大鉄は女好き

男を見る目なんて、そう簡単に養えるものじゃない。

少なくとも、小雪にはそんな気の利いた能力は、備わってない。だけど、そんな小雪から見ても、大鉄が最低の男だってことだけは、わかる。

いつもきれいな女をはべらかし、遊郭か、飲み屋か、湯屋の二階でしかその姿を見たことがない。少なくとも、小雪が彼に付きまとうようになってからの三ヶ月の間、働く姿を一度も見ていない。

そんな男だ。

ちょうど三ヶ月前。

場所はとある料亭。

女ふたりをはべらせて、昼日中から飲んでた大鉄は、いきなりやって来て怒りながら彼の前に立つ小雪を見て、笑いながら言った。

「おぅ、きれいな姉ちゃんだな。名前はなんてンだ?」

「私は小雪。あンたにぞっこんイカれちまって、家を出た挙句、そのひと月後に、そこの川に土左衛門になって浮かんだ、お春ちゃんの友達さ」

小雪が「お春ちゃん」の名を出すと、大鉄は一瞬、厳しい表情をした。それから、気を取り直したように傍らの女性を抱き寄せると、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる。

「ああ、あの女か。おっと、言っておくが、俺はあの女が死んだのとは、なんの関わりもないぜ? むしろ、無実の罪で疑われ、番屋でこっぴどく絞られて、いい迷惑だったんだ」

こんな男に惚れた、お春ちゃんが悪いのかもしれない。

でも、それでも小雪の頭は、この言い草に、もう、完全に沸騰してしまった。なんだってこんなクズに、自分の友達をいいように言われなきゃならない?

「あンたが、殺したんだろうが!」

大声で叫びながら、小雪は大鉄に飛びかかった。そばにいたふたりの女が、きゃあと悲鳴を上げて逃げ出す。しかし、大鉄は腰を浮かすことさえせず、ニヤニヤ笑いを浮かべたままだ。

と。

小雪の手が、大鉄の首根っこにかかる寸前、彼は傍らの太刀をすいと持ち上げると、そのまま刀の柄(つか)尻の部分で、小雪の胸を突いた。勢いづいていた小雪は、自分から柄にぶつかった。

胸に鋭い痛みが走り、そのままもんどりうって、座敷の上に倒れこむ。悔しくて顔を真っ赤にしながら大鉄をにらみつけると、大鉄は助平に目じりを下げて、タバコをぷかりとふかした。

「おぅ、こりゃあ、ずいぶんといい眺めだ。なんだ、おめえ。お春の代わりに、俺に抱かれに来やがったのか?」

なにをっ! っと激昂しながら、大鉄の視線の先を追うと、彼が見ていたのは、小雪の脚。すそがはだけて露わになった、ひざの上あたりを眺めている。

恥ずかしいのと、悔しいのと、頭に来たのとで、小雪はいっそう真っ赤になりながら大鉄をにらみつけた。

「このクズっ! 絶対許さないからね! あンたがお春ちゃんを殺した証拠を見つけてやる。お春ちゃんは、大事な友達だったんだ!  仇を討つまで、付きまとってやるから、覚悟しな!」

「へぇ……ってことは、おめえさん。しばらくは俺と一緒にいるってコトだな? そいつはいいや。おめえもそのうち、気づいたら俺に惚れてるぜ、きっと。はははっ」

と笑いながら、横に退いていた女ふたりを手招きする。やってきた女を抱き寄せて、酌をさせながら、女モノの襦袢(じゅばん)を引っ掛けただけのだらしない姿で、大鉄はもう一度、高らかに笑った。

お春ちゃんを殺したのは、 この外道に違いない。こんな男なら、変態的な性欲の赴くまま、女の子を殺すことなど、なんとも思わないだろう。

小雪は確信に近いものを覚えて、ぎゅっとこぶしを握り締め、大声で笑う男をにらみつける。 そしてその日から、大鉄に付きまとうようになった。

お春ちゃんの無念を晴らすために。

 

大鉄は、謎の多い男だ。

調べれば調べるほど、謎は深まってゆく。

だがそれは、仕事やそのほか、彼個人に関することだ。お春殺しに関しては、逆に、最初のころ感じられていた『大鉄が犯人だ』という確信は、だんだんと曖昧になってきてい る。

大鉄という男は、間違いなく女の敵だし、最低の男だ。

しかし、なんと言えばいいのだろう……そう、この男は、明るいのだ。

底抜け、と言ってよいだろう、その明るさは、女をはべらかし、酒を飲んだくれていても、ヒトを惹きつけるようで、女たちだけでなく、遊蕩先の遊郭や飲み屋、宿屋や湯屋で働く人々にも、なかなかの人気がある。

小雪も大鉄に続いてそういう所に出入りしているうちに、いつしか彼らと馴染みになってしまっていた。特に、大鉄が定宿にしている、『藤むら』という宿屋の女将さんには、ずいぶんと可愛がってもらっている。

その『藤むら』で、小雪が朝餉の支度を手伝っていると、背中から大声が聞こえてきた。

「どうだい? 俺がお春を殺したって証拠、何か見つかったか?」

大鉄は毎日、昼近くなってから起きてくると、小雪の顔を見るなり、こう茶化すのが日課になっていた。小雪も最初のころは睨み返して、文句を言っていたが、最近では黙殺することにしている。

この男に、真剣に怒るのは、時間の無駄なのだ。

小雪が答えないでいると、大鉄は肩をすくめる。

「ふん、まあいいさ。ところで、今晩はひとつ舟遊びでもしようと思うんだが、お前さんもやっぱり、一緒に来るんだろう? それならそんな地味な着物じゃなくて、もう少しきれいなのを着な。女たちに言って見繕わせるから」

「結構よ。私はこのままでいい」

「ところがそうもいかねえんだ。今晩来るのは、ちっとばかり身分の高い連中でな。そんな貧相な格好で来られると、こっちが迷惑するんだよ」

「ふん。じゃあいい。行かない」

「へぇ、そうかい。まあ、気が変わったら、女将さんにきれいな着物でも借りて、顔出すがいいさ」

それだけ言うと、ぼりぼりと頭をかきながら生あくびをし、奥の座敷へ引っ込んでしまった。どうせ夜の舟遊びまで、朝酒でも喰らおうって言う了見なのだろうが。

しかし、これも謎のひとつなのだが、あの男は、どうやって暮らしているんだろう? ちょうど、朝餉の準備も終わったので、小雪は女将さんに聞いてみることにした。

「大鉄ちゃんの仕事? さぁねぇ……実はあたしらも、よく知らないンだよ。まあ、ロクに働いてもいないのに、金回りはいいからね。きっと、どこぞの旗本の次男坊あたり、なんてンじゃないのかねぇ?」

まあ、そんなところだろう。

家督を継ぐのは長男だから、いくら旗本だお武家様だ言っても、次男坊以下は養子にでも行かない限り、居候として肩身の狭い思いをしなくちゃならない。

それが嫌で家にはロクに帰らず、遊蕩三昧なんて言うのは、腐るほどある話だ。金回りといい、剣術の腕といい、実家はもしかしたら、割と大きな旗本あたりなのだろうか。

あの男の明るさ、言い換えれば、能天気さやのん気さは、きっと、そういう中途半端な、気楽な境遇からきているんだろうなぁと、小雪はなんとなく想像した。

今度は、そっちのほうから少し、調べを進めてみようか。

などと思っては見たものの、なかなか億劫で、結局、夕方近くまで、小雪は『藤むら』のお手伝いをしてすごしていた。心の奥底では、お春ちゃんを殺したのは 大鉄ではないのでは、などと思っているのかも知れない。

日も暮れかけたころ、小雪は大鉄の部屋の前を通りかかった。

が、どうもヒトの気配が感じられない。一声かけてからふすまを開くと、果たして大鉄の姿はなかった。すると不意に、今朝の大鉄の言葉が思い出される。

いつもなら、今日どこに行くとか、一緒に来いなどと言ったためしのない男が、なぜ、今日に限って『ついてくるなら、きれいな着物に着替えろ』などと言ったのだろう?

もしかしたら、わざとそんなコトを言う事によって、小雪がついてくるのを、けん制したとは考えられないだろうか?

なぜ、けん制する必要がある?

答えは明白だ。

「きっとまた、誰かを殺す気なンだ。お春ちゃんを殺したように。あの男はああやって、あちこちの女に手を出しては、鬱陶しくなると、殺してしまうンだ」

つぶやきながら小雪は、唇をかんで、こぶしを握った。

単純に欲望のまま女をモノにし、面倒になれば簡単に斬って捨てる。そのいい加減さとか、思慮の浅さは、なんとなくあの男に似合っているような気がする。

考えているうちに、疑惑が胸に広がってきて、小雪は、矢も盾もたまらず、女将さんにヒトコト声をかけると、そのまま下駄をつっかけて、川に向かって駆け出した。

裏の川まで一息に駆ける。

川っぺりには、普段は見たこともない大きな船が出ていた。

大鉄が言うように、どうやら今日は、ずいぶんと身分の高い連中が来るようだ。なぜなら、ただ金を持っているだけでは、これほどの船を作る許可は下りないからだ。おそらく、大名の持ち物である。

小雪は物陰に隠れて、その様子を伺っていた。

と、突然、目の前が真っ暗になる。

何事かと目を凝らして、ようやく、暗くなったわけがわかった。 小雪の目の前に、真っ黒い装束の男がひとり、立っているのだ。音もなく鼻先に現れたため、それに気づかなかったのである。

ひっ、と息を飲んだ小雪に向かって、黒装束が頭巾の隙間から見える鋭い目を細め、低い、粘っこく絡みつくような声でとがめる。

「女、ここで何をしている?」

「……わ、私は……」

「まあいい、一緒に来てもらおうか」

言うのと、男の強烈な当て身が小雪の意識を奪うのとは、ほぼ同時だっただろう。今度こそ本当に、目の前が真っ暗になった。

 

大きな屋形船、いや、むしろ川御座船(かわござせん)と言ったほうがよいだろう、その豪奢な船の座敷に、小雪は襦袢一枚の恥ずかしい姿で転がされていた。

座敷に中には、行灯(あんどん)ひとつなく、気味が悪いほど薄暗い。

自分の格好に気づき、あわてて起き上がろうとすると、そばにいた先ほどの黒装束の男に押さえつけられてしまう。座敷の中には、なんだか異様な雰囲気が漂っていた。

「静かにしろ」

黒装束の男の声は、頭部全体を覆う頭巾にさえぎられて、やけに聞き取りづらい。小雪はかすれる声で、その唯一見える瞳に向かい、話しかけた。

「あンたは? ここはいったい……」

「黙れ」

厳しく言ったのを最後に、もう、誰も小雪に話しかける者はいなくなる。小雪は何が起こるかわからぬ恐怖に、思わずうなり声を上げた。

するとすばやく黒装束が近寄ってきて、小雪の口に、手ぬぐいで猿轡(さるぐつわ)をする。恐怖と苦しさで、くぐもった声を上げると、男の平手が飛んで来て、容赦なく小雪の顔を打った。

小雪は転がされたまま、川御座船の座敷の中を見回す。閉めた障子の薄い紙を通って、満月の光が入り込んでくる。そのおかげで、目がなれてくると、座敷の中が見えるようになった。

そして小雪は、驚愕に目を見開く。

人、人、人。

暗くて気づかなかったのだが、この座敷には、十人以上の人間が、息を殺して座っているではないか。誰も一言も発せず、ただ押し殺した息遣いだけが聞こえてくる。

背筋を奔(はし)る恐怖に、声も出せない。

脂汗を流しながら、ただ、事の成り行きを傍観しているよりないようだ。じりじりと時が刻まれてゆく。誰も動くものはない。やがて、不気味な静けさを保ったまま、ぽつぽつとあちこちに灯がともり始める。

行灯ではなく、ろうそくの火だ。

ろうそくは、金色に光る奇妙な形の台に載せられている。

そして、ろうそくの光の中に浮かび上がったのは、真っ白な石造りの台。その台の上には、髑髏(しゃれこうべ)や蛇の形をした、何に使うのか見当さえつきそうもない道具が載っている。

ただ、ひとつだけわかることは、この禍々(まがまが)しい雰囲気からして、ここで行われようとしていることが、いかがわしく、危険であると言うことだけだ。

と。

「用意はできたようだな?」

沈黙は、痰の絡んだような老人のしわがれた声によって破られた。

黒装束を含めた周りの連中が、黙ったまま頭を下げる。それに満足気にうなずき返した老人は、祝詞(のりと)のような、しかし、もっと禍々しい響きの言葉を口にし始めた。

すると、部屋の中にいた人間が、それにあわせて、低くうなるように同じ文言を唱えだす。

おんおんと、うねるようなその声が、夜の水面(みなも)に響き渡ってゆく。いつの間にか川御座船は、ゆっくりと川を下ってゆき、やがて河口付近まで来た。

それにしても、いったい、彼らは何をしているのだろう?

怖さ半分、好奇心半分で、小雪は事の成り行きを見守っていた。もっとも手足を縛られ、猿轡をかまされては、それ以外にできる事などなかったのだが。

いつの間にか、先ほどの黒装束が今度はふたり、台の上に立っている。と、船の向きが少し変わったのか、障子から差すぼんやりとした明かりが、男たちを照らした。

いや、それは『男たち』ではなかった。

黒装束の隣にいたのは、全裸にされた美しい娘だ。

小雪の鼓動が、どくんと高まる。

おぼろげながら、これから起こることが、理解できそうな気がした。

あの娘は、ここでこの男たちに、犯されてしまうのだろう。単に若い娘をかどわかし、辱めるだけでは飽き足らず、こんな薄気味悪い催しまで開いて、なんという変態どもだ。

そう歯噛みしていると、不意に文言がやみ、老人が声を出した。

「それではこれより、降魔の儀に入る」

こうまのぎ?

何のことだろう?

小雪がいぶかしんでいるところへ、別の男から声がかかる。

「その娘、邪魔ではないか?」

黒装束は、うろたえたように老人と、その男と、小雪を見る。

「は、しかし……」

「よい、わしが許したのだ。万が一の時、代わりの贄(にえ)とするためにな。よもや異存はなかろうな?」

黒装束が口ごもっているところへ、老人がそう言うと、異議を唱えた男は黙ったまま頭を下げて、それきり何も言わなくなった。ついに、あの娘は犯されてしまうのか、と唇をかんだ小雪は、しかし、次の瞬間、背筋を凍らせる。

犯されるなど、とんでもない。

彼らはさらに残虐な、饐(す)えた狂気に蝕まれている。

黒装束が取り出したのは、一振りの太刀であった。白刃が鞘走り、月光に輝くと、周りから、ため息とも驚嘆ともつかない、うなり声が上がった。人々の目は、みな一様に、ぎらぎらと脂っこい光を湛(たた)えている。

その瞳に宿る狂気に、小雪は怖気をふるった。

殺す気だ。

彼らはあの娘を、そして小雪を殺す気なのだ。

なぜなのかは、わからないが、しかし、どうやってなのかは、おおよそ見当がつく。小雪の視線は、台のそばに置かれた瓶(かめ)と杯(さかずき)に注がれていた。

瓶には酒が入っているようには見えない。

すると、そこに湛えられるべき液体と言うのは、おそらく……

人の血だ。

彼らは娘を殺し、その血液を飲もうと言うのだ。

それ以外に、瓶と杯のある理由があるだろうか?

恐ろしさに、小雪の身体は、意思とは無関係にガタガタと震え始めた。それは、殺されるかもしれないと言う恐怖よりも、そんな恐ろしいことを考え付き、大勢で実行に移してしまう、彼らの狂気に対する恐怖だった。

こうまは、降魔。

魔を現世に降ろす儀式。

降魔の儀とは、つまりそう言う背徳の儀式なのだろう。だからこそ、屋形船に乗って、海上に出る必要があったのだ。誰にも知られず、誰にも見られず、存分にこの恐ろしい儀式を執り行うために。

そしてついに、黒装束の手に握られた刀は、大きく振りかぶられ……

ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!

魂消る悲鳴が、夜の川面に響き渡る。

小雪は思わず目を閉じた。それ以外に、できることなど、何もなかった。小雪は自分の無力に絶望し、犠牲となった娘に助けてやれぬことを詫びながら、ぎゅっと目をつぶって、ただ、震えていた。

と。

ドカドカと辺りが騒がしくなる。

不思議に思って目を開けると、なんと黒装束の男が 、周りにいた十人以上の人間を、ばったばったと切り倒してゆくではないか。先ほどの悲鳴は、女ではなく、切られた老人の口から発せられたものだった。

その技術に驚くよりも、目の前の光景がうまく理解できなくて、小雪はただ呆然と、この惨劇を見つめていた。

それからふと気づき、あわててあたりに目を凝らすと、大立ち回りのさなか、座敷の隅で、あの娘が震えているのが目に入った。両手両足を括られていたので、這ったまま彼女のそばにゆく。

近づいてきた小雪に気づいたその女は、小雪に目で促されると、あわてて猿轡を外してやり、続いて手足の戒めを解いた。小雪は縛られていた場所を痛そうになでると、娘に向かって叫ぶ。

「ぐずぐずしないでっ! 急いで逃げなくちゃ!」

娘はその言葉に飛び上がると、ガクガクとうなずく。小雪はそれを見てうなずき返してから、娘の手を取って立ち上がった。

その刹那。

「座ってろっ! 巻きぞい喰うぞ!」

黒装束の男が叫ぶ。小雪と女は、あわててしゃがみこむと、座敷の外まで這いずる。逃げながら振り返り、黒装束の男を見ると、八面六臂に暴れまわる男の顔からは頭巾が外れ、顔が見えていた。

「だ、大鉄っ?」

小雪は思わず叫んでから、振り返った娘になんでもないと首を振って、また身を低くしながら這う。やがて、ふたりは、どうにか川御座船の館の外に出た。

甲板はすでに、逃げようとして斬り捨てられた男たちの遺体でいっぱいだ。 老いも若きも、男も女もいるようだが、その亡き骸の全部に共通するのは、彼らの醜悪な心を映したおぞましい顔に浮かぶ、恐怖にゆがんだ表情。

やがて、屋形のほうが静かになり、恐る恐る顔をのぞかせると、座敷の真ん中で、大鉄が一人、はあはあと息を荒げていた。手にした太刀の刃は、血と脂でぼろぼろに刃こぼれし、斬りまくった刀身は、腰(刀身の反り)が伸びてしまっている。

鬼のような形相で、ただひとり息を荒げている大鉄は、やがて顔を出した小雪に気づくと、厳しい表情のまま駆け寄ってくる。

思わすひっと息を呑むのにも構わず、大鉄は彼女の手を取ると、そばにいたもう一人の女の手もとって、駆け出そうとした。

が、女は腰が抜けてしまっている。

ちっと舌打ちした大鉄は、女を抱え上げて荷物のごとく肩に担ぐと、改めて小雪の手を取り、風を巻いて駆け出した。小雪もひたすら、駆けた。

駆けながら、少しだけ気持ちがいいなと感じてる自分に気づき、思わずくすりと笑ってしまった。

 

「だからよ、おめぇみたいに学がない女にはわからないだろうが、アレは西洋の儀式なんだよ。切支丹(きりしたん)の神様ってのにはな、悪魔って言う、まあ、商売敵(がたき)がいるんだ」

『藤むら』まで逃げ帰ったあと、女に服を着せて寝かしつけてから、大鉄は問われるまま、小雪にことの経緯(いきさつ)を話してやっていた。

女が不安と恐怖のせいで、大鉄から離れたがらないので、仕方なく彼女の手を握ったまま、枕元に座ってキセルに火をつけ、いつもより皮肉な調子の少ない言い草で、大鉄は話す。

「アレだけ厳しくしても、切支丹ってのはずいぶん増えただろう? 当然、その商売敵もやってくるわけだよ。いや、その神様の敵、悪魔ってシロモノじゃぁ当然なくて、その悪魔を崇拝する奴らがな」

「なんであいつらは、血なんか飲むの?」

「あぁ、あれぁ、奴らに取っちゃ当たり前のことなんだ。生け贄をささげることで、神様なり悪魔なりに、言うことを聞いてもらおうって寸法さ。ほら、事故の多い鉱山や、工事の現場なんかで、人柱ってのを立てるだろう? あれと同じようなもんだよ」

「それじゃあ、この娘は……人柱にされるところだったんだ? でも、いったい、何のためにそんなことをするんだい? あの船は川御座船だった。ってことは、大名の持ち物だろう? 政(まつりごと)をうまくするために、人柱を立てたのかな?」

小雪の言葉に、大鉄は思わず吹き出した。

「まさか! 大名に、そんな殊勝な心根のやつがいるもんか。やつらはただ、自分の薄汚ねえ欲のためにやってるんだよ。金だとか、権力だとか、不老不死だとか、そう言う欲のために 、あんなことをしてるんだ」

「じゃあ、あンたはなんで、あそこにいたんだい?」

「俺はな、ああいうイカれた奴らを、片付けるのが仕事なんだ」

「あンた……公儀の隠密?」

「まあ、そんなトコだな。詳しい話は、できねえが」

「ふうん……でも、あンたの腕なら、そいつらを斬るのは簡単だろうけど、生け贄まで助け出すってのは、難儀な話だね」

言われて大鉄は、にやりと笑った。

「ああ、それは俺の勝手だ。公儀からは、生け贄を助けろなんて、ヒトコトも言われてねえよ。俺が好きで助けてるだけだ。たまに、助けられないときも、あるンだがな」

その言葉を聞いて、小雪は思わず大鉄の顔を見る。彼女が何に気づいたのかわかったのだろう。大鉄はそれでもにやりと笑ったまま、言葉を継いだ。

「ああ、そうだ。お春も、奴らの生け贄にされかけていたんだ。俺がそれを助けたから、あいつは俺に惚れたのさ。だが、奴らはお春を探し出し、口を封じた」

「そう……だったの……でも、それならそうと……」

「言えるわけねえだろう? そんなことをペラペラしゃべってたら、俺の首は、胴体と泣き別れになっちまう。悪魔崇拝者なんかより、公儀のほうがよっぽど怖ぇんだぜ?」

「そうか……あんたがお春ちゃんを殺したんじゃなかったんだね」

「ああ、助けてもやれなかったがな。だが、謝らねえぞ? アレはお春が俺の言うことを聞かずに、黙って出かけやがったから悪いんだ。こっちはお春だけじゃない、何人も面倒見なくちゃいけねえんだからな」

その言葉を聞いて、小雪は蒼白になる。

彼女の異常な様子に、大鉄が訝(いぶか)しげな声をかけた。

「どうした?」

「そんな……それじゃあ……お春ちゃんが死んだのは、私のせい? 遊び人に惚れ狂ってると思ってたから……説教してやるつもりで呼び出した……私の……」

小雪は、いやいやをするように首をふり。

やがて、突っ伏して泣き出す。

こんなときにかける優しい言葉を持たない大鉄は、小雪が泣きやむのを、ただ、じっと待っていた。片手ですやすや寝息を立てる女の手を握り、片手を小雪に肩において、ただじっと黙っていた。

やがて。

泣き止んだ小雪は、ありがとうと小さくつぶやくと、居住まいを正して、大鉄に向かい、深々と頭を下げた。そしてもう一度、今度ははっきりとした声で。

「ありがとう。そして、ごめんなさい。私のせいでお春ちゃんが死んだのに、何も知らないで、あなたが殺しただなんて息巻いていて。本当に、ごめんなさい」

「バカ、死んだのは、悪魔崇拝者どものせいだ。あいつらは、横のつながりがやけに強いからな。今回だって全部を斬ったわけじゃない。まだまだ、あちこちに身を潜めて、女をさらう機会をうかがっているんだ」

話を聞いていた小雪は、首をかしげる。

「生け贄のためにさらわれるのは、必ず女なの?」

「ああ、そうだ。それも美しくて、清らかな女じゃなくちゃ、ダメなんだとよ。悪魔ってのは、きっと、相当な助平だってことなんだろうな」

そう言って、声を上げて笑う。

その底抜けの明るい笑いに救われて、小雪も思わず微笑んだ。

それから大鉄を、優しい表情で見つめる。

「あンた、皮肉屋を気取っているけど、本当は優しいんだね。わけのわからない生け贄なんてもんになる人を、放っておけないんだから。そのために自分の危険も厭(いと)わない。うん、たいした一心太助だね」

小雪が言うと、大鉄は肩をすくめて答える。

「仕事だ」

「でも、生け贄になる人を助けるのは、違うんだろう?」

「ああ、だが、俺がそんな女たちを助けてるのは、自分のためだ」

「ふふふ、命がけで人を助け、イカれた奴らと戦っている人のセリフじゃないね。照れることないんじゃないかな? あンたのやってることは、すばらしい事だと思うよ?」

大鉄はくわえたキセルの煙に目を細めながら、にやりと片頬を吊り上げて小雪に言った。

「俺が助けるのは、女だからさ。いい女と知り合い、モノにするために、こんなことをしてるんだよ」

「……?」

「わからないか? 生け贄ってのは美人じゃなくちゃいけないんだぜ? 美しくてで、清らかで、賢くなきゃいけないんだ。少なくとも、悪魔崇拝者どもは、そう言う基準で、生け贄を選んでいる」

大鉄は片目をつむって見せた。

「嫁探しに奔走してるヤツだの、女が欲しいって嘆いている連中にしたら、バカバカしくなるだろうぜ? 選び抜かれたいい女に、必ず『命の恩人として』出会えるんだからな。みんな向こうから、惚れてくるんだ。なかなか笑えるだろう?」

小雪は、肩をすくめて微笑むだけ。

それを見て、大鉄は声を大きくする。

「俺はいい女をいっぱいはべらかしたいから、助けてるんだ。たくさんの女に惚れられたいから、命の危険があってもやめないんだよ。それだけだ」

「ふうん、まあ、そう言うことにしておこうか」

ニヤニヤとそう言う小雪に、大鉄は唇をとがらせる。

「ち、嫌な笑い方をするんじゃねえ」

「あンたよりはましだと思うけどね。とにかく、あンたに助けられたことは事実さ。あンたが困ったときには、いつでも言っておくれ」

「ほう、そりゃあいいや。それならひとつ、向こうの布団で……」

助平な顔で目じりを下げた大鉄が、小雪に手を伸ばしたとき、眠っていた女が、 目を覚ました。彼女は、大鉄に握られている手に気づいて、ほほを染め、小さな声で言った。

「ありがとうございます。あなたは、命の恩人です」

大鉄は、あわてて伸ばした手を引っ込めると、おぅ、と優しく微笑む。

小雪はそれを見て、一瞬、残念そうな顔をしてから、小さく吹き出した。


index