本質(マーマレードスプーンシリーズ)
俺は迷っていた。

和美と単車のどちらを取るか、でだ。

和美に呼び出された時、なんとなく話の内容は想像がついた。きっと、そのことだろう。むしゃくしゃした気分を抱えたまま深夜のファミレスに入ると、先に来ていた和美の前に座る。

しばらく無言でコーヒーをのんだあと、ようやく和美が切り出した。

「もう、バイクから降りて。私、これ以上不安な思いを抱えながら、あなたの帰りを待っているのに耐えられない」

「冗談だろう?単車は俺の全てだ。俺は単車乗りなんだぜ?」

「私はあなたを愛しているの。あなたが好きなものだから、理解しようと思ったわ。でも、もうだめ。どうしてあんな思いをしてまで、バイクに乗らなきゃいけないの?」

俺はつい半年前まで、病院のベッドにくくりつけられていた。最初の二ヶ月は、天井しか見るものがなかったと言えば、おおよそ事故の規模は想像つくだろうか?

「何度も言ってるだろう?俺は単車乗りなんだよ。ゆげさんやみんなと同じな」

ゆげさんは俺のいるマーマレードスプーンのアタマだ。

マーマレードスプーンってのはチームの名前じゃない。う〜ん、いったいなんと言えばいいだろう……

……そう、気構えだ。

〜舐めつづけると、甘いマーマレードはなくなって、スプーンの金属くささが口に広がると………事故とはそんな時にやってくる〜

(東元昌平著:キリンより)

つまりは、そう言うことだ。

リスクの味、マーマレードスプーンに魅せられた人間だけが集まる、チームでも、族でも、クラブでもない、ただの個人が居合わせただけのもの。それがマーマレードスプーンだ。

便宜上、アタマはゆげさんがやってるけど、けっして彼のもとに「集って」たり、「群れ」たりしてるわけじゃない。ゆげさんは、いつでも走ってるからなんとなくアタマってだけで、決まり事は一切ない。いつ走るとか、どこに行くとか、一切何も決めることはないんだ。

夜の街や高速でいつも見かける同じようなバカが、なんとなく集まってしゃべったり競争したりしているだけ。俺にはそんなマーマレードスプーンが、最高に居心地がいいのさ。

俺は和美の目を見ないようにしながら、つぶやく。

「俺は単車乗りであることで、ここまで生きてきた。そして、これからもそうやって生きてゆく。俺には単車しかないんだ」

「私には、あなたしかないのよ!」

俺は答える事が出来ない。

しばらくうつむいた後、和美は消えそうな声でつぶやいた。

「じゃあ、もう、私たち終わりね?」

泣きながら店を飛び出した和美を、俺は追わなかった。追えなかった。俺は迷ったまま、コーヒーをすすり、タバコをふかしつづけていた。

 

「バカじゃねえの?」

俺の話を聞いていたムラさんは、開口一番、吐き捨てるように言った。

「あらあ、キツいねムラさん。当たってるけどさ」

ムッとして見返した俺の後ろから、ノックさんが茶化す。

「つーか、ここの誰も、命なんかかけてないっつの。オメーだけだよ、そんなバカは」

「ノックさんは四輪だから、命賭けなくてもいいでしょうけどね。現にゆげさんなんて、足一本なくしても、単車に乗ってるじゃないですか。単車は命のかかる乗り物なんですよ」

「なにを、このやろう。俺の走りがそんなにヘタレかどうか、今から確かめてみるか?」

ムキになるノックさんを制して、ムラさんが低い声で言った。

「おい、ゆげの足の話なんて、簡単にするんじゃねえよ」

「はい、すいません」

ムラさんはゆげさんの次に速い単車乗りだから、俺は割りあい素直に言うことを聞ける。この二人の速さは、尋常じゃないからな。

「ガキだね」

トモさんが軽蔑したように俺を見ると、ため息とともにそんなことを言う。そりゃ、俺はリョウと同じで、ここじゃ一番若いかもしれないけど……

「そんなことじゃないよ、バカ。あんたが単車に命張ってるみたいに、彼女はあんたに命張ってくれてたんだろう?あんたがバカやって何度死にかけても、ずっとそばにいてくれたんだ。それがわからないから、ガキだって言うんだよ」

なんだってみんな、俺にカラむんだろう?

俺だって和美を失ったことは堪(こた)えてる。だけど、俺には単車を捨てることが出来ないから、和美と別れたんじゃないか。普通に暮らしてる普通の人に言われるならともかく、俺と同じような頭のおかしい連中に言われたくない。

「僕らが君と同じ?何の冗談だい?」

ハイドさんが肩をすくめて言った。そりゃトモさんやハイドさんは四輪乗りだけれど、本質的に俺とそう大した違いがあるわけじゃないだろうに。大人ぶって説教しやがるのは、なんとも気に入らない。

その時、ずっと黙って聞いていたゆげさんが、俺に向かって聞いた。

「ジュン、おめー和美ちゃんがどこに言ったか、ぜんぜん判らねーのか?」

俺はうなずく。

「実家に帰ったのかもしれないけれど。青森のどこだかって事しかわからないです。でも、もういいんですよ。俺は単車乗りですから」

他のヤツラはともかく、足一本失ってまで単車に乗りつづけているゆげさんには、このヒトコトで充分だろう。

ゆげさんは何も言わずにローライダーのエンジンをかけた。

ほらね。

説教していたほかの連中も、それぞれのマシンに乗って、エンジンをかける。そうそう、余計な理屈はいらないんだよ。俺たちは所詮、マシンしか愛せない異常者なんだ。したり顔で説教するより、そっちの方がよっぽど似合ってるぜ。

それでも、今日は俺の話のせいでみんなのノリが悪かったのか、夜中の3時を回る頃には、なんとなく解散になってしまう。

俺は和美のことを考えたくなかったので、もう少し走ろうと思っていた。すると、ハイドさんと何事か話していたゆげさんが、俺に近寄ってくるなり方頬を上げる。

「よう、ジュン。もう少し走らねえか?」

願ってもない話だ。ゆげさんの後ろだと、それほど無理をしていないのに、凄い速さで引っ張ってもらえる。ライン取りや流れの読み方は走りの参考になるし、何より夢中でゆげさんと走れば、余計なことは考えなくて済む。

散り散りに帰ってゆくみんなを尻目に、俺はゆげさんの後ろについて走り出した。

 

すっかり明るくなって、通勤ラッシュが始まる頃、俺とゆげさんは高速のパーキングにいた。疲れて縮こまった身体をゆっくりと伸ばし、缶コーヒーを飲む。

ああ、これだ。

やっぱり俺には単車しかない。和美のことはいずれ忘れられるだろう。

「まだまだだな」

ゆげさんに言われて、俺は少しへこむ。しかしまあ、後ろの俺を気遣いながら、なおかつあれだけの速度で走りつづけ、それでもちっとも疲れた顔をしていないゆげさんを見れば、そう言われても仕方ない。

「でも、そのうちゆげさんもぶち抜きますよ?見ててください」

俺がにやりと親指を上げると、ゆげさんはため息をついて首を横に振る。

「いや、無理だ。単車しかないなんて言ってるうちは、絶対に俺の前には出られないよ」

「どうしてです?単車乗りが「単車がすべて」と言って、何が悪いんですか?」

他のヤツラはともかく、ゆげさんがそんなことを言うなんて。

「そんなコト言ってるやつほど、迷いが吹っ切れてねえからさ。この恋がすべてなんて口に出すやつは信用できないだろう?仕事しかないなんてヤツが、キャバクラ嬢にいれあげて横領なんて話も、腐るほどあるじゃねえか」

「俺は半端な気持ちで単車に乗ってるんじゃないです。恋だのなんだの甘ったるいコト言ってるヤツや、仕事しか能がない奴の「これしかない」といっしょにしないでくださいよ」

「同じだよ。単車しかないと思い込んでるから単車にすがってる。恋しかないと思い込んでるから、恋にすがってる。仕事しかないと思い込んでるから、仕事にすがってる」

「……」

「そう言うやつほど、その拠り所がなくなったとき、不安で不安で、いても立ってもいられなくなっちまうんじゃねーのか?だから何度も口に出して確認するんだよ。誰にでもなく、自分自身にな」

俺の理想形の単車乗り、ゆげさんにそう言われたので少し考えてみた。

確かにゆげさんは「単車乗り」を体現してる。それに比べてたら、俺はまだまだだろう。でも!

「だけど、それでも、それにすがるしかないんですよ!俺は何でもやれるほど器用じゃないし、浮ついた気持ちなわけじゃない。これしかないんだ」

「だから、そのへんからおかしくなっちゃってると思わねえ?なんでそんなに全てを投げ出さなくちゃならないんだよ?俺は、単車で足一本失った。それでも、おめーみたいに悲壮な顔はしてないだろう?」

「それでも、ゆげさんは単車に乗っている。ゆげさんだって同じだ!単車しかないんじゃないか!だから、そんなになっても乗りつづけてるんだ」

「違うな」

「何が違うんです!?」

「おまえには「単車しかない」が、俺には「単車もある」。大きな違いだ」

俺は憮然として、ゆげさんを見る。

「俺は、単車で走ること、速く走ること、旅に出ること、どれもそれほど大切だとは思わない」

「うそだ!そんな人が足一本失ってまで、単車になんか乗るものか!あんたは一生乗りつづけるはずだ。そして俺も一生乗りつづけるんだ」

「ま、先のことはわからないから、なんとも言わないがね。ただ、今言ったことは嘘じゃない。俺が大切だと思うのは、「俺が単車に乗ること」であり、「俺が速く走ること」であり「俺が旅に出ること」なんだよ」

何が言いたいんだ?

「いいか?基本は「俺」なんだ。決して単車でも、恋でも、仕事でもない。おまえは単車のために、てめえを曲げたんだ。それでわかったようなことを言ってるのが気に食わなかったのさ」

「単車のために曲げた?」

ゆげさんは、いつもの穏やかな表情で、静かに言った。

「そうだよ。和美ちゃんはおまえを愛してると言った。おまえだって和美ちゃんが好きだったんだろう?でも、おまえは逃げた」

「逃げた?俺が?」

「そう、逃げたんだよ。おまえは和美ちゃんと単車を、天秤にかけたつもりかもしれない。でも、実際は違う。おまえは居心地のいい「単車乗り」と言う場所から弾(はじ)かれるのが怖くて、和美ちゃんと向き合うことから逃げたんだ」

「……」

「俺は単車乗りだ。それは周りに人がいるいないは関係ない。でもおまえは「単車乗りのジュン」って肩書きが欲しいんだよ。形は違っても肩書き振りかざして威張ってるバカと、本質的には何も違わない。「アウトロー」「反逆者」「わが道を行く」。そんな「スタイル」に守られてないと、安心できないんだ」

わけがわからなくなった。いや、ゆげさんの言っていることが実感できたから、どうしていいかわからなくなってしまったんだ。俺の足元が、ガラガラと崩れてゆく。

そして、気付いた。

俺はバカだ。

自分の本当の姿を見ずに、こうありたいと思いつづけた自分の「見てくれ」を見つめつづけ、いつしかそれが本当の俺だと思い込んでしまった。思い込もうとしていたんだ。

拠り所だから、否定されると脊髄反射で食って掛かり、何かを成したわけでもないのに、自尊心だけが膨れ上がった醜い生物。

そう、俺は何も成してない。

単車で命をかけて高速で走る?走っているのは単車の力だ。断じて俺の力ではない。気付いてしまえば単純なことだ。

そして、気付いた時には、すでに取り返しがつかなくなっていた。

「……でも、もう、遅いですよ。俺は和美を捨ててマシンを選んだ……」

「そうでもねえ……みてぇだぞ?」

ゆげさんの言葉に、俺は顔を上げる。ゆげさんはアゴをしゃくって、パーキングの入り口を指した。

そこに入ってきたのはR33、トモさんのスカイラインだ。その後に続々と続くのは、マーマレードスプーンのメンバー達のマシン。

俺らの前までやってきたR33の助手席が開いて、中から現れたのは……

和美!

驚く俺の横で、ゆげさんがにやりと笑った。

「ハイドのバカがコンピュータネットとかなんとかそんなんで、あっという間に和美ちゃんの実家を見つけちまったよ」

俺は解散する前に、ハイドさんとゆげさんが何事か話していたことを思い出す。じゃあ、あの時に?

でも……だって……和美の実家は東北だぞ?それじゃあこの人たちは、あれからそのまま東北まで走ったって言うのか!?

信じられない想いで呆然としていると、別の方から声がかかる。

「あっという間でもなかったですけどね。それに、非合法なこともやったし。ま、なんかあったら、全部ゆげさんのせいですから、別にいいんですけど」

黄色いダッヂヴァイパーから降りてきたハイドさんが、ニヤニヤしながら大声で叫んだ。その頭をムラさんが小突いている。

俺は迷っていた。

もちろん、和美とバイクのどっちを、なんて話じゃない。この素敵な仲間と和美の、どっちを先に抱きしめるか、ってことにだ。

少しだけ考えて、すぐにそんな必要のないことに気付いた。決断すると、俺は和美に走り寄る。そりゃそうだろ?俺に抱きしめられて喜ぶ人間は、ここにはひとりしかいないんだから。

和美は悲しそうな顔で俺を見つめている。俺は大きく息を吸うと、ありったけの笑顔で和美に叫んだ。

「単車を降りろって言うなら、降りるよ。でも、できればもう少しだけ、見ててくれないか?俺の「単車乗りの生き様」じゃなくて、「単車との関わり方」を。そして、それよりも、おまえへの想いを」

世界一のバカを、和美は両手を広げて抱きしめてくれた。

俺は泣き出したいのを懸命にこらえて、ただ和美を抱きしめ返していた。

もう、二度と迷わない。

もう、二度と間違えない。

「自分」

単純な、だけど限りなく本質を突いた判断基準。

肩書きや、居心地のいい居場所に安穏とするのでなく、常に自分と大切なものとの関わり方を模索しつづけると言うこと。

肩書き、思い込み、ポリシーと言う名の逃げ場所。そう言った「苔」が生えてしまわないように、いつも転がりつづける。

ライクアローリングストーン。

俺は和美を抱きしめていた腕を放すと、それを教えてくれたゆげさんに向かって深深と頭を下げた。ゆげさんは知らん振りして、ムラさんやノックさんがじゃれているのを眺めている。

それからふいに俺らの方を横目で見ると、にやりとウインクした。

あたりはすっかり明るくなり、抜けるような青空が広がっている。

俺は青空みたいな気分で、もう一度、和美を抱きしめた。