ドッグズ・ライフ
「あんたね、犬なら犬らしくキチンと言うこと聞きなさいよ」

女はイライラした様子で、腕組みしながら言った。女性にしては大柄なその身体は、目の前の人物よりもひと回り大きい。

「ご、ごめんよ。でも、僕は人間だよ。きちんと言うこと聞くからさ、犬って言わないで?僕は君の言うことを聞くのが、すごく嬉しくて幸せ。それは認めるけど、犬、犬って言われるのは嫌だよ」

言われた青年は少しおどおどしながら、それでも目を輝かせて言い返す。とにかく彼女と話せるのが、嬉しくて仕方ないのだ。もしあったなら、きっとチギれんばかりに尻尾を振っていただろう。

「あのさ、その言い草がすでに犬だって、自分で気づいてよ。お願いだから。ホントあんた見てるとイライラする。あんたみたいなのは、犬好きの女の方が上手くいくよ、きっと」

「そんなぁ……僕は君が大好きなんだよ。他の女の人なんて考えたこともないよ」

一転、しおれた声を出すと、彼はうつむいてしまう。ないはずの尻尾をぐったりと下げて、見ていて哀れになるほどのしょげっぷりだ。身体が貧相なのが余計に寂しい印象を与える。こうなると、彼女より明らかにふた周りは小さい。

しかしそのしょげっぷりを見ても、女はカケラも哀れとも思わず、むしろさらに追い討ちをかけた。

「情けないわね。それで一人前の男、ううん、人間扱いしてもらえると思っているの?あたしはね、強い男が好きなの。自信にあふれた、そう、ライオンみたいな男が好き。犬はお呼びじゃないのよ。じゃね、バイバイ」

女はそう吐き捨てると、青年を残して去ってゆく。彼は悲しそうに女の背中を見送ったまま、立ち尽くしていた。

  女はヒールの音も高らかに、夜の町を闊歩していた。

すると突然、物陰から大きな影が彼女に襲いかかる。彼女が悲鳴をあげて飛びのくと、そこに居たのはナイフを持った大きな男だった。その凶暴な様子に女は息を飲む。

「ハンドバッグをよこせ」

女は恐怖に震えながら、ハンドバッグを渡そうとした。その手首を、大男はがっしりとつかむ。彼女は悲鳴を上げて逃げようとするが、まるで万力にはさまれたかのように、腕はびくともしなかった。

「いい女だな。ついでにおまえもいただくとするか」

大男は分厚い唇をゆがめた。その下卑た顔を見て、彼女に今まで以上の恐怖が走る。大声を上げて助けを求めた。

「たすけて!誰か助けて!」

刹那。

彼女の叫びに呼応して、またも影が走る。もちろん、彼女に犬と呼ばれていたあの青年だ。青年はものすごい勢いで、大男に体当たりをかました。男は女の手を離す。

彼女はその隙にぱっと離れて、二人の男から距離をとった。

青年と男は、もみ合って転がった。数十秒の格闘の末、突然、悲鳴が上がる。絡み合っていた二人はついに離れた。大男の腕に、青年が噛み付いたのだ。男の腕からは、どくどくと血が溢れ出す。

血を見て逆上した男は、青年に向かって飛び掛っていった。鈍い、嫌な音がして男は青年から離れる。

青年の腹からナイフの柄が生えていた。

自分の身体から飛び出した異物を不思議そうに眺めながら、青年はゆっくりと倒れてゆく。そこへようやく騒ぎを聞きつけた警官がふたり、誰何の声を上げながら駆け寄ってきた。大男はそれを見ると、一目散に逃げ出してゆく。

彼女は倒れている青年に近づいた。青年は苦しそうに顔をゆがめて脂汗を流していたが、彼女の姿を見ると、にっこり微笑んだ。

「大丈夫?怪我はない?」

彼女は小さくうなずく。

青年は、心の底から安堵のため息を漏らして、幸せそうに笑った。脂汗が顔中に浮かんで玉のようになっている。それをぬぐう余裕もなく、青年は痛みに耐えながら、それでもいつものように嬉しそうな顔で彼女に向かって話し掛けた。

「僕のことは気にしないでね?君の役に立てたことが、本当に嬉しいんだから……ふふふ……僕、自分では人間と何も変わらないと思っていたけど、やっぱり犬だったみたいだ」

女は無言のまま、彼の言葉を聞いていた。

「覚えておいて。犬はね、大好きな人の役に立てることが、何よりも幸せなんだよ?人間は、自由に生きるのが好きだろうけれど、犬は誰かに命令してもらったり、誰かのために働くことのほうが幸せなんだ」

「わかった。忘れない」

彼女はそうささやいた。その顔を目を細めながら眺め、青年はうなずく。そして途切れがちな、しかし、やさしい慈しみにあふれる声で、ささやくように言った。

「ありがとう。あなたに会えて幸せでした……愛してます」

青年は幸せの中で息を引き取った。

ちょうどそこへ、警官二人がやってきた。彼女は男が逃げた方を指さしながら事情を話す。ひとりがそれを聞き、もうひとりは青年の遺体を検分した。彼の財布から身分証を取り出す。

「おや?彼は、いや、こいつは獣人ですな?監察を持っていないところを見ると、野良みたいだ……ふむ。犬系の獣人なのか」

その言葉を聞いた同僚の警官は、あからさまにめんどくさそうな顔をして吐き捨てる。

「なんだよ。獣人かぁ。お嬢さんの飼い犬ではないんですね?あ、違う。そうですか。それでは保健所に連絡して死体の処分に来させますから、お嬢さんはもうお帰りなさい」

「保健所で処分されるんですか?」

「ええ、そうですよ。かわいそうですが、野良獣人だから保健所で焼却処分ですね。それとも小さいから、お嬢さんが連れて帰って、葬式でも挙げてやりますか?はははは」

警官の笑いを黙殺すると、彼女はゆっくりと青年の遺体に近づき、その小さな身体を抱え上げた。振り向いた彼女は、凛とした表情で警官を見据える。

そして、しっかりと背筋を伸ばし、堂々と胸を張ると言った。

「もちろん」

その表情には、誇りさえ感じられた。

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