疑惑の果てに
自分の中で膨れ上がる疑惑を、どうしても消すことができない。

どんな疑惑かって? だれでも 子供のころ、一度くらいは持ったことがあるだろう。自分の周りの人間は、すべて俺をだますための芝居をしているのではないか? と言う、おなじみの疑惑だ。

自意識過剰が生み出す、 後で冷静に考えたら赤面してしまう疑惑。

もちろん、そう言われれば返す言葉もない。少なくとも30過ぎのいい大人が、思い悩む類の話ではない。ついこの間までは、俺だってそう思っていた。

俺は 子供の頃からカンがよかった。二者択一や三者択一の場面で失敗した記憶はほとんどない。だから俺は、自分のカンと言うものをとても大事にしている。

もちろんカンにだけ頼って生きてゆくわけには行かないが、それでもここぞと言うときは、カンに身をゆだねることを恐れない。そしてたいていの場合、よい結果につながるのだ。

そのカンがここのところ、ずっと警報を鳴らし続けている。

俺は今回も、そのカンに身をゆだねることにした。

同僚、友人、全ての人間を疑うことから始めよう。あまり心地のいいものではないが、仕方あるまい。俺はカンに従うと決めたんだ。

その日から俺は、これはと見当をつけた人間の動向を、可能な限り調べ続けた。探偵に依頼することはできない。誰が俺を騙しているのか、わからないのだから。

日々疑心暗鬼にとらわれながら、それでも何とか正気を保ったまま、ひたすらに調査を続けた。もっとも、この行為自体が、狂気の沙汰と言えないこともないだろうが。

その気になって調べてみると、みな隠していることが多いことに驚かされる。もちろんこれはプライバシーの侵害なのだが、この際そんなことにかまってはいられない。

俺は恋人のメールを盗み見し、友人の電話を盗聴した。

決定的な証拠はなかなか見つからず、俺は疑惑と罪悪感の板ばさみで、徐々に神経を蝕まれてゆく想いだった。

しかし、ここまでやっていまさらあとには引けない。それに、俺のカンは、いまだ警告を発し続けている。不安と恐怖に押しつぶされそうになりながら、それでも調査を続けた。

調査は、一年を超え、二年目に入り、ついにその時はくる。

俺の気が狂っていたのではなく、俺のカンは正しかった。

その証拠になる現場を押さえたのだ。

あるビルの一室。恋人の入って行ったその先には、俺の友人と同僚のうちでも仲のいいヤツラ。絶対に面識がないはずのもの同士が、一堂に会していたのである。

疑惑の正しさは、しかし、俺の心を慰めてはくれない。それどころか、裏切りに対する怒りと悲しみで、胸がいっぱいになる。

一方で俺の心は、これは何かの間違いではないか、何か納得のいく説明がされるのではないかと言う、一縷の望みもにすがっていた。

「おい! おまえら! これはいったいどういうことだ!」

飛び込んできた俺の叫び声に、やつらは意表を突かれたのか、完全に固まってしまっている。その様子は、疑惑を正当化するのに充分だった。

誰も言い訳をしようとせず、表情には、明らかに困惑とバツの悪さが浮かんでいる。もはや、俺の絶望は決定的となった。

怒りに震えながら、ゆっくりと全員の顔を確認する。たった一人を除いて、どれもが親しい人間のものだ。

一人の例外。

それは、銀縁のメガネをかけた痩せ型の、印象の薄い男だった。

「どういうことなんだ?」

みな顔を伏せて黙り込み、俺の問いに答える者はいない。

「教えてあげましょう」

そう言ったのは先ほどの、メガネの男だった。

「あんたは?」

「私は……そう、指導員とでも言いましょうか」

「指導員? いったい、なんの?」

「もちろん、この状況のです」

「説明してくれ。いったい、これはどういうことなんだ?」

表情の乏しい、いや、はっきり無表情といっていいだろうこの男は、淡々とした口調で話す。

「これはね、ゲームなんです。あなたの場合、正確に言うとその練習台かな? 数十人でチームを組んで、お互いにどれだけの人間を騙せたか、競い合う、と言う知的遊戯です」

「なんだと?」

映画でも見ているような、現実感のなさが俺を襲う。

「本来はゲーマー同士で騙しあうのがイチバン面白いんですけどね」

「そんなこと……だいたい、10人やそこいらで、人ひとりを騙し続けられるものか。いい加減なことを言うな」

「ふふふ。この話をはじめて聞いた人は、たいがい同じことを言うんですよ。あなたが、いままでの人生で出会った人。その全てがゲーマーってワケでは、もちろんありません」

とりあえず、世界の全てが俺の敵ではないらしい。もっとも、そんな事がわかっても、何の慰めにもならないが。

「でもね、人間、心を開いて深く付き合う友人など、高が知れてるんですよ。あなたの場合、その親友だと思っていた人たち、恋人だと思っていた人たちが、ゲーマーだったんです」

「そんな……まさか……」

言いながらも俺のカンは、男の言葉が真実だと告げていた。

今までの人生が、根底から音を立てて崩れてゆく。

恐怖と絶望で叫びだしそうになるのを必死で押さえつけながら、俺は話を聞き続けた。

「あなたの周りにいた、親友役や恋人役を演じていた人々は、初めてゲームに参加する、初心者でした。だから こんな風にボロを出して、かぎつけられてしまったんですがね。ほら、彼らみな、残念そうでしょう?」

つまり何か? 彼らの微妙な表情は、俺へのバツの悪さではなく、ゲームが終わってしまったことが残念だと言う、ただそれだけのことだったのか?

もはや、怒ればいいのか、泣けばいいのか、自分の心の表現方法さえ分からなくなってしまった。が、俺のそんな心にはお構いなしに、男は説明を続ける。

「あなたはね、初心者向けのSCPなんです」

「SCP?」

「simple credulous person、騙されやすい人と言う意味です。練習用ターゲットのことを、我々はそう呼ぶんです」

何がなんだか分からない。

「我々のゲームは複雑ですからね。初心者にいきなり参加されても、百戦錬磨のゲーマーたちは、面白くないんですよ。だからまず、SCPで練習して、人を騙すコツとか方法を飲み込んでから、改めて本戦に参加できるんですよ」

それが先ほどの、練習台という言葉の意味だったのか。なんと言うバカにした話だ。俺はむかっ腹が立つのを通り越して、めまいを覚えるほどだった。

しかし、同時に恐ろしい想像が膨らんできて、冷静さを取り戻す。

「そこまで教えてくれると言うことは、もしかすると、俺に残された選択肢は幾らもないようだな? おまえらに協力して他の人間をだます役者になるか、それとも消されるか 。そんなところか?」

「消す? 殺すと言うことですか? まさか。我々はそんな野蛮なことはしませんよ。これはあくまで知的遊戯なのですから。協力するもしないも自由ですし、お望みとあれば記憶を消して、もとの生活に戻してあげることもできます」

「へえ。それじゃあ、この真実を世の中にぶちまける、と言う選択肢も許されると言うことか?」

内心の恐怖を悟られまいと、少しでもふてぶてしく見えるように、俺は余裕の笑みを作って見せた。しかし、男には何の反応も見られない。相変わらず無表情のままだった。

「もちろん、かまいませんよ? もっとも、それを信じてくれる人がいなければ、我々には何の影響もありませんけれど」

考えてみれば、それもそうだ。こんな話、誰が信用してくれる?

それに、これだけのことをやってのける組織なのだから、俺の訴えなど、握りつぶすことは造作もないだろう。だいいち、訴えるといっても精神的な苦痛以外、具体的な被害と言うのがほとんどないのだ。

「で、俺は好きな道を選んでもいいわけか?」

「ええ、もちろんです。訴えるもよし、我々の仲間になってゲームに参加するもよし。ああ、それに、もうひとつの選択肢もありますよ? このまま何事もなかったように、今までどおり生きる、というのが」

「そして、むなしさを抱いて生きてゆけと?」

「ま、選ぶのはあなたです」

彼らは知っているのだ。俺が真実を知ったらどうするか。

同時に、さきほどの彼の言葉が思い出された。

(あなたは比較的初心者向けのSCP)

騙される者に、初心者向けだの、クロウト向けだのがあるか? だましが成功、あるいは失敗するまで、そいつが騙されやすいかどうかなんて分からないだろうに。

では、なぜそんな事が言えるのか? 答えはただひとつ。

騙すのが、初めてじゃないから。俺が騙されたのが、初めてのことじゃないから。俺に、騙された実績があるからだ。

俺は絶望的な敗北感を感じながら、男の顔を見た。無表情だった男は、ここで始めて表情を見せる。明らかな自信に満ちた顔を。

その顔を見て俺は思い知る。

俺にはこんな男たちと、渡り合ってゆく自信はない。そして、騙されたことを笑い飛ばして、新たな生活を続けてゆく器もない。

あたりまえだろう?

こんな経験の後、何を信じて新しい生活を送れというんだ?

どうやったら他人を信じて、心穏やかに生きてゆけると言うのだ?

しばらく思い悩んだあと、結局、選択肢は一つしかないことに思い当たり、俺は答えを出した。

おそらく何度も経験し、そのたびに選ぶ、これまでと同じ答を。

 

「俺の記憶を消して、元の生活に戻してくれ」

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