| 魔法使いエポー |
| 「なあ、魔法使いエポーの話、したことあるっけ?」 このセリフが出ると、ジミーの沈没も近い。ジミーはいつも素寒貧で、そのくせ酒に目がなくて、しかも酔っ払うとタチが悪い。たいてい店の誰かとケンカしちゃあ、おもてに放り出されて、とぼとぼと家路につくのだ。 もともとは信託会社かなにかの社長だったらしいのだが、巨大なライバル会社に潰されて、今は無一文。飲んだくれて荒れたくなる気持ちも、まあ、わからないではないが。 だが、そんなジミーも時々はいい酔い方をする。その合図が「魔法使いエポー」だ。 ここで「その話は聞いたよ」と答えると、「そうか」とつぶやいて、そのまま沈没するのだ。そのあと店の外まで放り出すのが、いつもの僕の仕事。それから先?知ったことじゃないさ。僕はこの酒場のバーテンであって、ジミーの友達じゃないんだから。 その日は、ちょうど週の真ん中というのもあって、お客さんはほとんどいなかった。 店の隅で飲んでいる薄汚いじいさん。これはジミーと同じであんまり金にならない常連だ。若い女の二人連れ。僕はこの子達と主に会話を楽しんでいた。それから、大分酔っ払ってるジミー。今日はマスターが居ないから、店の中には全部でこれだけ。 いつもなら「その話は聞いたよ」と言って送り出すところだが、今晩は僕より先に女の子たちが興味を持ってしまったようで、「なになに?」と答える。いつものジミーになら怖がって声をかけないだろうし、僕も近寄らせないんだけれど、今日のジミーは大人しいモードだから大丈夫だろう。 「しかし暑いな。バーテン、ジンライムをくれ」 僕は黙って、ジミーの前にジンのボトルとぶっカキ氷、それからライムジュースを並べてやる。フレッシュライムもあるんだけれど、酔っ払って味のわからないジミーには贅沢だ。どうせ何杯も呑むんだから、この方が奴も喜ぶ。 「お、気が利くねぇ。それで、と。ああ、エポーの話だったな」 案の定、嬉しそうに目を細めて、ジミーはかってに飲りだした。 「マーヴィン夫妻のなれ初めのことだ。マックス・マーヴィンはナンシーに恋をした。ナンシーは贅沢な女だったし、マックスは貧乏な大学生だったから、普通ならこの恋は成就しないで終わっただろうね」 「あら、愛があればお金なんて……」 「お嬢さん、あんたはまだ若い。世の中そんなに甘くはないんだよ?しかし、まあいい。とにかくマックスはナンシーに惚れ狂ってた。寝てもさめてもナンシーのことばかり。ところがここに恋敵が現れる。ジャック・シモンズだ。彼はいわゆる上流階級ってやつで、まさにナンシーの理想と言ってもいい相手だったんだ」 ジミーはジンライムを飲み干すと、お代わりを作りながら話す。 「マックスはあせったね。そこで俺は奴に言ったんだ。魔法使いのエポーを呼び出せばいいってな」 「マックスは怒ったろう?」 僕がそう言うと、ジミーはにやりと笑う。 「怒ったなんてモンじゃない。人が真剣に思ってるのに、からかうとは何事だと、銃でも突きつけかねないケンマクだったよ。そこで論より証拠。俺はエポーを呼び出してやったんだ」 女の子たちが面白そうに僕を見る。僕は肩をすくめて苦笑いを返した。 「出てきたエポーを見てマックスは腰を抜かさんばかりに驚いたね。でも、驚きからさめると、今度は狂喜乱舞だ。エポーに向かってひざまずかんばかりの勢いで叫んだんだ。「ナンシーを僕のものにしたい」ってね」 「じゃあ、彼らはうまく行ったんだ?」 「そう簡単にはいかないさ。エポーは俺たちとは違うからね。「僕のものにしたい」なんて言ったって、どういう意味だかわからないんだ。だから俺が助言したのさ。「もっと具体的に頼まなきゃダメだ」ってね」 ジミーはちょっと得意そうに胸を張る。 「マックスはしばらく悩んでから言った。「僕は今晩ナンシーをデートに誘う。そのときに最高の夜を演出して欲しい」こいつはうまい頼み方だった。デートをOKさせろなんて言ったら、エポーはナンシーの首を力づくで縦に振らせたろうから」 「それで?うまく行ったのかい?」 「もちろん!最高の夜だったそうだよ。帰ってきたとき、ナンシーはもう、マックスにメロメロだった。次の週末、ふたりはめでたく結婚したんだ」 女の子ふたりが、ほっとため息をつく。いろんな思いが頭の中に溢れ出しているんだろうな。でも、僕の方はそうも行かない。だって、それから先のマーヴィン夫妻のことを知っていたから。 「しかし、ジミー。マーヴィン夫婦は一年で離婚してしまっただろう?」 僕のセリフに、女の子たちは驚いている。ジミーはゆっくりとうなずくと、話を続けた。 「当たり前じゃないか。「最高の夜」って演出に酔っ払って結婚したんだぜ?それから先の生活は、毎日が最低に決まってるだろう?二日酔いみたいなもんだ。よく一年も続いたよ」 「ひどい!あなたもエポーもひどいわ!そうなるとわかっていたんじゃないの?」 叫んだ女の子に向かって片目を瞑って見せると、ジミーは面白そうに笑った。 「もちろん、わかっていたさ。だが、なんと言ってマックスを止めればいいんだ?彼にわからせるには、一度経験させるしかなかったのさ」 「それじゃあナンシーの気持ちはどうなるの?」 「さあね。気持ちまではわからないよ。でも、彼女はいまやシモンズ夫人なんだぜ?最初の願いどおり、ハイソな生活を送っている」 ジミーは少し寂しそうな顔をした。 「もし、あのまま結婚していたら、ジャックの浮気性のせいで、彼らの結婚は一年と持たなかっただろう。でも、ナンシーは夢を見て結婚した後の、現実的な生活を経験してるからね。夫の浮気性にそれほど傷つくこともなく、むしろ自分の生活を楽しんでいるようだよ?」 「そんな……なんか納得いかないな」 女の子のひとりがつぶやいた。僕も同じ気持ちだ。 「現実はそんなモンさ。それに俺とエポーだって報いを受けなかったわけじゃない」 僕たちは黙って続きの言葉を待つ。 「ナンシーと別れた後、マックスは魔法の研究に明け暮れた。そしてついに、魔法の国との通信に成功したんだ。おかげでいまや、マックスは世界屈指の投資家さ。彼の株式投資の手腕は、神業とさえ言われているけれど、それも当たり前だよ。すべて魔法の国からの情報なんだから」 「マックスは魔法の国へ行けるのかい?」 「いや、通信して話すことができるだけだ。でも、マックスの復讐にはそれで充分だったのさ。自分の被害を訴えて、精神的慰謝料を請求したんだから。おかげでエポーはこっぴどくしかられた後、左遷されてしまった」 僕はなんと答えていいのかわからずに、黙っていた。 「俺はと言えば、経営していた信託会社が潰れて、素寒貧で放り出されてしまった。まったく、ひどいもんさ」 そういい残し、ついにジミーは潰れてしまった。 いびきをかき始めたジミーを横目で見つつ、僕らは今聞いた話について語り合う。 「本当なのかしら?」 「まさか。マックスに会社を潰された恨みで、妄想を抱いてしまったんだろうよ。哀れな男さ。だいたい自分だって魔法使いを呼び出せるのなら、同じように成功してるはずじゃないか。今の姿が、そのまま彼の話が嘘だって証明だよ」 「本当ですよ」 得意になって女の子たちに謎解きしていた僕の耳に、しわがれた声が聞こえてきた。店の隅にいた老人が、近づいてくる。老人はジミーの傍らに立つと、僕らに向かって言った。 「彼の話は本当です。ただ、彼の呼び出せた魔法使いが、限りなくお人よしだっただけなんですよ。マックスのために良かれと思ってやったことで、あれほど恨まれるなんて考えもしなかったんですから」 「あなたは?」 恐る恐る聞いた僕に向かって、老人は自嘲気味に笑った。 「私がエポーです。魔法の国に居場所がなくなって、ずっとこちらで暮らしているうちに、こんな歳になってしまいました。私のせいでこんな目にあったジミーに私がしてやれるのは、酔い潰れた彼を無事に家まで帰すことくらいなんですよ。情けないもんです」 そう言って右手を一振りすると、ジミーのからだが中に浮かんだ。驚きで言葉を失った僕たちに向かってエポーは指先を振ってみせる。 と。 空中にEPOHと言う文字が浮かび上がった。 「名前も悪かったんですよね。ひっくり返ってるんだから、そりゃ希望とは無縁なはずです」 宙に浮いたアルファベットが、エポーの言葉に連れて並び変わってゆく。 HOPE〜希望と言う文字が浮かんだ向こうに、店を後にするエポーとジミーの後姿が見えた。 |