| 永遠の闇 |
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「いいかい? 包帯を取るよ?」 ドクターの言葉にうなづきながら、俺は今までのことを思い出していた。
俺には生まれつき光がなかった。 いや、同情はしてくれなくていい。俺は光を持たない代わりに、ちょっとした能力と、この両手いっぱいの幸せを手に入れたのだから。 とはいっても、別に超能力とかそういった突飛な話ではない。 五感が鋭く、中でもとりわけ耳がよく聞こえるようになったってだけのことだ。 ただ、俺の「聴こえる」は君たち見える者の「聞こえる」とは違う。声の調子や色、ツヤ、感触、そういうものをはっきりと捕らえて、かなりのところまで人の本当の心ってヤツが分かるのである。 声に色やツヤがあるなんて知っていたかい? 知らなかっただろう? それがつまり、俺と見える者たちとの差だ。もっとも、俺だけじゃなくて、生まれながら光を持たない者は、たいていそういったことがよく分かるんだがね。途中から失った人は、見えた頃の映像を覚えているから、どうしても俺たちほどは「聴こえ」ないようだ。 それはさておき。 俺はこの能力のおかげで、二心のある人や俺を欺こうとする人を、俺のそばから遠ざけてきた。目の見えない俺にとって、そういう人がそばにいることは、大げさじゃなく命に関わるから。 そして今、俺のそばには俺を心から愛してくれる恋人、本当に心を通わせあった友達、愛する家族、そういった人々しかいない。 どうだい? これほど幸せなことがあるだろうか? しかし、幾ら俺がそう言っても、目の見えるものはなかなか信じてくれない。友人の一人がある新しい技術によって、俺の目に光を与えることができるかもしれないと言ってくれた。 俺自身は別段、そんなものに興味はなかったのだが、彼が親切から熱心に勧めてくれるのを無碍(むげ)に断ることもできず、その手術を受けることを了解した。 いや、それは確かに、光や映像にまったく興味がないわけじゃない。見られるものなら、この目で見てみたいと言うのは本当のことだ。 ただ、みなが心配するほど、俺は手術の失敗に対して、恐れや絶望を抱かないと言うだけの話である。それはそうだろう? 今のままでも充分に幸せなのだ。別に手術が失敗したからといって、何が変わるわけでもない。 それに、恋人の顔、友や家族の顔、そして俺自身の顔。それらが一般的な価値観で例え醜かったとしたって、俺にはまったく関係ない話だ。 生まれたときから見えないから、俺に美醜の概念はない。 俺に分かるのは、心の美しさや、言葉の美しさ、音楽の美しさだけだ。 だから、自分や彼らの醜さに驚いたり悲しんだりすることもない代わりに、美しさにうっとりすることもありえない。 恋人は 「私、そんなに綺麗じゃないから、見たらがっかりするかもしれないよ?」 などとと冗談を言っていたが、それは俺にはありえないのだ。 もっとも、彼女だってそれは充分わかっているから、そんなことを言ったのだけれど。 俺は彼女の姿かたちに惹かれたわけではない。生まれたときから光を持たない俺だからこそ、誰はばかることなくそう、堂々と言えるってワケさ。 とは言っても、友人が彼女に黙ってひそかに教えてくれたところによると、彼女はかなり美しいらしいので、ひそかに楽しみであることも間違いないんだけれどね。 俺は、周りの人間がやきもきする中、新しい音楽でも聴くような軽い気持ちで、手術室の扉をくぐった。
「さあ、それじゃあ、ゆっくり目を開けてみてくれ」 ドクターの言葉に、俺はゆっくりと目を開ける。 痛い! と思ったのも一瞬だった。次の瞬間には、はじめて体験する情報の洪水が、脳の中にあふれ出す。窓の外には、空が見える。恋人と歩いた公園の木々が見える。 俺は戸惑いつつも、感動していた。 これが、見えるということか…… 「どう? 見える?」 声をかけたのは、ドクターではなく俺の恋人だった。 俺はゆっくりと視線をそちらに向ける。 輝く光の中で、彼女は微笑んでいた。 ああ、確かに……美しい。 俺は彼女の美しさに、目を細めて微笑み返した。もっとも彼女を美しいと感じるのは、内面の美しさをよく知っているからだろう。 純粋に姿かたちと言う意味では、彼女の美しさも、窓から見える空や木々の美しさも、俺にとっては同等の価値がある。どちらもすばらしい感動を、俺に与えてくれた。 それから俺は、友人たちを振り返った。 しかし、ここでなんだか違和感を感じる。 いや、友人たちもみな一様に美しい人々ばかりで、彼らの内面の美しさをよく反映している。しかし、なんだか違和感はぬぐえない。なんだろう? 「さあ、いよいよお楽しみの時間だよ。もしかしたら、恋人よりこちらを見たかったのじゃないかね?」 手術の成功に気をよくしたドクターが、おどけながらそう言った。 そして手渡されたのは、手鏡。 俺は友人の顔に感じた違和感をいぶかしみながら、手鏡を受け取って覗き込む。
そしてそのまま、動けなくなった。 俺は自分の悲鳴を遠くに聞きながら、意識を失った。
錯乱した俺は、意識を失った後、恐怖の叫びを上げながら大暴れしたらしい。そして抑えようとする人々を振り切って駆け出すと、階段で足を滑らせて転げ落ちたということだ。 そのときの衝撃が元で、俺の目は、また光を失ってしまった。 やがて意識を取り戻した俺は、その顛末を聞かされて、みなにわびた。しかし、何にそれほど恐怖したのかを聞かれても、俺は決して答えなかった。 みなに病室を出て行ってもらうと、俺はベッドの上に腰掛けたまま、魂を吐き出すようなため息をつく。 友人の顔に感じた違和感の正体は、分かってみればなんと言うこともないものだ。だけど、俺にとってあの体験は、まさに恐怖でしかなかった。何が違和感を感じさせたのか? 友人たちの顔が、どれも同じだったのである。 それどころか、恋人の顔も、ほとんど同じだった。 そして、手鏡の中にも、同じ顔があった。 俺は鏡の中からこちらを見返す、友人や恋人、ドクター、そのほか全ての人々と同じ顔を持った俺自身の姿に、恐怖のあまり気を失ったのだ。 病室のTVの中、俺のそば、窓の外。 世界の全てのひとが、同じ顔で笑い、泣き、怒っている。 その恐怖に。 だが、やがて落ち着いてみれば、答は簡単にわかった。 彼らの顔が同じなのではなく、俺にそれを見わける能力がなかったのだ。外国人が日本人の顔を見わけづらいのと、似たようなものかもしれない。 もちろん、時間をかけて慣れてゆけば、やがて俺にも区別がつくようになっただろう。 しかし、俺はまた光を失ってしまった。 今までは知らないで済んでいた暗闇。 そして、その闇の中に浮かび上がる、俺の顔をした恋人。俺の顔をした友人。俺の顔をした家族。 今までのように、みなと付き合ってゆくことができるだろうか? おそらくできないだろう。 俺は幸せだった日々を、永遠に失ってしまったことを知る。 そして今、友人の親切心を憎み、恋人の優しさを憎み、家族のいたわりを憎みながら、こうして病室に一人で座っている。
死ぬまで続く暗闇の中で。 |
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