クールライダー (マーマレードスプーンシリーズ)
ばばばばばっ!

深夜の峠道。

九十九折りの急な上り坂を、巨大な単車が一台、濃厚な闇を切り裂きながら爆音とともに駆け上がってゆく。

ずるずるとリアタイアを滑らせ、ステップを地面にガリガリこすりつけ、ひとつ天秤が狂えば、谷底へ転落することは確実なスピードで駆け抜ける。

その狂気さえはらんだ走りは、見る者がいれば眉をひそめるか、それ以上の不快感をあらわにしただろう。

もっとも、ひと気の少ない田舎道の、それも深夜の峠である。

彼を咎める者や、迷惑をこうむる者はいない。それを本人も熟知しているのか、その大きな単車は獣が身をよじるように狂おしく、スピードは一向に衰えることなく、山の中腹辺りまで一気に駆け上がってくる。

そしてそのまま、峠の中腹にある展望所のような、広めの駐車スペースに入ってた。

と。

ぱん! ぱんぱんっ!ぱあぁぁぁぁぁぁぁぁん!

ヒステリックとさえ言えるような、甲高い排気音が下ってきた。無論、姿はまだ見えないが、その独特の排気音から2サイクルエンジンの単車だと言うことは明らかである。

大きな単車を停めてヘルメットを取った男は、ウエストのレザーバッグからタバコを取り出しつつ独り言ちる。

「なんだ。もう来てたのか」

その声が合図だったように、ふもとからバッファローの群れを髣髴とさせる、恐ろしいほどの力を秘めた重低音が聞こえ始める。はらわたを震えさせるその音に、男は煙を吐き出しながら、にやりと唇をゆがめた。

「お、こっちも来たな」

ぽっ

小さな光が一つ見えたと思った次の瞬間、

ぽ、ぽ、ぽ、

何本かの光条が現れる。うねった峠道に沿って、その光条が駆け上がってくるところが、駐車スペースの男には手に取るようにわかった。

タバコをくわえたまま、しばらくその光の筋を眺めていると、反対側のパンパンと言う甲高い排気音が大きくなり、やがて上から来た単車が姿を現す。

まるで肉食獣のように、内に強い力を秘めていることを充分に感じさせるその2サイクルは、しなやかな動きで大きな単車の横に並び、スタンドに寄りかかって身体を休めた。

その肉食獣から降りてきたのは、同じように野性的なしなやかさと荒々しさを感じさせる、細身の男だった。踊るような足取りでタバコをくわえた男に近づくと、淡白な無表情のまま、独り言のように言った。

「うるさい単車だと思ったら、やっぱりバッカスか」

「おう、アイス。早いな。ひとっ走りしてきたのか?」

「ああ、久しぶりに思いっきり飛ばしてきたよ。いいね、ここは」

クール・アイス。もちろん本名ではない。

本名は誰も知らないし、仲間内では、いや、この街のどこででも、クール・アイスで通るのだから、かまわないのだ。もしかしたら本人も、自分の本当の名前など忘れているかもしれない。

冷静沈着、不動、不変。

この細身のしなやかな男は、そんな形容詞がぴたりとはまる。

それで付いたあだ名がクール・アイスだと言うのだから、彼の仲間と言うのが、センスとは程遠いことは間違いない。耳を覆う程度の金髪を、風にさらりとなびかせる姿は、美しいとさえ言っていいだろう。

対して、彼の前に立っている、太いワイアの束を寄り合わせたような筋肉の暑苦しいのが、バッカス・バック。

こちらは美しいなんて形容とは無縁で、ゴリゴリとすべてがごつい。黒い髪を暑苦しく伸ばし、無精ひげを生やした薄汚ない顔。単車から降りてその辺に寝そべれば、確実に浮浪者と間違われるだろう。

「ケムが……すげえな」

バッカスの言葉にアイスが振り向くと、彼が通ってきた道には、愛機の吐き出した排煙がゆらゆらと薄紫に漂っている。アイスは肩をすくめて小首をかしげた。

「いいだろう? カストロール」

「カストロか……なるほど。甘い」

カストロールの2サイクルオイルは、焼けると甘い香りの煙を出す。

「きたな」

アイスがつぶやいたので、バッカスはカストロの香りをかぐのをやめて、駐車スペースの入り口の向こうに視線を戻した。

どよどよと重低音を響かせながら、数台の単車がこちらに入ってくる。先ほどの光条の持ち主たちである。

「立会人、何人連れて来てるんだ、あのバカは?」

「4人だね」

あきれたバッカスの言葉に、アイスが律儀に答える。

「さて、それじゃあ頼むぜ? 立会人」

「ああ」

アイスがにこりともせずにうなずくのを見てから、バッカスは改めてやってきた五台の単車をにらみ付けた。

 

事の起こりは、いつものバイク屋だった。

半年ほど前、バッカス・バックは念願の一台を手に入れた。 クルーザバイク。 荷物を積んで遠くまで旅に出る。基本的にはそんなバイクだ。

ホンダのマシン、VTXである。

VTXはしかし、「Vツインエクストリーム」と言う名からもわかるように、ただのクルーザではない。強靭な足回りと強力なエンジン、ブレーキを持った、メーカー言うところの、パフォーマンスクルーザである。

平たく言えば、クルーザバイクにしては、群を抜いて速いのだ。

バッカスはこのバイクを手に入れると、今まで以上に恋人や友人そっちのけで、ひたすらあちこちに出かけてた。巨大な車体を思い通りに操るのは難しいかと思われたが、走ってみれば思いのほか素直な操縦性に、バッカスは夢中になってしまう。

それでも今まで乗っていたバイクに比べれば、速く走らせることは難しい。だが、だからこそ逸(はや)る。思い通りに操れるようになったとき、手に入れてちょうど半年がたっていた。

そんなある晴れた冬の休日。

注文していたパーツを取りに寄ったバイクショップで、バッカスにケンカを吹っかける、やけに身体のでかい男がいた。

ハーレィ・ディヴィスンに乗るその大男は、何が面白くないのかいつもバッカスにちょっかいを出す、天敵といってもいい男だ。男はバッカスのクルーザマシンを嘲り笑った。

「ニセモノなんかによく乗るもんだ。ステイタスもなけりゃ、造りもしょぼいのに。ハーレィは高くて手が出ないから、その代用品ってコトなんだろうがな」

バッカスは無言のまま睨み返した。 もとより気の長い男ではない。一触即発の状態になるのに、数秒あれば事足りた。

「なんだ、根性なしのバッカス。悔しいのか? だが、事実だ。そんなニセモノ、俺は認めないね」

「単車なんざ、てめえの好きで乗るものだろうが。俺がどんな単車に乗ろうが、それが速かろうが遅かろうが、高からろうが安かろうが、おめーには関係ねえ。認めてもらう必要もねえ」

「そうはいかない。そんなハーレィまがいのみっともない単車で、俺と同じバイクショップに、出入りされたくねえんだ」

男……マーク・マードックは唇の端を吊り上げて、意地の悪い笑いを浮かべる。巨体とあいまって、その様子はやけに憎々しい。

しかし、バッカスも負けてはいない。大上段に構えて嘲笑を浴びせる。

「おめえはブランドと値段だけでしか、単車を評価できないのか? そんなヤツに限って、腕のほうはさっぱりなんだ」

やり返したバッカスの言葉に、マークの顔色が変わる。

「なんだと? お前のほうが速いって言うのか?」

「マーク、そのくらいにしておけよ」

見かねたショップの人間が止めに入るが、マークの方にはすでに火がついている。

「冗談じゃない。俺のマシンをナメられて、黙っていられるか」

「何を勘違いしているんだ? 俺がナメてるのはマシンじゃない。おまえのエヴォ(エヴォリューション)は確かにいいマシンさ。俺が馬鹿にしてるのは、乗っているおまえの方だ」

このヒトコトで、話は決まった。

「おもしれえ、よく言った。それなら決着をつけようじゃねえか。俺が勝ったら、そのハーレィモドキはぶっ壊してもらうぞ」

「んじゃ、俺が勝ったらお前には単車を降りてもらう」

結局、3日後の深夜、お互い立会人を立てて決着をつけようと言う事になった。

まあ、よくある話だ。

 

立会人の人数を明確にしてなかったのをいいことに、マークは4人の立会人を連れて来ていた。もちろん、立会人とはいえ、とても公正な判断を下しそうな連中ではない。

簡単に言えば、マークの取り巻きだ。

バッカスは肩をすくめてあきれると、アイスを見やった。アイスは相変わらず無表情のまま、小首をかしげている。

向こうがどうであろうと、こっちの立会人はこれ以上ない、公正な判断を下すんだろうなぁ。

思わず大きなため息をついて、バッカスはマークに視線を移した。

マークは、いつものように唇の端を曲げて、皮肉な笑みを浮かべている。

「ふん、クール・アイスか。あんたレーサーだったそうだが、まさかバッカスの代わりに走るっていうんじゃないだろうな?」

「いや、立会人だ」

冷静に返したアイスに皮肉な笑みを返すと、マークはバッカスに振り向いた。

「ツイスティ(曲がりくねった)な峠道か。ここなら勝てるって? ふん、ナメられたものだ。どんなステージだろうと、てめえなんか目じゃねえんだよ」

「よくしゃべるやつだな。御託はいらない。走りで語ってくれ」

マークは、ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く。その横顔に鋭い一瞥をくれると、バッカスはコインを取り出した。放り投げて地面についたときが、スタートの合図ということである。

それをアイスに放る。左手で受け止めたアイスは、ふたりの準備が整ったのを見て取ると。

キン!

親指の爪にはじかれて涼しい音を立てたコインは、くるくると宙を舞った。綺麗な放物線を、全員の目が追う。

そして。

キン!

バルルルル!

コインがアスファルトにつくと同時に、ハラの底に響くような轟音を響かせながら、二台はリヤタイアから白煙を上げてスタートした。

二人が競うコースは、出発した中腹の休憩所から峠を登り、頂上で折り返し、ふもとまで下る。そしてもう一度上って、スタート地点まで帰ってくるというものである。

二台は爆音を上げて、最初のカーヴへ突っ込んで行った。マークはブレーキングポイントのかなり手前からアクセルを戻し、早々にカーヴの内側へ寄ってゆく。

バッカスはギリギリまでブレーキを我慢し、一気に減速。カーヴの外側からアウトインアウトの理想的なコースを取る。

が、思ったほどスピードの落ちてないマークのハーレィが内側に入り込んでいるので、狙ったラインでアクセルを開けることが出来ない。

もっとも向こうはかなり苦しいラインで入って来ているから、そのまま方向を変えることは難しいだろう。立ち上がりに苦労しているところを、ラインをクロスして抜けばいい。

バッカスはそう思いながら、ライトの照らし出すカーヴの出口を睨んでいた。

する と。

マークの後輪が、ずるっ、ずるっと滑った。一気に滑らないところを見ると、「滑ってしまっている」のではなく、わざとスライドさせているようだ。

当然、苦しいラインで入ったはずのマークの単車は、あっという間にカーヴの出口を向く。あとはアクセルを開けて立ち上がるだけだ。

バッカスは仕方なく、アクセルをパーシャル(中間)のまま、マークが立ち上がるのを待つ。マークが徐々にアウト側に寄ってゆくのを見計らって、ラインをクロスするように、一台分内側のラインで立ち上がる。

エンジンパワーで勝るバッカスのVTXは、内側からじわじわと前に出る。しかし、マークはスライドで車体を曲げた分、コーナリングスピードがあまり下がっていない。

二台はほとんど並んでカーヴを立ち上がった。

バッカスは内心、舌を巻いていた。

マークがまさかこれほど乗れるとは思っていなかった。相手を馬鹿にしてナメていたのは、実は自分のほうだったようだ。驚きはあせりを生み、あせりは冷静さをなくさせる。

パフォーマンス(性能)で勝っている分、それほどの差がつくことはないのだが、しかし、カーヴひとつごとにはっきりと腕の差を見せられて、バッカスは精神的に、かなり苦しいライディングを強いられた。

それは頂上をまわって下りに入ったとき、さらに顕著になる。くだりのほうがマシンのパワーの差が出づらいからだ。それでも何とかついていけているのは、明らかにブレーキの性能差である。

少々強引にアクセルを開け、短い直線でマークに追いつく。しかし、カーヴの出口にいたるころには、その脱出速度に明らかな差がでた。

マークは明らかに、バッカスより速い速度でカーヴをクリアしている。その事実は、バッカスを傷つけ、悔しさの塊にさせた。しかし、だからといってどうなるものではない。

単車を速く走らせるというのは、根性や気合でどうなる種類のものではないのだ。むしろ日々の積み重ねと、それを根拠とする自信、冷静な対処、そういった一朝一夕ではどうしようもないところから、差がついてくるのである。

峠を下りきり、再度のぼりに入るころ、バッカスは勇気を持って認めることが出来た。マークは、自分よりも完全に速い。嫌なヤツだが、それだけは認めざるをえない。

彼のほうが自分よりも、単車を思うように操る技術に長けている。それは動かしようのない事実だ。

バッカスは打ちのめされ、しかし、負けを認めてあきらめるわけにもいかず、ひたすらにアクセルを開けた。

もっとギリギリまでブレーキを我慢し、もっとアクセルを大胆に開けなくては。なんとしてもこの登りのうちに、対応策をひねり出さなくては。

必死に喰らいつき、短い直線で差を詰める。

最後のカーヴから休憩所までが、少し長めの直線だったのが幸いし、最後の最後、バッカスはマークと並んでゴールした。

しかし、明らかにマシンの性能に助けられた引き分けだと言うことは、誰でもない、彼自身が自覚していた。

「ふん、なかなかやるじゃねえか。決着は次まで預けておく」

「わかった……次はいつだ?」

「そうだな……」

来週などと言われたらどうしよう。一週間ではとても、マークの領域まで腕を上げることは出来ない。そうバッカスが危惧していると、マークは予想外の返答をした。

「三ヶ月だ」

「わかった」

それだけあれば、何とかなるかも知れない。

「今度はぶっちぎってやるぜ、覚悟しとけよ、バッカス」

そう嘯(うそぶ)くと、マークは連れを引き連れて帰っていった。取り巻き連中も、もめることなく、おとなしく帰路につく。

その後ろ姿に余裕さえ感じたバッカスは、どうにも悔しくて、情けなくて、ただ黙って見送るしかなかった。

「判ってるだろうけど、バッカス。腕じゃ完全に負けだ」

クールアイスは、その名前のまま、冷静な表情でつぶやいた。

バッカスは黙ったまま一度だけうなずくと、休憩所の地べたに、ごろりと横になった。

吹きだした汗が夜風に冷やされ、急速に身体が冷えてゆく。

しかし、頭のほうは冷えるというわけには行かないようだ。アイスがしばらくその様子を見ていると、やがて起き上がったバッカスは、大きな声で叫んだ。

「くっそー! 完全に俺の負けだ。何が立会人が多すぎるだ。立会人もクソも、全然関係ないぜ!」

それから存外さっぱりした顔でアイスを見ると、にやりと笑う。

「なあ、悪いんだけど、これから少し付き合っちゃくれないか? おまえ、レースをやっていただろう? どうすればいいのか、教えてくれよ」

その言葉にしばらく考え込んでいたアイスは、やがて肩をすくめて言った。

「レースやってたって言っても、2サイクルのライトウエイトスポーツマシンを走らせるのと、その馬鹿でかい4サイクルVツインを走らせるのは、まるっきり話が違う」

「そうか……そうだよな……」

バッカスがあからさまに肩を落とすと、アイスはにやりと笑ってつぶやいた。

「しかし……面白そうな話ではある」

とたんに、バッカス・バックの顔がぱあっと明るくなる。

「教えてくれるか?」

「ああ、いいよ。だがまずは、自分で走り込んでみるんだね。何が悪いのか、マークとどこが違うのか、充分思い知らされただろう?」

バッカスはうなずくと、傍らのバイクにまたがり、あっという間に走り出した。その後ろ姿を見て、アイスがため息交じりに苦笑する。

「なにも、今からやることはないだろうに」

 

明るくなるまで走り続けそうな勢いのバッカスを放って、クール・アイスは帰路についた。軽い2サイクルをひらひらと躍らせて、峠をすごい勢いで下ってゆく。

と。

峠を下りたコンビニのところに、ハーレィが一台、佇んでいた。もちろんそばに立つのは、マーク・マードックだ。彼はアイスを見ると、片手を挙げて停めた。

「なんだい?」

いぶかしげな顔でそう言ったアイスに向かって、驚くことにマークは頭を下げる。気おされて黙っていると、大男は真剣な表情で言った。

「なあ、クール・アイス。あんたぁ、レーサーだったんだろう? マシンのことにも詳しいんだろう? ひとつ頼まれてくれないか?」

「なに?」

「今日走ってみて、よくわかったんだ。バカにしていたバッカスのマシンの性能はすごかった。特にブレーキや足回りの差は歴然だ。俺のハーレィのどこをどうすれば、あれ以上のマシンになるのか、教えてくれ。頼む」

そういって土下座でもせんばかりに頭を下げるマークに、アイスは閉口してしまう。

「なあ、それだったら、もっと速いマシンに乗り換えればいいじゃないか」

とたんにマークは、首をぶるぶると振ってわめいた。

「それじゃあ、だめなんだ。俺はこのハーレィにしか乗らないんだよ。俺のマシンはこいつなんだ。こいつでバッカスに勝たなくちゃ、意味がないんだ」

強い調子でそう言われて、アイスはしばらく考えた。

やがて。

「ホンダの足回りとエンジンに挑戦、ってわけか。うん、面白いな。レーサーレプリカならともかく、似たようなジャンルの単車だ。まるっきり手が届かないってわけでもなさそうだし」

「それじゃあ?」

すがるようなマークに向かって、クール・アイスは、クールらしからぬ笑顔を浮かべてうなずいた。

「いいよ、やろう」

「そうか! やってくれるか! そうと決まれば早速だが、俺の家のガレージで……」

「まあ、まちなよ。もちろん手伝うけれど、まずは自分でやってみたらどうだい? せっかくそれだけ自分のマシンに思い入れがあるんだ。出来ればヒトの手を借りないで仕上げたいだろう?」

マークは首をかしげて、クールアイスの顔を見る。彼はその視線に同ずることもなく、いつものクールな表情で続けた。

「もちろん、高いパーツを買うんだし、失敗したくないだろうから、最低限の質問には答えるよ。だがまずは、自分で組むんだ。自分で組んで、いろいろやってみて、それでも限界が来たら、そのときは間違いなく面倒見てやる」

マークはしばらく考え込んでいたが、やがて素直な微笑を浮かべて、大きくうなずいた。

「それもそうだな。わかった、あんたが後ろについていてくれるなら、怖がらずにいいろいろ挑戦できる。まずは自分で色々しらべて、やれるだけのことをやってみる」

へえ、マークのやつも、こんな優しい笑顔で笑えるんだ、と感心しながら、クール・アイスはうなずいた。

 

数週間後。

なんとなく走りたくなって、クール・アイスは早朝、例の峠に向かった。彼の2サイクルはカストロールの甘い香りを振りまきながら、相変わらず華麗に峠を上ってゆく。

すると、中腹まで来た頃、上からものすごい勢いで下ってくる単車とすれ違った。バッカス・バックとVTXだ。

アイスに気付いたバッカスが片手を挙げたので、アイスはそのまま休憩所に入る。するとUターンしたバッカスも、爆音を響かせてあとに続いた。

「よう」

陽気な声をあげたバッカスの様子を、アイスは下から上まで眺める。

ボロボロだ。

おそらく何度も転んだり、切り立った土の壁に突っ込んだのだろう。彼のレザージャケットは擦り傷、切り傷でボロボロになっている。よく見れば単車も似たようなものだ。

アイスは無言のまま、VTXの後ろに立った。

後輪の溶け具合が尋常ではない。いままでいちばん端のエッジ部分まで使われていたタイアが、今はエッジ部分を残して溶け出し、安い消しゴムのようにポロポロになっている。

「ふふん。どうやら、なんとかスライドすることは出来るようになったみたいだね?」

アイスの言葉に、バッカスはうれしそうにうなずいた。

「やってみてわかった。今までのレーサーレプリカみたいな乗り方じゃ、全然ダメなんだ。むしろ、オフロードバイクとか、ダートトラックレーサーみたいに、単車を股の下でコントロールしてやると、面白いくらい、思った分だけ滑らせることが出来るんだな」

「そういうこと。その単車は、ちょうどハンドルも幅が広いしね。重たい車体の慣性を殺さないように、低い重心を利用して積極的にスライドさせてやれば、コントロールもしやすいし、足りないバンク角も補える。軽い単車と逆の意味で、勢いを殺さずに走るんだよ。あとは……」

「まった」

そこでバッカスは、片手を挙げてアイスを制した。

「もう少し自分でやってみるよ。せっかくここまで乗れるようになったんだ」

そう言って笑うバッカスに、肩をすくめて答えると、アイスは自分のバイクにまたがって峠を下った。まだ走り足りないような気もしたのだが、バッカスと話しているうちに、マーク・マードックの方も気になり始めたのだ。

マークの家に来てみれば、案の定、彼も自分のハーレィをいじるのに余念がなかった。訪ねてきたアイスを見て、マークはにっこりと笑う。

「よ、アイス。どうだ、見てくれよ」

彼がうれしそうに指した先には、数週間前とはまったく別のハーレィが鎮座していた。低く長いスタイルはそのままだったが、乗っているエンジンがまずは別物だ。

「2000ccのビッグブロックエンジンだよ。そいつにあえてこのキャブ、さらにメインジェットを……」

言いながら差し出されたメインジェットをみて、アイスはいぶかしむ。

「その排気量にしちゃ、キャブの口径やメインジェットが小さくないかい?」

「小さい。だが、こいつには秘密兵器があるんだ」

そういってマークは、キャブレタのマニホールド付近を指差した。

「これは……Xブースト!!」

「ご名答」

それは、各気筒のキャブのマニホールド間を繋いで、ある回転数から、ツインキャブにするという、Xブーストと呼ばれるシステムだった。

一気筒当たり二個のキャブレタを取り付けると、パワーを出しながら、低速のツキも良くなるのだが、計4つのキャブの置き場に困るし、同調を取るのもなかなか大変である。

かといってキャブレタの口径を大きくすれば、今度は低速域でのツキが悪くなる。太いストローよりも細いストローの方が、吸うときの速度が速くなる原理だ。

その両方を解決するのに、マークはヤマハのV−MAXが取り入れた方法を用いたのだ。 確かにこれなら、部品の増加もほとんどないし、増量も無視していいレベルでありながら、パワーとツキを両立させられる。

「しかし、Vブーストは突然パワーが出るから、扱いがシビアだろう? それとも、フルタイムにしたのか?」

V−MAXのVブーストは、ある回転域からマニホールド間をつなぐパイプのバルブが開くため、ターボに似たパワーの出方をする。ドカンとくる出力特性を楽しむには良いが、速く走ろうとする場合、扱いづらいのである。

「いや、パートタイムだ。ハンドル脇のレバーで開閉を調節するんだ。これでツキとパワーの両方を解決できた。それに2000ccだからな。バッカスのVTXにパワー負けすることもなくなったはずだ」

「しかし、車体がもつのか? 見たところ、ほとんど補強していないようだが」

「ああ、それはこれからだ。ただ、あんまりカッチリ補強を入れると、俺みたいな乗り方の場合、ネガも多いからな。その辺は乗ってみて、見極めながら増やしてゆくさ」

「そうか」

アイスはそれきり何も言わず、だまってマークの元を辞した。もちろん、マークが自分の助言を必要としていないことを知ったからだ。

バッカスも、マークも、自分で考え、試し、それをフィードバックしてまた考え、試す。試行錯誤を繰り返して、自分だけの走りを、マシンを、手に入れようとしている。

「どうやら、俺の助言は必要なさそうだ」

独り言ちたクール・アイスは、なんだか少し寂しそうに見えた。

 

約束の三ヵ月後の深夜。

バッカス・バックと、マーク・マードックは、例の峠の休憩所にいた。満月が煌々と照り、ふたりを明るく浮かび上がらせている。お互いにらみ合ったまま、二人は立会人の到着を待っていた。

お互いにクール・アイスに色々と教わったらしいことを知っていたため、今回、マークは誰も連れてこなかった。アイスが立会人になってくれれば、構わないだろうと言うのだ。

アイスはバッカスの友達だが、しかし、それで公正な判断を出来なくなる男では断じてない。そのことはいまやマークも、充分に理解していた。

やがて、下のほうからパンパンと2サイクルの音が聞こえてくる。

「きたな」

ふたりは同時につぶやいた。

程なく姿を現したクール・アイスは、なぜかレザーの上下を着ていた。ヘルメットもこの間の半帽ではなく、フルフェイスだ。バイクを停めたアイスは、二人に向かってゆっくりと歩み寄ってきた。

「よう、不肖の弟子ども、そろってるな?」

クールな彼がそんな冗談を言いながら、 いつもより明るい声を出したので、ふたりの男は驚いてその顔を見つめる。

「ひとつ、ルールの変更をしたいんだが?」

ふたりは不思議そうにうなずく。

「コースはこの間と同じところを二周する。そして肝心の決着だが、どっちが前なんていうのは、僅差の場合、もめるだろう?」

「まぁ……そりゃあ」

「だが、じゃあどうするんだ? アイス?」

詰め寄られて彼は、クール・アイスらしからぬ満面の笑みを浮かべて声高に宣言した。

「俺を抜いた方が勝ちってことにする。抜けなきゃ勝負はナシ。三ヵ月後に、また、最勝負ってワケさ。コレなら文句はないだろう?」

一瞬あっけにとられた後、ふたりは大声で笑い出す。

バッカスが、笑いながらアイスに言った。

「アイス、てめえも走りたくなったんだな?」

「へへへ、立会人じゃ、つまらねえってか?」

クール・アイスは肩をすくめてつぶやいた。

「やるのか? やらないのか? どっちだい?」

バッカス・バックとマーク・マードックは、顔を見合わせてうなずくと、二人同時に叫んだ。

「やるさ!」

「OK,いい根性だ。ところでふたりとも」

「?」

片目をつむって、アイスはイタズラっぽく微笑んだ。

「頼むから、10年以内に抜いてくれよ?」

「てめえ!」

「にゃろう!」

叫んだ二人を無視して、アイスはポケットからコインを取り出した。それをグローブをした手のひらに乗せて、ヘルメットのバイザーを下ろす。

「いくぞ?」

二人がうなずくのを見ると、思いっきり宙に放り投げた。

コインはくるくると舞って、満月に重なった。


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