| ドラゴンバスター |
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「ほら、ディック! 早くしなさいよ」 「まってよ、マリー。やっぱりこんなことやめようよ」 ディックが情けない声でそう言うと、マリーは眉を吊り上げて怒りました。 「何言ってるのよ? あんた男でしょう? 男はいずれ、ドラゴン退治をしなくちゃいけないんだよ?」 「そんなことないよ。鍛冶屋のカシムさんはドラゴン退治になんか行かないじゃないか。ドクターミネも」 「カシムさんはドラゴンと戦う武器を作るのだし、ドクターミネは狩りで怪我した人を助けなくちゃならないもの、当たり前よ」 「じゃあ、僕も鍛冶屋かお医者になる」 「むりだね。鍛冶屋になるには、あんたはひ弱すぎる。あの大きな玄翁(げんのう:ハンマー)を振るえなくちゃならないんだよ? それにお医者は、シティの大学に行って勉強しなくちゃならないんだから」 「僕、勉強がんばってるよ?」 「でもだめ。シティの大学にいくには、頭がいいだけじゃだめなの。凄くいっぱいお金がいるんだから。お医者になるには、お家が建つくらいのお金が必要なんだよ?」 そう言われてしまえば、ディックは黙るしかありません。彼はマリーの家 に居候している身なのですから。まさか、厄介になっている上に、大学にいく金を出してくれなんて、言えるわけがありません。 それにマリーの父親は優秀なドラゴンバスターですが、それでも、お金が余っているとは言えません。すくなくとも、家一件分の学費をひょいと出せるような、裕福な家庭とは言いがたいのです。 「だからあんたも、ドラゴン退治に行くんだよ? それとも、この町を出る?」 彼らの町は、辺境の森と隣接している、ドラゴンバスターの町です。 などといえば聞こえはいいですが、要は森に棲み、街に出てきては畑や人々を襲う、タチの悪いドラゴンを、人々の住む地域に入れないようにすると言う危険な仕事で生計を立てている 人々、それがドラゴンバスターなのです。 そしてドラゴンバスター以外の人は(それほど多くはいませんが)彼らの必要なものを売ったり、必要とする癒しを与えたり、つまりそういうサポートをして生計を立てています。 荒れ果てて農作物は取れず、かといって観光の目玉になるようなものもない、危険なだけの森のそば。 こんな町に住んでいるのですから、そこに住む人々には、さぞかし複雑な事情があると思われるでしょうが、そう言う訳ではありません。 森から遠く離れた、ドームに守られて清潔で安全なシティに住む、一握りの貴族以外は、どの町も同じように、ドラゴンだの、ケルベロスだのに脅かされる、危険な場所なのです。 そう言うとなんだか悲惨に思われますでしょう。 しかし、ヒトと言うものはどんな環境でも、強く、たくましく生きてゆける、不思議な生物なのです。この町の人々だって、ドラゴン退治 をしながら、大変な思いをしながら、それでも皆さんと同じように明るく、たくましく生きているのです。 話を戻しましょう。 そんなドラゴンの棲む危険な森の一角で、マリーとディックは遊んでいました。なんていうと、マリーに怒られてしまうかもしれません。 彼女は森の中ほどにある、貴重なきのこの取れる場所へ、きのこ狩りに来たのです。そのきのこは大変貴重で、同じ重さの金と同等か、それ以上の価値があるといわれています。 ドラゴン退治に出れば、3ヶ月は帰ってこないパパのために、きのこを取って売り、おいしいものを沢山食べてもらおうと言う、けなげな思いからの冒険なのです。 もちろん、そんな危険なきのこ狩りに付き合わされるディックは、いい迷惑なのですけれど。 「マリー、そういそいで行かないでよ。ドラゴンが出るかもしれないじゃないか」 「ばかね、あんた。ドラゴンは普段、こんな森の端っこにはいないのよ? やつらは森の奥で暮らしているんだから。そんな風に臆病だから、みんなに泣き虫ディックなんて言われるのよ」 「でも……群れをはぐれたドラゴンが出ることだって……」 「知ってるってば。そりゃあたまに「はぐれ」が出てくることもあるけれど、一匹くらいなら、私がやっつけてあげるから大丈夫」 そう言ってマリーは、ドラゴンソードを振りかざします。肉厚で強靭なその小刀は、セコンドナイフと言われる、ドラゴン狩りに使う刀です。 セコンドという名前から判るように、普通、狩りに使われるロングソードよりもずっと短く、捕らえたドラゴンをさばいたり、密着してトドメを刺すときに使う刀なので、屈強な男ならともかく、マリーのようにか細い女の子が持っていても、あまり役には立ちません。 もっともディックはそんなことを指摘してマリーを怒らせるようなおろかな真似はせず、黙ってため息をつきました。 本当だろうが事実だろうが、女の子の望まないことを言って怒らせてはいけないという、男における世界共通の基本を、この歳にして早くも身に着けているわけです。なかなか賢い男の子でしょう? そんな彼の様子を見て、マリーはなんだか心配になりました。なぜならもう、彼の面倒を見てあけられなくなるからです。彼女は逡巡した末、この大事な話を、できるだけ明るく切り出すコトにしました。 「あのね、今度パパが帰ってきたら、私たち、引っ越すかもしれないんだ。腕のいいドラゴンバスターが足りなくて、隣の町に行かなくちゃならないんだって。だからね、もう、あんたのこと、いじめっ子たちから守ってあげられないんだよ?」 まさに寝耳に水。 ディックは驚いて叫びます。 「そんな……そんなのイヤだよ」 泣き出しそうなディックの顔を見て、マリーはため息をつきます。 「イヤだって言っても、仕方ないでしょう? パパは優秀なドラゴンハンターなんだから」 言ってしまってから、マリーはしまったといった顔になります。 ディックの父親は、ドラゴン狩りのときに誤って命を落としてしまっていたからです。夫の死に耐え切れず、彼の母親も病で亡くなりました。 それ以来ディックは、彼の父の親友であったマリーの両親に引き取られ、一緒に暮らしているのです。 マリーに彼の父を悪く言う気など毛頭ありませんでしたが、今のせりふは、彼の父が優秀ではなかったと揶揄しているように聞こえたのではないか、と心配したのです。 取り繕うように、マリーはあわてて言い募りました。 「とにかく、これからはあんた一人で強くならなくちゃだめなんだよ? わかった? もう、あたしは助けてあげられないんだからね?」 「引越しなんてしないで?」 「そういう訳には行かないの。わかった?」 情けない顔で、しぶしぶとうなずくディック。 マリーは、もうひとつため息をつくしかありません。 まあ、そんな風にマリーは意気揚々と、ディックはおっかなびっくりしながら、それでも何とか二人はきのこの群生する場所を見つけました。 歓声を上げてきのこ狩りを始めたマリーに引きずられ、ディックも、もさもさときのこを採ります。もちろん、泣き虫ディックらしく、あたりにびくびくと気を配りながら。 そんな様子を見て、マリーはまた怒ります。 「本当に臆病ね、あんたは。そんなにびくびくしている暇があったら、とっとときのこを採って、さっさと帰るわよ」 少なくとも「さっさと帰る」と言う部分には大いに賛成だったので、彼は急いでかごの中にきのこを放り込みます。その様子を満足そうに眺めたマリーは、自分もきのこを採るために、くるりと振り向きました。 そこで、彼女は凍り付いてしまいます。 なぜって、大きなドラゴンが、こちらにぎらぎらした目を向けながら、のっそりと立っていたのですから、無理もないでしょう? 一拍おいて、ディックも異常に気がつきました。同じように金縛りになってしまいます。 と。 きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! マリーが悲鳴を上げるのと同時に、ドラゴンがのそのそと動き出しました。捕食の動作ならこれほどのんびりはしていないでしょうから、きっとこのドラゴンは、気まぐれに散歩していただけなのでしょう。 もっとも、そんなことはマリーたちにはわかりません。なんと言っても、本物のドラゴンを見るのは、これが初めてなのです。 腰が抜けてへたり込んでしまったマリーに向かって、ドラゴンはゆっくりと近づいてきます。単に興味を持っただけなのですが、マリーやディックから見れば、彼女を襲うために近づいてくるようにしか感じられません。 そのうちドラゴンは、くさい息がかかるまでの距離に近づいてきました。もはやマリーの命は風前の灯に見えます。 といっても、本当言うと、そんなことは全然ないのです。ドラゴンはおなかいっぱいのときには、決してイタズラに捕食したりしませんから。 けれど、少なくとも、当のマリーと傍で見ているディックには、恐ろしいドラゴンが彼女を食べるために襲い掛かってくる、としか見えません。 「マリー! マリー!」 ディックは叫び、マリーも絹を裂くような悲鳴を上げます。 と。 ばしゅっ! 奇妙な音がして、次の瞬間、マリーの上にざぁっと雨が降りました。 ??? 一瞬、あっけに取られてから、それが血液だと言うことに気づいて、マリーはもう一度、魂消るような悲鳴を上げます。 「いや、いや、いやぁ!」 「マリー! マリー! 大丈夫。もう、大丈夫だ。しっかり」 マリーは強く抱きしめられ、頭の上から低い、暖かい声でそういわれ、我に返りました。 「え?」 つぶやきながら目を開けると、そこには大好きな顔が。 「パパ……」 次の瞬間。 「パパぁ!」 マリーは大泣きしながら、暖かい父親の胸にすがりつきます。 ああ、大好きなパパ。パパが助けてくれた。 恐怖から開放された安堵で、マリーは泣き続けました。 泣くだけ泣いて平静を取り戻したマリーは、そこでようやく自分に降りかかってきた雨のような血しぶきが、父親がドラゴンの首をはねたせいだとわかります。 薄気味悪い、生臭い匂いに耐えかねて、マリーは不平を漏らしました。 「パパ、おうちに帰りたいよ。シャワーに入りたい」 父親、ジェイルは優しい笑顔でうなずきます。 「だが、その前に彼をつれて帰らなくちゃ」 父親の指した先には、気絶してしまったディックが倒れていました。 「なによ、だらしないわね。まったく、弱虫ディックなんだから」 「ふふふ、そういうマリーだって、ずいぶん意気地がなかったじゃないか。あのドラゴンはおなかをすかせてなかったから、ほうっておけば森の奥に帰っていったんだよ?」 「だって、私は女の子だもん!」 「だったら、これは取り上げだ」 そういってジェイルはマリーの腰からドラゴンソードを引き抜きました。スペアのソードを持ち出したことがばれたマリーは、首をすくめて舌を出します。 それからジェイルは目を覚ましたディックを背負い、マリーの手を引いて、森を出る道を歩き出しました。 道すがらお説教です。まあ、これだけのことをしたのですから、仕方ありませんね。 「いいかい、ふたりとも。もう、こんな危ないことをしては駄目だよ?」 「でも、マリーに言われたら、僕は……」 「なによ! 全部私のせいにする気? まったくなんてだらしない男なんでしょう、あんたって子は」 「そうじゃないよ。マリーが悪いんじゃなくて、僕はマリーに言われると断れないって言うか……」 まあ、恋する男は弱いものです。 ジェイルはニコニコとしながら、二人を見ています。マリーはディックが何を言いたいのか判らずに、いらいらした調子で言い返します。 「イイワケするんじゃないの! 男なら、もっと堂々としなさい」 マリーだって本当はディックが好きなんですが、こんなにだらしのない男の子だと、なかなか素直にスキといえないのです。 男はすべからく、パパのように強くあるべし。 マリーの根底には、そんな思いが流れているのでしょう。ファザコンといえばそうなのかもしれませんが、たいていの女の子には、こういった気質があるものです。 「おいおい、マリー。そのくらいにしておきなさい。そんなにおてんばだと、ディックがお嫁さんにもらってくれないぞ?」 「なに言ってるのよパパ! こんなだらしない男、こっちから願い下げよ!」 パパもうかつなことを言いましたね。おかげでディックはまた少し傷ついて、悲しそうな顔を伏せてしまいました。しまったなぁと言った表情でジェイルも頭をかきます。 女の子の扱いと言うのは、いくつになっても難しいようです。特にこういう、無骨で不器用な男どもには。 そんな風にわいわいと言いながら森の中を歩いていると、突然、ひゅうと風がなります。何だろうと周りを見ようとしたディックとマリーの目前に、不思議な光景が映りました。 パパが、ジェイルが、逆さになって飛んでゆくのです。 え? と思うまもなく、二人は事態を把握します、いや、させられます。 くぁーおぅ! 激しく、それでいて物悲しい響きを持った叫び声が、響き渡りました。ドラゴンの叫び声です。 その強靭なシッポに吹っ飛ばされたジェイルは、大きな木の幹に身体を打ち付けられて、げぼっと血を吐き出しながら、転がりました。意識は失わずに済んだので、彼には後悔することができました。 「しまった……まさか、あんなに大きいのが……」 先ほどジェイルが倒したのは、どうやらこのドラゴンの子供だったようです。 「繁殖期のケルベロスと、子持ちのドラゴンには近づくな」 誰でも知っている、ドラゴンバスター、ケルベロスハンターの基本中の基本ですが、先ほどのドラゴンは大きかったので、ジェイルもまさか親離れしていないドラゴンだとは思わなかったので した。 大きくなっても親離れできない子供が増えているのは、ドラゴンの世界も同じようです。 「にげろ! ふたりとも、にげろ!」 ジェイルは必死で叫びます。 が、マリーはさっきよりもさらに大きいドラゴンに、腰を抜かしてしまいました。今度は気絶までしないものの、ディックも恐怖でまったく動けません。 絶体絶命、とはこのことでしょうか。 「パパ、パパ、たすけて……」 マリーがか細い声でそういいます。大きな声を出すには、間近に迫ったドラゴンは迫力がありすぎるのです。 「マリー! マリー!」 ディックは思わず大声を上げました。大好きなマリーが襲われそうなのですから、彼が我を忘れても仕方ないでしょう。 しかし、そんな気持ちにはお構いなく、ドラゴンは本能に従って、声のしたほうを見ました。つまり、ディックのほうを。 がるぅう 低くうなると、のそりのそりと方向を変え、ディックの方に向かってきます。しかも今度は、明らかにディックを食べるためでしょう、かなりの速さで向かってきます。 ディックはもう、恐ろしさのあまり失禁しそうになりました。 「こっちだ!」 瞬間、ジェイルが吠えます。なんとしても子供たちを守らなくては。そんな思いが、肋骨の折れた激痛の中で、彼に大声を出させたのです。しかし、反撃するまでの力は、もう、残っていません。 叩きつけられた時に折れたのは、肋骨と右の大たい骨、それに左の脛骨でした。つまり、彼はもう、立ち上がって歩くこともできないのです。 万事休す。 ジェイルは、こうなれば少しでも抵抗して、子供たちの逃げるチャンスを作ろうと心に決めました。ロングソードを引き抜いて、木の幹に寄りかかって座りながら、決意と共に剣を構えます。 「いやぁ! パパ! パパっ! パパぁぁぁ!」 マリーの魂のすべてが、叫びました。 マリーの全身全霊でした。 それに答える神様はいませんでしたが、それに応える男はいました。 ぶるん! ディックの中で、何かが震えます。 マリーが……ジェイルさんが…… 瞬間。 ディックは駆け出すと、木の幹に叩きつけられた時に、ジェイルのポケットから吹っ飛んでいたセコンドナイフを拾い上げ、一心不乱にドラゴンへ飛び掛ります。 「やめろ!」 ジェイルの叫びも、ディックには届きません。 このままでは、子供たちが殺されてしまう! しかし、彼の身体は、もう、言うことを聞いてくれません。 刹那、ジェイルは叫びました。 「ディック! のどだ! のどのうろこを狙え!」 子供にドラゴンを撃たせるなんて、などというのんきなことは言っていられません。ジェイルはのども裂けよと叫びます。その思いは、ディックに届きました。 ディックはジェイルの言葉を聞いて、闇雲に突進するのをやめ、ドラゴンののどを狙います。その瞳には学校で習ったドラゴンの弱点、一枚だけ逆さに生えた逆鱗(げきりん)だけが、カメラのズームのように大写しになっていました。 声も出さずに気駆け出したので、幸いドラゴンの注意はまだジェイルに向いています。ジェイルはドラゴンがディックに気づかぬように、ひたすら大声を上げて、さらに注意をひきつけました。 だっ! ディックの小さな身体が中を舞います。 吸い込まれるように、美しい曲線を描いて、ディックの握った短剣は、ドラゴンの逆鱗に深々と突き刺さりました。 ぎゃぁぁぁおぉぉぉぅぅぅ! ドラゴンはものすごい悲鳴を上げて、大地にぶっ倒れました。しばらくは、それでも抵抗しようともがいていましたが、やがてだんだん動きが小さくなり、ついにはこときれてしまいます。 死の間際、ドラゴンはなんともいえない悲しい声を上げました。 あぁぁぁぁぁぁぁぁぁるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ〜〜〜〜〜 それは己が死にゆくことよりも、子供が死んでしまった悲しみに、よりいっそう染まっているかに思えます。少なくとも、ディックにはそう思えました。 ドラゴンが完全に動かなくなって、ジェイルはようやくためていた息を吐き出しました。それからディックを見ると、彼は返り血を浴びたまま、ドラゴンの死体を、怒ったような表情で睨みつけています。 そこへようやく立ち上がれたマリーが駆け寄ってきました。 「パパ! パパ!」 ジェイルは愛娘を抱きしめて、生きている実感に喜びを覚えます。しかし、視線を移してみれば、あの気の弱い、泣き虫ディックが、決然とした表情で、ドラゴンの死体を見つめています。 少し考えて、ジェイルは明るく声をかけました。 「たすかったよ、ディック。ありがとう。そのドラゴンは、君の初めての戦利品(トロフィー)だ。君もこれで、一人前のドラゴンバスターだ」 しかしディックは、ドラゴンの死体から目を離し、悲しげな瞳でジェイルを見ます。 「こいつは、子供を殺されたから、仕返しに来たんだね?」 ジェイルは一瞬、戸惑ってから、しかし、ディックの瞳に強い光が宿っているのを見て取ると、真剣な顔で応えました。 「そうだ。こいつは自分の子供の敵(かたき)を取るために、俺を襲ったんだ」 「それじゃあ、こいつは悪くないよね? 悪いのは、子供を殺したおじさん、いや、おじさんに子供を殺させた、僕とマリーだよね?」 マリーがふくれっつらで言い返そうとするのを押しとどめ、ジェイルは強くうなずきました。 「そうだ。彼らの生活圏に入り込んだ君たち、そして襲う気のなかったドラゴンを殺した私、両者のせいで死ななくてもいいドラゴンが死んだんだ」 マリーは驚いて父親の顔を見つめます。ディックは視線をまたドラゴンに戻して、悲しそうにつぶやきます。 「かわいそうだね」 ジェイルはうなずきかけ、思いとどまると、真摯な口調で、この小さな悩める戦士に話しかけました。 「そうだな。だけど、もし万が一、マリーや君がこんな風になったとしたら、私は悲しくて死んでしまう。だから、殺したのがいいことだとは思わないけれど、それでもこんなことがあれば、私はまた、ドラゴンを殺すよ」 一瞬、抗議の声を上げかけたディックは、そこでジェイルの決意にあふれた瞳を見て、下を向き黙り込みます。それからしばらく考え、もう一度顔を上げました。 「そうだね。僕もおじさんやおばさん、マリーが死んでしまったら、悲しくて生きてゆけない。だから、僕もまた、ドラゴンと戦う。マリーや、おじさん、おばさんは、僕の大事な家族だから」 その言葉に、ジェイルは表情を緩めました。 「ディック、それが正しいことなのかは、私にはわからない。私はそうやって生きてきたけれど、もしかしたらまた他の道があるのかもしれない。だから、とりあえず今はそう思っていればいい。いつかまた、違う風に思ったら、そのときはその信念にしたがって生きてゆけばいいよ」 小首を傾げるディックに、ジェイルは穏やかな微笑を返します。 「君はもう、一人の男として生きはじめたんだ。今の気持ち、思いを忘れないように、そのときそのとき、いちばん正しいと思う道を歩みなさい」 ディックはしばらくその言葉を咀嚼してから、晴れやかな顔でジェイルを見ました。 「はい。そうします」 「ねえ、もう、おうちへ帰ろうよ」 自分が置いてけ堀なのが気に食わないのでしょう。マリーはふくれっつらで、父親の袖を引きました。 ジェイルはにっこりと笑うと、ディックに向かって言います。 「ディック、私は歩けないんだ。帰って町の人たちを連れてきてくれないか?」 すっかりたくましくなったディックは、力強くうなずいて駆け出しました。その後ろ姿をジェイルが目を細めて見送ります。 「いつの間にか、あいつそっくりになったなぁ」 「あいつってだれ?」 彼の親友であり、彼を助けるために死んだディックの父親の姿を思い浮かべながら、ジェイルは愛しい娘を抱き寄せました。 「パパ?」 「なあ、マリー。パパはもう、ドラゴン退治には行かないよ。これからは、マリーとママと三人で一緒に暮らすつもりだ」 「本当?」 うれしそうな声を上げてから、マリーはすぐに表情を曇らせます。 「でも、そしたらお金がなくなっちゃうよ?」 女の子というのは、現実家なのです。 ジェイルはそんな娘の頭を優しくなでながら、穏やかに微笑みます。 「大丈夫。たくわえだってあるし、他の仕事もあるんだ。父さんは今まで、町で一番ドラゴンをやっつけたから、これから暮らしてゆくくらいのことはどうにでもなるんだよ」 それを聞いて、マリーはにっこりと微笑みます。 「そうかぁ、それならよかった。でも、パパ。ディックを忘れてるよ? 三人じゃなくて、四人で暮らすんだよ?」 「ああ、そうだね。これはすまなかった」 言ってからジェイルは、マリーに聞こえないように口の中でつぶやきました。 「もっとも、彼にその気があれば、の話だけれど」
しばらく待つうちに、町の人々が担架を持ってやってきました。 マリーは母親の姿を見ると駆け出していって、その胸に飛び込みます。母親のレミーは娘を抱きしめて無事を確認すると、夫のところへ近寄ってきました。 その口から言葉が出る前に、マリーがうれしそうに叫びます。 「ママ! パパはねえ、もう、ドラゴン狩りをしないんだよ? これからはみんなでずっと一緒にいるんだよ? もう、引越しもしなくていいんだよ?」 驚いた妻の顔に、ジェイルは優しく微笑みながらうなずきます。 しばらく呆然としていたレミーは、やがて大きな大きな、今までにたまったイロイロな思いを吐き出すような、本当に大きなため息をつきました。 そんな妻の姿に、ジェイルはうれしそうに何度もうなずきかけます。 一方、マリーのほうは勢いよく飛び出すと、ディックのもとへ駆け寄りました。 「ねえ、ディック! 聞いたでしょう? パパ、もう、ドラゴン退治に行かないんだって。だから、お引越しもしなくてすむんだ。これからも、ずっと一緒にいられるんだよ?」 マリーは満面の笑みを浮かべて、今度ばかりは本当に素直に笑いました。すると、 「はじめて……」 ディックがぽつりと言います。 マリーは彼の顔を覗き込んで聞き返しました。 「え? なに?」 「初めて僕に向かって、そんな風に笑ってくれたね」 うれしそうな、本当にうれしそうな笑顔。 にっこりと屈託なく笑うその顔を見て、マリーは急にどきどきしだした心臓に戸惑いながら、ようやく言いました。 「そ、そうだっけ?」 「そうだよ」 「そう……それで?」 ちょっとイジワルを言ってみたくなったのでしょう。マリーはディックの顔を覗き込みながら、ちょっとイタズラっぽい顔で言いました。もちろん、本気で意地悪をしたいわけじゃありません。 女の子というのは、その気がなくても時々気まぐれに、そういうことをするものなのです。 すると彼は、急に、少しだけ寂しそうな顔になって答えます。 「ありがとう。君の笑顔、ずっと忘れないよ」 ありがとうと言われても、どういう返事をしてよいのでしょう。マリーは困ったように沈黙します。それから、今の言葉に込められている意味を悟り、あわてて聞き返しました。 「どういうこと?」 「僕はもう、君と一緒に暮らせない。行くところがあるんだ」 「一緒にいられない?」 ディックはゆっくりとうなずくと、寂しそうに笑いました。 「どうして? どうして?」 軽いパニックになりながら、マリーは必死の思いで繰り返します。 ディックは困ったようにマリーを見、それからジェイルの顔を見ます。ジェイルはやさしい微笑を浮かべながら、ディックに向かってうなずきました。 ディックもうなずき返すと、何かが吹っ切れたのでしょう、晴れ晴れとした面持ちでマリーを見返しました。 「今度は、僕がゆくんだ。ドラゴンを退治するんだよ」 ドラゴンバスターになるためには、専門の学校に行かなくてはなりません。全寮制のその学校で、毎日厳しい訓練をしながら、戦士として自分を鍛え上げなくてはならないのです。 そのかわりドラゴンバスターの養成学校は、町の公費で運営されていますから、これまでようにマリーの家で厄介にならなくても、一人で生きてゆけるのです。 戦いを決意し、独立の気概を持ち始めた若者には、とても魅力的な条件だといえるでしょう。もちろん、その若者に恋する女の子にも同じように魅力的だとは、間違っても言えないのですが。 「どうして!」 強く叫んだマリーにも、ディックは瞳をそらしません。もう、彼は泣き虫ディックではなく、一人の男なのです。 「今度は、僕が君を守るんだ。君のパパが君を守ったように。今までずっと、君や、ママや、僕たちみんなを守ってきたように」 「あんなに怖がっていたじゃない。だのに、なぜ?!」 ディックは照れくさそうに微笑みます。それは確かに、男らしい、まことに涼やかな、はにかみの笑顔でした。 「うん。今でも怖いよ? だけど、ドラゴンがいるうちは、みんな安心して暮らせないだろう? 僕は、君や君のママとパパ。誰も失いたくないんだよ。みんな、僕の大切な家族だから」 「だからって……そんな……」 マリーはもう、なんと言っていいのかわからずに、ただ、いやいやと首を振ります。すると、彼女の父親が近づいてきて言いました。 「マリー。行かせてあげなさい。彼はドラゴンと戦い、それを打ち倒したんだ。もう、立派な一人前の男なんだよ? そんな男が、大切な人を守るために戦いにゆくと言っているんだ。誰にも止める事はできない。止めてはいけないんだ」 「でも……パパ……でも……」 マリーの大きな瞳からは、いつの間にかぽろぽろと涙が溢れ出しています。その涙は、ディックの心を少しだけ痛めましたけれど、でも、彼の固い決意を変えるまでには至りません。 ディックは胸を張り、内に強い意志を秘めた「男の微笑」を浮かべると、ジェイルを見つめます。 ジェイルも、もはや娘の友達の泣き虫ディックを見る目ではなく、共に戦った戦友に対する真摯な強い瞳で、彼を見つめ返します。 「では、僕はゆきます。今まで、ありがとうございました」 「うむ。学校への手続きは、すぐに済ませよう。これからは、君自身の力で、一人で生きてゆくんだ。それはとても大変なことだけれど、今の君なら大丈夫だろう」 ディックはジェイルの、いや、彼のふたりめの父親の言葉に、力強くうなずきました。彼の気持ちをわかってくれ、送り出してくれる父への感謝の念で、胸が熱くなります。 「でも、何か困ったときには、いつでも私を訪ねてきなさい。全力で力になろう。君は、私の息子なんだ」 ディックはまたも力強くうなずくと、思わず抱きつきそうになりました。しかし思いとどまり、少し考えてから、右手を差し出します。 その手をジェイルの大きな手が、がっしりと握りました。男たちは、そうして万感の思いを秘めたまま、固い握手を交わしました。 それからディックは、マリーに視線を移し、言います。 「マリー…………僕は君が好きだ。必ず帰ってくるから、それまで待っていて欲しい」 マリーはぷいとむくれたまま、返事をしません。ディックはそんなマリーに苦笑すると、ジェイルとレミーに向かって深々と頭を下げました。 それきり、くるりと振り返ると、力強い足取りで歩き出します。 マリーは横を向いたまま、まだ、ぐずっていましたが、ディックが振り向かずに歩き出したのを見ると、ついにたまらず駆け出します。 ほんの数時間で急激に知らない人間になってしまったような、ディックの変化に対する違和感や戸惑いを振り切って、彼女は叫びました。 「ディック! ディック! 必ずよ? 必ず帰ってきてね?」 ディックは振り返ってにっこりと笑うと、右手を上げて叫びました。 「うん! 必ず帰る。待っててくれ!」 そして、何事もなかったようにきびすを返すと、今度はもう、二度と振り向かずに歩いてゆきます。マリーはその後ろ姿を、見えなくなるまで見つめ続けました。 彼女の後ろでは、ジェイルに寄り添ったレミーが、大きなため息をつきます。その様子にジェイルが小首を傾げて彼女を見ると、少し怒ったような表情で、答えが返ってきました。 「まったく、ディックも男の子ってことね」 ジェイルは我が事のように胸を張り、力強く首を振ります。 「いや、もう、一人前の男さ」 夫の答えに、レミーは同じように、いや、むしろあきれたように首を横に振りました。 「いいえ、男の子よ。あなただって、ずっとそうだったでしょう? 私とマリーを放りっぱなしで。私たちを守るためなんて殊勝なことを言ってたけれど、本当はドラゴン相手の命のやり取りが 好きだったんでしょう? いつ帰るかも判らずに待ち続ける女の気持ちを、少しは考えたことがあるの?」 言われてジェイルは、なんと応えていいやら言葉につまり、肩をすくめて苦笑します。その顔をしばらく睨んでいたレミーは、ふいに愁眉を開くと、輝くような笑顔を見せました。 それは確かに、ジェイルが愛した一番大切な笑顔です。 「でも……おかえりなさい。これからは、今までの分も、いっぱい愛してくださいね?」 ジェイルは何度もうなずきながら、愛する妻を強く抱きしめます。 それから、娘の背中越しに旅立つディックの姿を見、小さくつぶやきました。 「がんばれよ」 言ってみると、その後ろ姿が急に大きく見えてきて、なんだか悔しいような、自分も共に戦いたいような気持ちになります。 引退宣言なんてしたのは、早まったかなぁ? ディックと共に、ドラゴンと戦うって言うのも、実際、悪くないよなぁ。なんて、舌の根も乾かぬうちに思ってみたり。 しかし、敏感に察知して顔を曇らせた妻に気づくと、あわてて、底抜けに陽気な声で言いました。 「ディックが大きくなって帰ってきたら、マリーと一緒になるんだぜ? 楽しみじゃないか」 その言葉に、レミーは顔をしかめて見せると、おどけて言い返します。 「マリーの旦那さんには、できればドラゴンバスターじゃない人を、って思ってたんだけどな。ドラゴンバスターの妻なんて、女としてはあんまり幸せな生活じゃないから」 目を丸くした夫に、レミーは舌を出します。 それから二人は、同時に大声で笑い出しました。 |