| Grace of god〜神の恩寵〜 |
| 合わせ鏡の中から、悪魔が現れた。 「願いをひとつだけ、叶えてやろう」 しかも魂なんて要らないらしい。こりゃお買い得だ。 だが、古今東西この手の取引ってのは、悪魔との知恵比べみたいなもんだと相場は決まっている。さんざん悩んでから、俺はひとつの願いを口にした。 「人生のリセットスイッチをくれ」 悪魔が頷く。 と、次の瞬間には、俺の手に小さなスイッチが握られていた。 「好きな時に、人生の好きな位置まで戻ることが出来る。回数の制限はない。何度でも好きなだけ戻れる」 取り扱いの注意はそれだけだった。知恵比べは、俺の勝利に終わったようだ。 俺はとりあえず昨日まで戻って、仕事の失敗をやり直した。先がわかっているのだから、こんなに楽な仕事もない。何か失敗するたびにリセットしなおして、俺は出世して、幸せな家庭も築いた。 恋愛だろうが仕事だろうが、リセットが効く以上、失敗はありえない。そうして幸せに暮らし、臨終の間際にまたリセットする。 俺にとって人生はゲームだった。 浮浪者から大富豪から、ありとあらゆる人生を堪能した。その過程で得た知識により、次の人生ではもっと上手く立ち回る。リセットが効くと思っているから、大抵のコトに大胆になれるし、大抵の裏切りや失敗を許せるようになってきた。 俺が気をつけるのは、スイッチを入れる暇がないくらい唐突に死ぬことと、スイッチの意味がわからなくなるくらいの乳幼児に戻ること。 それだけだ。 時には他人に奉仕し、人のために生きる人生。時には欲望のままに、世界を動かす人生。世界中で、いや、歴史上俺ほど贅沢な人生を送ったやつがいるだろうか? しかし、どれほど面白いゲームでも、やがて人は飽きるのである。 ノーリスク、ハイリターンな人生は、やがて何の刺激もなくなってきた。たいていのコトは経験済みなのだから。 俺の選択は、人のために過ごす人生が多くなってきた。かつては悪ぶって生きた時代もあったが、それは遥か彼方、昔の話だ。欲望と言うのは限りある命だからこそ、膨れ上がるのだ。 どうせリセットできるんだし、それなら憎まれるより喜ばれたほうが心地いい。一瞬で死ぬことさえ気をつければ、俺は死なない。だから誰に対しても寛容なやさしい気持ちになれる。 いつの間にか俺は、何度人生をやり直しても、人々に「生き神様」と呼ばれるようになっていた。 俺はいつでも、この世界を滅ぼすことが出来る。だからこそ、世界中の人間が俺の子供みたいなものであり、愛しくてたまらない。俺は世界中の人間が幸せになるまで、何度も人生をやり直した。 そしてついにその時は来た。 世界中一人一人の情報を、瞬時に把握できるコンピュータネット〜人生何度もやり直しが効くのだ。こんな物を整備するのは簡単だ〜を見ながら、世界に誰一人、虐げられたり不幸な生活を送る者がなくなったと確信できる時がきた。 なんとなく、もう死んでもいいかな?と思えてきた。なぜって、せっかく俺の作り上げたこの世界も、俺がリセットすれば消えてしまうのだ。 もう一回やれば、もっと早くこの理想社会を実現できるだろう。 で? 出来る限り早く作れるようになったとして、そのあとは?俺の可愛い人間達は、俺が生きている限り永遠のループをさまようんだぞ? 俺はもういい。充分に堪能した。 死のう。 そう決心して、身体を清めてから死のうと、俺はバスルームに入った。バスルームには、壁一面の鏡がある。最高の世界を作るために奔走していて、そういえば自分の顔なんてろくに見ることもなかった。 俺は改めて自分の姿を見た。そして驚愕に言葉を失う。 俺の顔は、あの時の悪魔の顔だ。そして…… ああ、なぜ気付かなかったんだろう? この顔こそ、あの人の顔じゃないか…… 鏡に映っていたのは、十字架に張り付けられ、それでもやさしく笑っていた、あの人と同じ笑顔…… |