神の飲み物
就職が決まった。

名前を言えば君もきっと知ってる、さる大手の酒造会社だ。え?よく入れたなって?うん、僕もそう思うよ。酒造会社といえば、今や時代の最先端。いわゆる花形の仕事だからね。

まあ、実を言えば、僕のじいさまって人が有名な杜氏でね。そのコネで入ったってのが真相なのさ。じゃなきゃ3流大学出の僕なんかが、酒造会社なんかに勤められるわけがないだろう?恥ずかしいんだから、あまり言わせないでくれよ。

んで、就職の決まった報告というか、コネで入れてもらったお礼に、僕は久しぶりにじいさまを訪ねた。めんどくさいけど、まあしょうないよね。

高速を降りて東北の小さな町へ入ると、とたんに周りには閑散とした景色が広がる。このあたりには、昔からの蔵元が多いんだけど、いくら酒造が最先端だとは言え、大量生産の効かない小さな蔵元には、あまり関係のない話のようだ。

うろ覚えのままじいさまの蔵を探していたんだけど、どうにも見つからないので、適当な蔵を見つけて道を聞く事にする。

「すみません。このあたりにある、関さんの蔵を探しているんですけれども、ご存知ありませんか?」

出てきたうちのじいさまと同じくらいのじいさんは、無愛想に僕をにらむと、しゃがれた声で言った。

「関さんに何の用だ?」

「僕、関籐吉郎(せきとうきちろう)の孫なんです。じいさまに挨拶に来たんですよ」

とたんにじいさんの顔がほころんだ。

「おぉ!そうか。そりゃあ、ようきなすった。関さんの蔵は、ほれ、その角を曲がって四軒目だよ」

僕はじいさんに礼を言って、そそくさと退散する。

万が一、僕が大手酒造会社に就職が決まったことを知ったら、この小さな蔵元のじいさまは、卒倒するくらい怒り心頭に達すること間違いないからだ。

軒先に風鈴のつるされた角の家を曲がって、ひのふのみの四軒目。ここだ。

「籐吉郎じいさま、こんちわ。藤郎(ふじお)です」

ひなびた日本家屋の引き戸をガラガラとあけると、僕は大声で叫んだ。

しばらくして、中からじいさまが現れる。うっわ、明らかに不機嫌じゃんか。まいったな……

「ああ、じじい不孝者の藤郎か。何の用だ?」

「いや、就職の世話をしてもらったんで、そのお礼とご挨拶に」

「いらん、帰れ!」

じいさまたち杜氏が、大企業の酒造会社を嫌っているのは知っているが、それにしてもこの扱いはひどいと思わないか?

僕も元来、それほどのんびりした方ではないから、ついに切れて怒鳴ってしまう。

「なんだよ!なんでそんなに酒造会社が気に入らないんだよ!」

じいさまは一瞬びっくりしたあと、悲しそうな目をしていった。

「ヤツらのやってることは、酒に対する冒涜だ」

しかし、切れて攻撃的になっている僕は、こんな答えじゃ納まらない。

「じいさま達が、昔からのやり方を大切にしているのは、すばらしいことだ。だけど、この国では今や、そんなやり方では生産が消費に追いつかないんだよ!」

こんな簡単なことさえ理解できないのか?という失望と苛立ちが、僕の語気を強める。

「これだけアルコールが必要とされているのに、昔ながらのやり方に固執するのは、ただの意地でしかないだろう?じいさま達は、くだらない過去の亡霊にとらわれて、大切なことを見逃しているんじゃないか?」

その瞬間、じいさまの心臓が止まってもおかしくなかったかもしれない。

それくらいじいさまは、顔を真っ赤にして怒ったのだ。しかし、僕だって言いたい事は言わせてもらう。

「いいかい?エネルギーの枯渇と、環境破壊ってのは、今や人類の死活問題なんだよ?だからこそクリーンなエネルギーのアルコールってのは、今や人類の宝なんだ」

僕は怒りと失望に任せて、怒鳴りまくる。

「じいさまが昔を懐かしんで、昔のやり方に固執するのを止める気はないけど、みんなのためにがんばってる、今の大企業のことを悪く言うのは、ただの僻(ひが)みにしか聞こえないよ!」

じいさまが爆発して食って掛かることを予想していた僕は、ここで拍子抜けというか、呆気にとられてしまう。

じいさまは、ポカンとした顔で、僕を眺めていたのだ。

「藤郎……もしかして……おまえ、酒が何で作られたのか知らないのか?」

僕は怪訝に思いながら答えた。

「何でって、石油なんかの化石燃料が少なくなってきたため、代替燃料として開発された……」

じいさまは、ふかい深いため息をついた。

「ああ、そりゃそうか。もう、昔のことを知っている人間も、少なくなってきたんだな」

それからじいさまは僕に向かうと、とつとつと語り出した。

「いいか、藤郎。アルコールが燃料として今ほど大切にされる前、はるか昔のことなんだが、アルコールの一番の消費目的ってのは、飲用だったんだよ」

は?アルコールを飲む?なに言ってるんだ?じいさま、ボケちまったのかな?

「アルコール……酒ってのは、昔から人々の心を癒す、いわば神の飲み物だったんだ」

僕は、驚いて反論する。

「アルコールを飲む?そりゃあ、確かに成分的には酩酊感を味わうことは出きるだろうけど……でも、それなら合法大麻の方がよっぽど安全だよ?アルコールをドラッグとして使うなんて……ドラッグとしてこれほど危険で最悪のものはないんじゃない?」

じいさまは益々悲しそうな顔で、それきり黙りこんでしまう。

僕はなんだか罪悪感にさいなまれて、じいさまを元気付けたくなった。

「もしかして、じいさま達は、アルコールがドラッグとして使用されていた頃の「職人」だったの?だからアルコールがエネルギーとして使われることを、冒涜だって言ってるわけ?」

とたんにじいさまは、胸を張って微笑む。

「そうだ。俺の酒は、ここらじゃ一番うまいって評判だったんだ。日本中から買いに来るヤツらが絶えなかったんだぞ?」

「へえ……そんなにうまいの?アルコールを飲むなんて、なんだかすごく怖いって言うか、ぴんとこないんだけど」

僕の言葉にじいさまは立ちあがり、奥の蔵から大きなビンを持ってきた。

「これが俺の作った最高傑作「冬一郎」だ。呑んでみるか?」

本当は、そんな気持ちの悪いことはしたくない。

でも、就職を世話してもらった負い目もあるし、なによりさっきのじいさまの悲しそうな顔と、今の自信に満ちたうれしそうな顔を見ていたら、少しだけ呑んでみたくなったのも事実だ。

僕はうなずくと、じいさまが湯のみに注いだ「冬一郎」を、恐る恐る飲んでみる。

うわ、やっぱりまずい。ヘンなにおいとアルコールの刺激が、僕の口の中に広がる。まいったな、こんなまずいものを……あれ?

我慢して飲み下した瞬間、僕の鼻腔に、えもいわれぬ馥郁(ふくいく)とした香りが広がる。

なんだ?なんなんだ?

改めてもう一口含んでみると、今度ははっきりとわかった。確かにアルコールの刺激はあるし、発酵食品特有のにおいがある。でも……

……うまい。

ちょっとまってよ。コリャ何なんだ?ものすごくうまいぞ?

驚いてじいさまの顔を見ると、彼は自信に満ちあふれた瞳でうなずく。

ああ、なるほどね。悔しいけど、じいさまの自信まんまんの理由ががわかる気がする。

確かにこれはうまい。

あっという間に湯のみを干した僕は、目でお伺いを立てた。じいさまは満足そうにうなずくと、どうだといわんばかりの顔で言った。

「おう!わかってるよ。もう一杯欲しいんだろ?遠慮なくやれ」

僕はじいさまからビンをひったくると、湯のみにどぼどぼと注ぐ。じいさまは立ちあがり、台所からもうひとつの湯のみと、刻んだ漬け物を持ってきた。

「藤郎、このじさまの酒の話でも、つまみ代わりに聞いていかねえか?」

僕は2杯目を干して湯のみをじいさまに差し出しながら、おおきくうなずいた。

 

アタマがガンガン痛い。これは間違いなく、アルコールを分解する過程で生産されたアセトアルデヒドが……

「藤郎、気持ち悪いのか?」

僕がうなずくと、じいさまはカラカラと笑った。

「それが二日酔いだ。ま、たらふく水を飲んどきな。昨日は、相当飲んだからな」

そうなのか?ちっとも覚えてないぞ?

「ま、それでも夕方になりゃ、また飲みたくなるさ」

冗談じゃない。僕の人生で、これほど最悪の気分になったのははじめてのことだ。もう2度と、アルコールなんぞ飲むものか。

僕はじいさまには答えず、布団を引っかぶる。そのまま夕方まで寝てしまった。夜になって、帰り支度をしている僕に、じいさまがにやにやしながら近寄ってきた。

「藤郎、帰るのか?」

「うん、もう帰る」

「今日は飲まないのか?」

「あんなつらい思いは、もう、ごめんだよ。アルコールなんて、もう、絶対飲まない」

じいさまに悲しそうな顔をされても、これだけは譲れない。僕は悲壮な覚悟でじいさまにそう言った。

しかし、じいさまは相変わらずニヤニヤ笑っている。

「わかったよ、そう思うなら、二度と酒なんて飲まないほうがいい」

そういって、立ちあがった僕を上機嫌に送り出した。

狐につままれたような思いでじいさまの家を後にした僕は、例の蔵元の前で、行きにじいさまの蔵までの道順を聞いたじいさんに遭遇する。

「おや、関さんとこの孫さんか。じいさまは元気だったかね?」

「元気過ぎて困りますよ。昨日も秘蔵の「冬一郎」って言うのを呑まされました」

それを聞いたじいさん、ものすごくうらやましそうな顔で、僕に詰め寄る。

「と、「冬一郎」?「冬一郎」を呑んだのかい?」

「そうですよ?」

「そ、そりゃあ……うらやましいなぁ……」

あまりに開けっぴろげに羨ましがるじいさんに、僕は思わず吹き出してしまった。

「ありゃあ、地元の人間でもそうは飲めないんだよ?そうか、「冬一郎」をねぇ……いいなぁ……ま、孫さんだから当たり前だろうが、しかし……うまかったろうなぁ」

とにかく手放しで羨ましがるじいさんを見ながら笑っているうちに、なんだか、また酒を飲みたくなってきた。今朝からあれほど苦しんだというのに、まったくワケがわからない。

ああ、なるほど。じいさまはこうなることがわかっていたんだ。だから、あんなにニヤニヤ笑っていたんだな。

くそ、悔しいけど、確かにじいさまの言った通りだ。僕は今、酒が飲みたい。

羨ましいを連発しているじいさんに向かって、僕は笑いながら言った。

「じいさん、そんなに羨ましがることはないよ。あんたには、もっとうまい酒を飲ませてやるから」

驚いて、僕の顔を見つめるじいさんにウインクすると、僕は回れ右をした。

何でって、決まってるだろう?

もどって、じいさまに弟子入りするためだよ。

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