していた。 招待客にまぎれていたその男は、すばやく壇上に駆け上がると、隠していたプラスティックナイフでまひるに襲い掛かった。SPが気付いて壇上に上がるより早く、力王はひとっ飛びで舞台に跳ね上がる。155センチの小柄な体躯が、風のように走った。 暴漢のナイフはまひるに届く寸前に目標を見失う。力王がまひるを突き飛ばしたのだ。突き飛ばした力王の身体は、当然まひるがいた場所を通過する。プラスティックナイフの鋭い刃先は、力王の身体にするりと刺しこまれた。 ほとんど同時に十太夫が男を捕らえ、瞬時に捕縛する。そこへようやく駆けつけたSPにその身柄を渡すと、十太夫は力王に駆け寄った。 「力王!力王!」 腹から大量の血液を流しつつ、力王は笑っていた。 「へへ、ドジ踏んじまったよ、菊島さん。まひるさんのこと、頼んだよ?」 「喋るな。じっとしてろ!おいっ!救急車!救急車だっ!」 万が一のために用意されていた救急隊が駆けつけ、力王の身体をタンカに乗せる。そのころになってようやく放心から解けたまひるは、悲鳴をあげながら力王にすがりつく。 「力王!力王!」 力王はまひるに向かって優しく微笑むと、か細い声でつぶやいた。 「ねえ、まひるさん。菊島さんと結婚して幸せになってくださいね?俺の最後のお願いですよ?」 「わかった!わかったから!だから力王、死なないで!約束するから!力王!力王!」 すがりつくまひるを、十太夫が引き剥がす。力王は嬉しそうににっこりと笑うと、十太夫とまひるを見ながら運ばれてゆく。 「よかった。これで安心して……」 「力王ぉ!」 まひるの悲壮な叫びが、静まり返った会場に響き渡った。
墓の前で手を合わせていたまひると十太夫は、後ろからやってくる人の気配に気付いた。二人同時に振り向くと、そこにはまひるの父、常盤元帥が立っている。手に持った花束を墓前に添えると、一升瓶の栓を開けて墓石に注ぎかけた。 「この間、綾瀬で見つけた絶品の地酒だ。きっと喜んでくれるだろう」 常盤元帥の言葉に、ふたりは無言でうなずいた。 三人の心の中には、それぞれの思いが去来しているのだろう。だれも言葉を発しないまま、しばらく時が過ぎる。 やがて常盤元帥が、墓を指しながらまひるに向かって問うた。 「何を話したんだ?」 まひるは優しい微笑を浮かべながら答える。 「あなたに恥ずかしくないように、日本を世界で一番素晴らしい国にしてみせるって話していたんですよ」 「そうか……菊島君は?」 問われた十太夫は、凛とした顔で答えた。 「まひるは日本の国を造ります。私はまひるを守り通します。それだけです」 常盤元帥は深い理解と共に、ふたりにうなずいた。それから空を見上げて、大きく伸びをすると、穏やかな笑顔で言った。 「力王はどうしているかなぁ」 二人も空を見上げて微笑んだ。 丁度その時、三人が見上げた先に立つ建物…………国立病院の窓が空いて、中から男が顔を出す。 竜馬の墓前に集った三人に気付いた力王は、こちらに向かって大きく手を振った。 間一髪一命を取り留めた力王は、退院したがるのを元帥によって無理やり病院に押し込められている。そうでもしないとこの男は、まひると十太夫の結婚式を取り仕切りたくて仕方ないのだ。 「どうやら、元気なようですよ?」 十太夫の答えに、ふたりは大声で笑った。 真っ青な空に、とんびが美しい円を描いている。 まひると十太夫は寄り添って、力王に向かって手を振った。 |