| ビューティフルデイズ |
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「奈緒、好きだよ」 「うん、私も」 ってな、単純で、なおかつ俺が最も求めてる答えは、しかし、返ってこなかった。 だが、彼女が悪いわけじゃない。俺が浮気だの、悪さをしたわけでもない。彼女には、惚れた男がいて、俺が一方的に片惚れしている。ただ、それだけの話だ。 もっとも、全然脈がないわけじゃない。と、少なくとも俺は思ってる。 強いて問題があるとしたら、俺にも女房がいるってことくらいか。いや、みなまで言うな。 わかってる。ソレが一番大きな問題だってことは、俺が一番わかってるんだ。 だが、女房にはもう、ずいぶん前からいい仲の男がいて、その男の存在を俺が知っていることを、女房自身も知っている。折り合いがつかないのは、ひとり息子の親権問題だけってことさ。 今年10になったばかりの息子。 こいつを、俺はなかなか思い切れないでいるんだ。 そりゃあそうだろう? 10年もの間、俺の分身だって、慈しみ育ててきた、かわいいひとり息子だ。男の子は母親に似たほうが幸せになるなんて話も聞くが、その伝でいくと息子は、あんまり幸せにはなれないかもしれない。 見事に、俺にそっくりなんだからな。 まあ、両親の離婚が秒読みって段階で、普通のガキよりは幸せ薄いのかもしれないが、親だって人間だ。飯も食うし、糞もする。恋だってするってことさ。 親権ってのは、母親が圧倒的に強い。 だが、こっちに少し有利なのは、息子が俺になついていることと、母親、つまり今の女房が浮気してるってことだ。俺自身に彼女への気持ちが残ってなく、ほかの男の存在を黙認している以上、本来なら、彼女に非はないと言っていいかもしれない。 だが、それはそれ、これはこれ。 息子を手放さないで済むのなら、俺は何だって利用する。 父親なら、当たり前だろう? 「私、あなたのこと嫌いじゃないよ? ううん、好きだよ? でもね、私、彼のことが好き。それに、あなたには奥さんも子供もいるでしょう? やっぱり、どう考えたって、幸せな結末は待ってないよね?」 だから、あきらめて。と言う言葉を言外に響かせ、奈緒は悲しそうに微笑んだ。体(てい)よく断られたわけじゃない。そういう類(たぐい)の女でないことは、よくわかっている。 断るなら、『好き』なんて言葉、絶対に吐く女じゃないんだ。 だからこそ、俺は惚れたのさ。 「女房とは、別れるんだ。あとは、ガキの問題だけさ」 努めて明るく俺が言うと、奈緒は悲しそうな微笑を崩さないまま、ゆっくりと首を横に振った。 「ごめんなさい。あなたの問題みたいな言い方をして。卑怯だったわね。本当の問題は、私の心なの。私、あの人が好きなのよ」 ああ、わかってる。 充分わかってる。 でも……やっぱり、その言葉は、いちばん堪(こた)えるんだよなぁ。 実際のところ、てめえがこれほどヤキモチ妬きだなんて、俺はちっとも知らなかった。ま、ソレに気づいただけでも、また、ソレに気づかせてくれるほど惚れられる女に出会えて、俺は幸せなんだろうな。 もっとも、それで満足しておとなしくなるほど、俺は人間ができてない。 息子も手放さない。好きな女も手に入れる。 わがままか? 贅沢か? なら、それでもいいさ。俺は、欲しいものは手に入れる。汚ねえマネはせず、てめえの才覚と力で持って、正々堂々、すべて手に入れる。俺はそうやって生きてきたし、これからもそうやって生きてゆくんだ。 いや、息子に関しては、少々汚ねえマネしたって、絶対に譲れないか。女房が浮気してること、そいつを最大限に利用させてもらう。そして、息子を抱いたその足で、奈緒を迎えに行く。 どちらか選べって言われたって、そんなもの知ったことか。俺は両方選び、両方手に入れるんだ。惚れた女と、愛する息子の両方をな。
裁判は、佳境に入った。 いままでの所は、断然、俺の有利だ。女房の浮気相手ってのが若い男だったもんだから、経済面で有利だったのを皮切りに、女房が家庭人としては欠陥が多いって所を、俺の弁護士が強力に突っついた。 このまま行けば、息子は俺の元に来ることになるだろう。 しかし、少し不安も残る。 女房側の余裕の態度だ。 前回までは、論理的に不利な面を感情に訴える作戦で、涙ながらに子供を失う母親の心情を訴えていた。陪審員制の裁判なら、もしかしたらそれで状況が変わったかもしれない。 が、女房には残念ながら、ここはアメリカではない。俺の勝ちは、もはや間違いないだろう。向こうだって、ソレがわからないとは思えない……はずだった。 ところが今日になって、向こうの態度が豹変した。今までしつこいほど突っ込まれていた俺への質問も、今日は当たり障りのない、いままでの話の確認ばかりだ。 あきらめたのか? と思いかけたころ、敵はいきなり爆弾を放ってきた。 「あなたには、好意を寄せる女性がいますね?」 弁護士の言葉に、しかし、俺は冷静な態度を崩さずに答えた。残念ながらソレ、だめだよ。自慢じゃないが、奈緒とは何もないんだ。俺が惚れたと言っているだけなんだから。もちろん、今ここでは、そんなこと認めないしな。 「いいえ、いません」 「裁判長。証人を呼ぶことをお許しください」 裁判長の許可と同時に入ってきた人物を見て、俺は飛び上がってしまった。 なぜ? どうして、奈緒がこんなところへ? 動揺している俺をにやりと眺めながら、向こうの弁護士はおもむろに奈緒へ質問する。 「あなたは、この男性に愛を告白されましたね?」 「はい、されました」 「ソレは、いつのことですか?」 奈緒の答えによって、女房が浮気し始めるより早く、俺が奈緒に惚れていたことが証明されてしまった。そう、女房が若い男に走ったのは、俺が彼女への愛を失ったからなのだ。 女は、愛されているのと同じくらい敏感に、愛されていないことを悟る。 奈緒と言う強力な伏兵のおかげで、裁判は、大逆転、俺の完敗だった。息子は、俺の元から奪われてしまった。そして、ああいう証言をした以上、奈緒も俺の元へ来るつもりはないのだろう。 俺は惚れた女と、愛する息子を、今日、同時に失ってしまった。 だが、このまま黙っているわけにはゆかない。 せめて、奈緒の真意だけでも聞いておかなければ。 俺は、奈緒を探してあたりを見回す。 いた。 奈緒は、タクシーに乗り込むところだった。 俺は全速力で駆け寄り、奈緒の肩をつかむ。 「奈緒! どうして?」 奈緒は振り向く。 「どうしてって? 何が?」 「なぜ、邪魔するんだ? どうして、女房に協力した?」 「協力したわけじゃないよ? 私はただ、真実を話しただけ」 「俺は息子を失った」 「あなたは言ってなかった? 卑怯なマネはしないで生きているんだって。私はあなたのそういうところ、好きだった。今は息子さんを失いたくなくて何でもアリになってるけど、いつか冷静になったとき、あなたきっと後悔するよ?」 それは……そうかもしれない。だが…… 「あのね、私、証言するって言うためにあなたの奥さんに会ったとき、息子さんと話す機会があったの。あなた、息子息子って言ってるけど、最近、きちんと話をした?」 「……いや……」 「ほら、きたよ。きちんと話すことね。私は行くわ」 彼女の言葉に振り返ってみれば、遠くに立つ女房の元から、息子が駆けて来るところだった。その姿にやさしく微笑み、それから俺を振り向くと、奈緒は穏やかな声で言った。 「私、今度のことでね、彼と、きちんと話をしなきゃって思ったの。どうなるかわからないけど、相手の話を聞かないで一方的に考え込んでるだけじゃ、事態は決して進展しないって、あなたから教わったわ。ありがとう。それじゃ」 タクシーが走り去るのと、息子が俺の元へ駆け寄ってくるのは同時だった。息子は、俺の前に立つと、やけに大人びた顔つきで、にやりと笑う。そんなところが俺にそっくりで、この笑顔を失う悲しさに、涙腺が緩みそうになった。 と。 「父ちゃん、大丈夫か?」 「ああ。お前とはもう、一緒に暮らせなくなった。残念だよ」 「なんだ父ちゃん、なみだ目じゃないか。男ってのは、簡単に泣くもんじゃないって、いつも自分が言ってるくせにさ」 「はは、そうだな」 「まったく、しょうがねえなぁ。父ちゃんは大丈夫だと思ったから、俺、母ちゃんのところに行くんだぜ?」 「なに?」 「父ちゃんと母ちゃん、どっちをとるって聞かれたらさ、やっぱ、両方だろ? どっちが好きとか大事とか、決められないよ」 息子の言葉に、俺は頭をガツンと殴られた。 ああ、俺は何だってこう、馬鹿なんだろう。てめえのコトばかりで、こいつの気持ちなんて無視してたじゃないか。 「だけどさ、ソレでも選べって言われたとき、俺、父ちゃんは大丈夫って思ったんだよ。俺がいなくても、立派にやっていけるって」 こいつは、俺の息子は、両親が別れ話をしながら、お互いの揚げ足を取ろうと、薄汚ねえ目つきで監視しあっていた間に、そんなことを考えていたのか。 そしてこいつは、俺の強さを、俺って男を、信用してくれたのか。 俺は、てめえの情けなさに、涙が出てきた。 「ほら、また泣いてる。なんだよ、ぜんぜんダメじゃん。これからは、俺がそばにいないんだから、しっかりやんなよ?」 俺は涙をぬぐってから、息子の頭に拳骨(げんこつ)をくれる。 「てめえ、親になんてクチききやがる」 「痛ぇなぁ、少しは加減してくれよ」 「やかましい。男がいちいちそんなことを気にするな」 息子を、一人前の男と認めた瞬間、俺は自分を取り返した。 ああ、今まで何を見ていたんだろう。 コイツはすっかり、『男』じゃないか。 「おめえ……オトコになったな」 「最初っから、オトコだって」 俺の心は、実に晴れ晴れとしていた。 「そうか……おめーはもう、オトコなんだな。親父づらして俺が偉そうに言えることは、もう何もないんだな。寂しい気もするが、めでてぇ」 「めでてぇのは父ちゃんの頭だ」 もう一度この『男』の頭に拳骨をくれてから、髪の毛をくしゃくしゃをつかむ。息子は、くすぐったそうな顔をした後、急に思いついたのか、大声を上げた。 「な、父ちゃん。さっきの人、嫁さんにするのか?」 「ん〜、さあな。わからん」 「でも、好きなんだろ?」 「ああ、好きだ」 すごく素直に、その言葉が出てきた。 息子は訳知り顔でにやりと笑う。 「じゃ、追いかけなよ。俺の方はもう、いいから」 「ぬかせ。生意気言いやがって」 もう一度息子の頭をくしゃくしゃとなでてから、俺はこの『オトコ』に、心をこめて言った。 「母さん、頼むぜ?」 「うん、任しときな。父ちゃんも、がんばんなよ?」 頼もしい言葉をもらって、俺は自分の単車にまたがると、盛大なホイールスピンで白煙を上げながら、走り出した。息子のおー! カッコイーと言う最大の賛辞を背中に受けながら。 行き先? ひとつしかねえだろう?
奈緒は、彼氏と会ったのか、会わなかったのかはわからないが、とにかく自宅にいた。俺の単車の、馬鹿でかい排気音が聞こえたのだろう。不審気な様子で、表に出てくる。 俺は、単車を彼女の目の前に停めると、ヘルメットを取るのももどかしく、勢い込んで駆け寄った。奈緒は、驚いた様子で、俺のことを見つめている。いままでなら、その瞳に潜むいろいろな想いを勝手に先読みして、要らねぇ気を使っちまっていたかもしれない。 だが俺には、強ぇ味方がいる。いつの間にかガキから『男』になっていた息子の、何より心強い後押しがあるんだ。今の俺は、最高にハッピーで、底抜けに最強だ。 俺は奈緒の大きくてキラキラした瞳を覗き込みながら、心底の笑顔で、微笑んだ。 「なあ、奈緒。俺はお前にとって、ベストの相手じゃないかもしれない。こうやって飛んできても、何かの拍子で、またみっともないところを見せるかもしれない。まるっきり当てにならない男だ」 奈緒は、俺が何を言いたいのかわからないのだろう。かわいらしい顔を斜めに、小首をかしげている。その姿に惚れ直しつつ、俺は話を続ける。 「お前の気持ちが、俺にあるのか彼氏にあるのか、ソレはわからないし、俺が気に病んでも仕方ないことだ。俺の気持ちに応える応えないは、お前の勝手だ。ただ、お前が彼氏を選ぶとして、それでも、俺ができることが、ひとつだけはある」 俺はここで、大きく息を吸い込んだ。そして、俺の心の中に、ようやく固まってきた、『俺が何をしたいか』を、体中にめいっぱいあふれ出す、ヤケドしちまいそうな想いを、すべて詰め込んで伝える。 「ずっと、惚れてるよ」 「…………」 「お前がつらいときは、支える。お前が悲しいときは、泣く。楽しいときは笑う。一緒にソレができればいちばんいいけど、一緒にいられなくたっていい。気持ちは、魂だけは、一緒にいる」 「…………」 「だから、俺がお前を好きでいることを、許してくれ。完全な一歩通行じゃなく、応えられなくても、許してくれているんだってだけで、俺は最高にうれしいんだ。こいつぁ、掛け値なし。本当だぜ? だから、俺がお前を愛し続けることを、許してくれ」 「…………」 奈緒は答えない。 下を向いたまま、考え込んでいる。 俺は判決を待つ被告人のような思いで、ただひたすら、彼女の答えを待った。身体の中に、はちきれそうにあふれる、息子への、そして、目の前の大切な女(ひと)への想いを抱えたまま。 そして…… 長い沈黙の後、奈緒はゆっくりうなずいた。 同時に、俺の胸の中で撓(たわ)んでいた緊張が、一気に解ける。 奈緒は、うなずいてくれた。 それだけでもう、俺には、すべてがOKだった。
と、まあ、話はここまでだ。
そのあと?
そいつは、俺たちだけの、大切な物語だよ。 |