| 再起 |
| ものすごい量のディスクだった。 老人の座る椅子の周りには、まさに足の踏み場のないくらいディスクが積み上げられている。背後の棚、机、とにかく置ける空間の全てに、記録ディスクが整然と積み上げられていた。 若い男が老人の前に立っている。 「これだけの情報を、全て処理できるのか?」 「ただ、詰め込んできただけさ。今はこの全てのディスクの内容が、私の頭に入っている」 「それで何をする?」 「何もしない。記録し整理するだけさ。いや、もうひとつ……追憶に浸っている」 「くだらないね。過去を振り返ることに、何の意味がある?前をみて、進みつづけることこそ、有意義な生き方だとは思わないか?」 「それを否定はしないよ。ただ、そうでない人間もいると言うことは知っておくといい」 「くだらないな」 もう一度そう言うと、男は背中を向けた。老人は、無表情のまま、その後ろ姿を見つめていた。 男は前に進みつづけた。 仲間と共に戦い、共に喜びを分かち合う、充実した日々。己の全部を賭け、立てた目標に向かって全力で進んだ。目標を達成すれば、次の目標は自然に見つかった。 愛する人とも結ばれた。愛する子供もできた。大きな家を手に入れ、高級車に乗り、仕事、趣味、家庭の全てに満足していた。男は喜びの中で、心の底から思った。 これが幸せだ。これが人生だ。 慢心していたのだろう。男は小さなミスをやらかした。ほんの些細なミスだ。だが、男の敵はそれを見逃してはくれなかった。敵はそのミスを足がかりに、男とその仲間の築いた牙城を攻め立て始めた。 仲間は、男を切る決定を下した。男は仲間ではなくなり、負債は男個人のものとなった。そして、それが正式になる前に、彼の妻は子供を連れて出て行った。財産をすべて取り上げて。 文無しの彼に、多額の負債だけが残る。周りには、誰もいなくなった。 男は一から築き始めた。いや、マイナスからだ。それでも男は、前に進みつづけた。寝食を忘れて働き、彼は負債をゼロにして、更に少しの蓄えが残った。 それを元手に、彼は大きなバクチに出る。何度か危ないこともあったが、それでも最終的にはバクチに勝った。 以前以上の富を手にした男は、かつて仲間と呼んだ者達に攻撃を仕掛けた。彼らも必死だったが、男には作戦があった。 彼らを分断し、疑心暗鬼にさせるのだ。かつて彼を切った経験を持つ彼らは、最後のところでお互いを信じきれなかったため、彼の各個撃破の餌食となっていった。 昔、妻と呼んだ女とその子供が会いに来ても、男は一切取り合わなかった。仲間も家族も、彼には必要ないものとなっていたのである。 富は、途中から彼の手を離れ、ひとりでに膨らみ始めていた。近寄ってくる全ての人間が、彼を通り越して背後の金を見ていた。 男はまだ40代だったが、既に倦み疲れていた。 たくさんの人間に囲まれて、彼は孤独だった。 男は老人の前に立っている。 老人は男の顔を見ると、ひどくやさしい顔で笑う。 「待っていたよ」 「あなたの目だけは、俺の背後を見ていない」 「あんたの顔を見ればわかるよ。行動し、戦い、進みつづけて手に入れたものは、あんたを幸せにはしてくれなかったようだね?」 「俺は間違っていたのか?」 「いいや、間違ってはいないよ。そうやって幸福を手にする人も、たくさんいるんだから」 「しかし、俺は手に入れられなかった」 「そうでもないさ」 言いながら、老人は背後のディスクの山を指した。 「これだけの知識、歴史、物語があんたを待ってる」 男は疲れきった顔で、ゆっくりとディスクの山へ視線を移した。 「残りの人生を、ここで過ごせと?」 老人は誇らしげに顔を上げると、にっこりと笑った。 「私がこのままここで、大量の知識に埋もれたまま死ぬ気だと、一度でも言ったかね?」 男は不思議そうな顔で老人を見た。 「あんたは行動し、戦って、疲れ果てた。そんな人間があんただけだと思うかね?そんなわけはなかろう?」 男は無言で老人を見る。 「いいかい?私もかつてはそうだったのだよ」 「……」 「年寄りだから行動しない、なんて決まりはない」 「しかし、あなたはかつて、追憶に浸っていると言っていた」 「そうさ。失敗した人生を思い返していたさ。だが、それはこれから二度と戦わないと言うことと、イコールではない」 「私は疲れた」 「だから、ここで休むといいさ。私はもう一度、戦ってくるよ。ここで得た力の全てを持って」 「ならば、私の財産を好きにするといい。あなたの戦いをはじめるのに、邪魔にはならんだろう」 「それはあんた自身の戦いのために、とっておくがいいさ。私にも準備はある。今までのここでの暮らしは、そのためだったのだから」 「私は既に成功者だ。もう、戦わないよ」 「金を得ることが勝利でないことは、もうわかっているだろう?本当の勝利者になるための戦いは、これからだよ」 「本当の勝利か……もう遅いんじゃ?」 「遅くはないさ。現に私がいる。私はこれから、本当の勝利を得るために戦いに戻るのだから」 「本当の勝利って何だ?」 「それは、あんたがこれから見つけるのさ。その宝の山の中から」 言い放つと、老人はきびすを返し、靴音も高く歩き出す。その先に自分の信じる未来が開けていることを、微塵も疑うことなく。 そのまぶしい後ろ姿に男は声をかける。 「ひとつだけ教えてくれ」 立ち止まって振り向いた老人に向かって、男は静かに、しかし強い意志と覚悟を感じさせる声音で言った。 「どれから読み始めればいい?」 老人は、にやりと笑う。 男の瞳には、輝きが戻っていた。 |