| ダンボール男 |
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最近、アタシの通勤途中に、変な男が出る。 と言っても、別にコートの前をはだけたりとか、その手のヘンな男ではない。その男はジーパンにTシャツと言った、普通の格好をしてるのだが、道ゆく人々を、タバコをくわえて鋭い目つきでにらみつけているのだ。 手に、なにやら妖しげなダンボール箱を持って。 突然刺されたり、襲われたりしたらかなわないので、あたしは道順を変えることにした。ちょっと遠回りになるけれど、命には代えられないからね。 大げさな気もするけど、今の時代、そのくらい慎重じゃなくちゃ長生きできないのも事実。そこら中に、嘘や、騙しや、裏切りが潜んでいるんだから。 ああ、裏切りで思い出しちゃった。ホント、思い出すたびに腹が立つって言うか、切なくなる。 つい一月ほど前のこと。 あたしは三年いっしょに暮らした男に、思いっきり裏切られた。尽くして、尽くして、一緒にいられるだけで何もいらなかったのに、あの男はあたしを裏切ったの。 それでも、なかなか別れる決心がつかなかったんだけど、そんな悩んでるあたしを尻目に、あの男は、また別の女と。さすがにもう、これ以上一緒にいたら心が壊れちゃう。 アタシは部屋からあの男を追い出し、あの男の匂いのするものを、すべて捨てた。 大きな灰皿、車の雑誌、洋楽のCD。ふたりの将来のためにって買ったのに、アタシばかりが入れていた貯金箱。置くところがないって言われて、マンションの裏に置いておいた車のホイール。土砂降りの日にアイツが拾ってきた野良犬。そして、二人で撮ったたくさんの写真。 もう、すべてを忘れて、全てを捨てて、いっそさっぱりとした気持ちで、あたしは新しい生活をはじめた。ともすれば激しく落ち込む心に活を入れて、心機一転、ひとりで生きてゆくことに決めた。 もう、男なんて信じないか、それとも新しい恋に出会えるのか、今のところはわからないけれど、言うなればそう言う、まさに門出の時なわけ。 その矢先に、通勤途中にヘンな男、でしょう? 一瞬、「ああ、もう、踏んだり蹴ったり」とも思ったんだけど、せっかく新しい生活をはじめるんだから、いっそいつもの通勤経路も変えればいいやって、前向きに考えてみることにした。 ところが、事態はそう簡単なものではなかったようだ。 会社の人と昼休みに食事をしていると、なんと、例の男の話が持ち上がったのだ。話によれば、男はダンボールを抱えたまま近寄ってきて、何も言わずに立っているらしい。 「なんですか?」と話し掛けても、無言のままダンボールをにらみつけているんだって。その界隈では、「ダンボール男」って呼ばれているんだそうだ。 「なんだろうね? そのダンボールの中身って」 「さあね。もしかしたら、人間の生首でも入ってるんじゃないの?」 噂話にグロテスクな尾ひれがつくのは、男の抱えるダンボールが、ちょうどそのくらいの大きさだからだろう。アタシは「セヴン」って映画を思い出して、ちょっと背筋が寒くなった。 やっぱり、通勤経路を変えてよかった。 はずだった……。 しかし、それも結局、甘かったみたい。 なんでかって、今、残業で遅くなって、夜中の駅を降りた私の目の前に、ダンボール男が立ってるんだもん。 あぁ、もう、どうして? なんでこんないやな目にばかり合うの? どうしてアタシを裏切ったあの男は平然と暮らしていて、裏切られたアタシの方が嫌な思いばかりしなくちゃならないの? も、いい加減、キれそう。 そんなあたしの思いを知ってか知らずか、ダンボール男はアタシをにらみながら、一直線にこっちへやってくる。 あたりを見回しても、こんな夜中じゃもちろん誰もいない。交番の方を見たが、どうやら警邏にでも出ているようで、もぬけの殻。警察なんて税金で動いてるくせに、肝心な時に、役に立たないんだから! そうこうする間に、ダンボール男は私のすぐそばまでやってくる。 「なによ? ヘンなことしたら、大声出すからね? この変態!」 もうすでに大声を張り上げながら、アタシはダンボール男をののしった。男はそれでも平然としたまま、手にもったダンボールを見つめている。 も、もしかして…… ダンボールの中身は、本当に生首? まさか、アイツの生首? アタシは恐ろしい想像に、一瞬パニックになりかける。 でも、よく考えたら、そんなことあるわけない。だって、ついさっきアイツからメールがあったんだから。「車のホイール、どうした?」って。「捨てた」って返したら、それきり返事はないけど。 気持ち悪いのと、怖いのと、腹が立ったのでわけがわからなくなったアタシは、ダンボール男をぶっ飛ばしてやろうと、ハンドバッグを振りかぶった。 と。 わんわんわん! 突然、ダンボールの中から吼え声がする。 ビックリして固まった私を尻目に、男はダンボールの蓋を開けた。同時に飛び出してきた子犬が、ちぎれんばかりに尻尾を振りながら、アタシの足元にまとわりつく。あたしが捨てた、あの男の拾ってきた野良犬だった。 「やっと見つけた」 ダンボール男は、そう言って大きなため息をついた。それから、キっとアタシをにらむと、低い声で言う。 「どういうワケかは知らないが、こいつはモノじゃない。生きてるんだ。飼ったのなら、簡単に捨てるな」 もちろん、あたしが悪いのはわかっている。でも、はっきり言ってこっちはそれどころじゃなかったし、捨て犬の飼い主を探して何日も待ち伏せするような男、気持ち悪いし絶対異常だ。アタシは切り口上で叫んだ。 「なんなの、あんた? 頭おかしいんじゃないの? あのね、そりゃその子には悪い事したかもしれないけど、仕方なかったのよ! あたしを裏切った男が飼ってた犬だもの。犬に罪はないって言っても、その犬を見るとあの男を思い出すんだから、仕方ないでしょう!」 それでも犬には罪が、とか、生き物と言うものはうんぬんみたいな反論が返ってくると思っていたら、男は悲しそうな顔でつぶやく。 「裏切られたから、裏切ったのか? でもコイツは、裏切られても、あんたのそばに居たいみたいだぜ?」 「あたしは犬じゃない」 「だろうな。だから平気で裏切るんだ」 「その犬のような無償の愛こそ、本当の愛だって言いたいワケ?」 「いいや、自分が裏切られたのがそれほど悔しいのに、抵抗も反論も出来ない犬を裏切って、さらにそれだけ言い訳を並べて自分を正当化できるんだから、あんたなら男に裏切られても、図太く生きていけるよ、って言いたいのさ」 「なによ! あんた何様? なんで知りもしない奴に、そこまで言われなくちゃならないの?」 「ムカつくからだよ!」 男は突然、ものすごい大声で怒鳴った。それでもあたしだってイライラしてるんだ。そんな脅しなんか怖くない! 「大きな声出さないでよ! どこの動物愛護団体だか知らないけど、いい加減にしてくれない?」 アタシの言葉に、男はくしゃくしゃに顔をゆがめて怒った。いや、泣いているのか? 「俺はバカだから、捨てられた犬を放って置けないんだ。ああ、そうさ。俺が勝手にやってることだ。別にあんたなんかには関係ない。でもな……俺がどれだけかわいがっても、どれだけ心を注いでも、コイツにはあんたが必要なんだ」 間違いない。男は泣いている。 「あんたには時間がある。いつかその男の事は忘れられるだろう。でも、こいつには時間の概念がないんだ。ハチ公や南極のタロジロみたいに、いつまでもいつまでも待ちつづけるんだ。決して報われないのに、ただ、待ち続けるんだ」 アタシは何も言えない。 「なあ、頼むよ。そんなクソ男の事は、いつか忘れられるから。きっとまた、素敵な恋にめぐり合えるから。でも、こいつにはあんたしかいないんだよ。こいつ、飼ってやってくれないか?」 泣きながら激白する男に気おされて、あたしは思わずうなずいてしまった。男はそれを見ると、ぱぁっと顔を明るくする。 「そうか! そうか! ありがとう! ありがとう!」 男は泣き笑いしながら、アタシの手をにぎる。アタシが、なにすんだと言うヒマもなく、次の瞬間にはくるりときびすを返し、あっという間に姿を消してしまった。 アタシはしばらく呆然としたまま、男の消えた先を見ていた。 く〜ん。 足元の子犬が、小首を傾げてアタシを見ている。 「そうだね。あの男の匂いを消すために、全てを捨てるなんていえばカッコいいけど、要はまだアイツにこだわっていたんだね」 抱き上げると、子犬はぶんぶんと尻尾を振った。 「あんたの顔見たら、しばらくはアイツの事を思い出しそうだけど、もう、逃げるのはやめるよ。思い出したら思い出したで、それさえも笑い飛ばせるくらい、本当に元気にならなくちゃね?」 あん! 子犬が嬉しそうに吼えた。 「ホント、ごめんね? これからは、一緒に楽しく暮らそうね?」 それにしても、捨て犬のためにここまでするなんて、あの男はどういうやつなんだろう? 間違いなく、ちょっと異常な人間なんだろうけど、少なくとも悪いやつではないんだろうな。 アタシは子犬を抱きしめて、帰路につく。 恋とかそう言う感情ではないのだけれど、なんだかアタシは、あの男に興味が出てきた。 何をやってる奴なんだろう? どうしてこれほど捨て犬にかまうんだろう? 捨て犬に無関心でいるなんて、普通のことだと言うのに。 どうして拾った子犬のために泣けるんだろう? 拾って面倒を見たのに、捨てた飼い主に尻尾を振るような犬のために、大の男が涙を流せるものなんだろうか? アタシは胸の子犬に向かって話し掛けた。 「ねえ、今度の日曜日、あのダンボール男を探してみようと思うんだけど、協力してくれる?」 子犬は、小首をかしげて、あん! と鳴いた。 |