鬼のみた夢

本作は、拙作「冬一郎参上」のサイドストーリーとなっております。もちろん単独でも話は通っていますが、興味をもたれた方は本編の方も、どうぞご覧ください。

お鈴は町一番の美人だ。

天才画家、竹重(たけしげ)が美人画のモデルに選んだくらいだから、そりゃもう、お墨付きってヤツだな。

刑事部長、葵連峰(あおいれんぽう)がお鈴に首っ丈で、非番の日には朝から晩まで水茶屋に通い詰めている、てのは、町じゃ有名な笑い話だ。

あの鬼瓦が、水茶屋の看板娘、お鈴に恋をしてるんだぜ?話を聞いた大抵の奴は、飲みかけのお茶を吹き出したもんさ。

水茶屋ってのはまあ、平たく言えば喫茶店なんだが、一杯のお茶で、普通の茶屋の軽く100倍の値段をとる。なんでって判るだろう?人気の娘達が、お茶を運んでくるからさ。

と言っても、決して引き手茶屋みたいに、いかがわしい場所じゃない。100杯飲んで(そのくらいたくさん通って)、ようやく手が握れるかどうか。

水茶屋の女たちは笑顔だけで稼ぐ、ってのは本当の話だ。ちなみに、引き手茶屋ってのは、その名の通り遊郭まで客の手を引いてゆく、いわゆる「キャッチ」のいる茶屋だ。

水茶屋に通う常連達は、総じて「粋(いき)」を大事にする。

だからみんな、お気に入りの娘に微笑みかけて欲しくて、みずっぱらを抱えて今日も茶屋に出向くのだ。無理やりにどうこうなんてヤボは、水茶屋に来る資格はないってワケだよ。

連峰は安月給だから、そうそうお鈴に茶を注がせることは出来ない。

いつもは、茶坊主の運んできた一番安い茶(もちろんそれでも、普通の茶屋の十倍以上はするんだけれど)をすすりながら、遠巻きにお鈴を眺めるだけだ。

それでもボーナスが入ったときなんかは、ちょっと張り込んで一番高い茶を頼む。そして持ってきたお鈴と二言三言言葉を交わすと、もう、それだけで天にも上る心地になるのだ。

「連峰様のおかげで、この町は平和なんですね。お仕事がんばってくださいね?」

なんて言われた日には、「鬼の葵」がデロデロに崩れちまう。見ちゃいられないよ、実際。

だから、そんな日に悪さをしているヤツらは、まったく運がない。「鬼の葵」が張り切って全力疾走するんだ。こてんぱんにのされて、あわれタンコブだらけのまま監獄行きさ。

 

ようやく入ったボーナスを握って、連峰は水茶屋へ向かった。

もう、頭の中はお鈴のことばかり。お鈴の低いハスキーな声で「今日もお勤めご苦労様でしたね?」なんて言われれば、疲れなんか吹っ飛んでしまう。

意気揚揚と水茶屋まで来ると、なにやら茶屋の前に人だかりが出来ている。何事かと、野次馬の一人に問うてみれば、

「水茶屋に強盗が入ったんだよ。今、店の女を人質にして、立てこもっているらしい」

聞いた瞬間、連峰の血の気がさーっと引く。いや、むしろ背筋を走る悪寒に、ぶるっと震えさえ出てしまうほどだ。

野次馬をかきわけて人垣の先頭に出ると、なるほど、警官隊が取り巻いて、拡声器で犯人とやり取りしている。どうやら人質の引き渡し条件で押し問答しているようだ。

警官を避けて中に入ろうとする連峰を、若い警察官が止めた。

「おい、どこへゆく?危ないから、ここから先に入るんじゃない」

「俺は葵連峰だ。非番だが通りかかったので、協力に来た」

言いながら警察手帳を開くと、警官は慌てて敬礼をする。これがうわさの「鬼の葵」か。そんな畏怖と尊敬の入り混じった目をしながら、連峰を現場の本部に案内する。

本部はてんてこ舞いだった。そこへ町きっての暴力の専門家、葵連峰が来てくれたので、これ幸いと指揮権を全て連峰に預けてしまった。

普段なら非番の日に働かされるなんてとブツブツ言うはずだが、今回に限っては願ってもない。連峰は直ちに指揮官を集めると、きびきびと指示を出していった。

犯人に携帯電話が渡され、連絡はそれでとることになる。拡声器でみなに宣伝しながらでは、とてもじゃないが迅速な作戦はとれないからだ。

リアルな情報がなければ、野次馬は割合素直に「解散せよ」の言葉に従う。そうして野次馬を減らし、遠ざけておいてから、連峰は犯人一味に相対した。

「君達の要求を、もう一度聞かせて欲しい」

「まずは、警察にいる仲間の開放だ。それから車を用意しろ。ランクルだ」

四駆を選んだところから見て、どうやらその車で遠くまで逃げる気はないらしい。ヘリコプタが追ってきても、山の中に入れば追跡は困難だ。

そのスキをついて、あらかじめ用意していた車に乗りかえるのだろう。

「用意できた時点で、人質の半分は開放する。それ以降は、こちらの指示にしたがってわれわれの納得の行くようにした時のみ、一人ずつ開放しよう」

なるほど、単純に追跡はさせないつもりか。連峰は歯噛みしながら準備をさせた。とにかく、お鈴に傷をつけさせるわけには行かない。

しばらくして車が用意され、犯人達が人質を連れてクルマに乗り移る。下を向いておびえる町の美人達に、人々からなんとも言えない切ないため息がもれる。

連峰は血が出るほど歯を食いしばって、お鈴を見ていた。

と。

お鈴が顔を上げる。

連峰は心配するなと決意を込めた眼差しでうなずいた。お鈴はそれに対して優しく笑ってうなずく。

次の瞬間、彼女は疾風のように走り出すと、一番厄介なサブマシンガンを持つ男を、信じられないほど強力な回しげりで、昏倒させた。

みなが呆気にとられるなか、ひとり連峰は走り出す。リーダー格の男に向かって、連峰の拳銃が吼えた。太ももを打ち抜かれて、悲鳴を上げながらのた打ち回る男には目もくれず、連峰はお鈴を見る。

ようやく反応した犯人の一人が、お鈴に向かって銃を向けるところだった。

己の肉体の持てる全力で、お鈴に向かって走る。しかし、連峰の手がお鈴に届く寸前、犯人の放った凶弾は、お鈴の胸を撃った。

「あぁぁぁぁぁ!」

動物じみた悲鳴を上げながら、連峰は闇雲に銃を撃つ。とは言え、訓練された連峰の腕前である。弾丸は犯人どもの脚や腕を、過たず貫いた。

ようやく反応した警官隊が、犯人達に襲い掛かる。リーダーと一番強いサブマシンガンを押さえられて、犯人たちはあっという間に捕らえられた。

しかし連峰は、そんなものには見向きもせず、お鈴を抱きしめて、大声をあげていた。

「おい!救急車!救急車だ!早くしろ!」

連峰の腕の中で、お鈴は穏やかな笑みを浮かべている。

「葵様、ありがとう」

「バカ!なんであんな無茶なことをした!」

お鈴はあくまで優しい微笑みを浮かべたまま、連峰の頬に触れる。

「あなたの決意を秘めた瞳を見た時、考える前に身体が動いていたんですよ」

「バカな。俺は必ず助けるからじっとしてろって意味で……」

お鈴はくすりと笑った。

「ええ、他の娘達ならそう思ったでしょうね。でも、私は違うんです」

「何が違うんだ?」

と、同時に、胸を撃たれているはずのお鈴が、何事もなかったかのように起きあがる。いったい何が起こったのだ?と、呆気にとられている連峰に向かって、お鈴は、はにかみながら言った。

「私……男なんです」

言葉は聞こえるのだが、その意味は連峰の頭に入ることを拒否する。

「な……何を言っているんだ?」

お鈴は胸元に手を入れて、何かを取り出した。それは女の胸を形作る、作り物の胸だった。胸の端には先ほどの弾丸が突き刺さっている。

何が起こっているのか把握しきれていない葵連峰に向かって、お鈴……と呼ばれていた「男」はにこやかに微笑んだ。

「だましてて、ごめんなさい。家族を食べさせるために、どうしても私は……」

「いい、みなまで言うな」

憮然とした連峰の言葉に、お鈴……と呼ばれていた男は、不安そうな顔を向ける。

その視線を感じているのかいないのか、連峰はアサッテの方を向きながら、恐ろしく不愉快そうな顔で話し始めた。

「これだけ有名になっても、怖じ気づいてやめることをしなかったんだ。相当な決心なんだろう?自分の家族のためなら、なんでも好きなようにやるさ」

「怒っていらっしゃらないんですか?」

「そんなもの通り越したよ。びっくりして声も出ねえ」

「本当にごめんなさい」

「俺に謝ることはない。周りの連中にも、いい夢を見させてやれ。おまえの見せる夢は、本当にとびっきりだからな」

限りなく悲しそうな顔で、それでも精一杯の威厳を持って、連峰は笑った。

お鈴は黙ったまま深深と頭を下げると、騒ぎの収まらない茶屋を辞す。

残った連峰は「鬼」らしくもない不安げな、悲しげな、中途半端な顔のまま、いつまでも立ち尽くしていた。

 

「あの葵連峰(あおいれんぽう)がお鈴を落籍(ひ)かせた」

その話はあっという間に町中を駆け巡った。町一番の美人を、鬼瓦みたいな連峰が射止めたというのだから、そりゃあ話題にならないほうがおかしいだろう。

連峰はお鈴、本名伊周(これちか)を養子に迎え、伊周の家族とともに町を去っていった。

なぜ、妻ではなく養子にしたのだろう?などと、町のものはみんなあれこれと詮索し、うわさしたのだが、当の本人たちがいなくては、それ以上話は膨らむこともない。

町を騒がせた珍事も、やがては忘れ去られていった。

 

その後、俺は伊周(これちか)に秀庵(しゅうあん)という名をやり、息子は秀庵伊周(しゅうあんこれちか)名乗った。そう、これは現在の警察署長、葵秀庵伊周(あおいしゅうあんこれちか)の話なんだ。

就任早々、ユメヤの女将、鈴(すず)に近寄ったのも、単に情報集の目的だけでなく、昔の芸名と同じ名前のあの人が、なんとなく気になったんじゃないか?と、俺はにらんでる。

そうそう、もちろんこの話は警察内でもトップシークレットなんだから、くれぐれも他人には内緒にしておいてくれよな?

こんな話をオヤジの俺がしゃべったなんてバレたら、またあいつに怒られちまうよ。ははは……

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