| 蒼ざめた馬 |
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「ふう、やれやれ。ようやく殺菌行程も終わりか」 エリアスは肩をすくめてため息をついた。 何度やっても、この「無菌ステーション」での消毒行程には、なれることが出来ない。それは肉体的な抵抗感ではなく、多分に精神的なものだ。屈辱感と言い換えてもいいだろう。 宇宙空間での厄介な仕事を追えた後、この中継ステーションでさらに厄介な仕事をするためにやってきたエリアスを迎えてくれたのは、ここの名物、「消毒行程」だった。 エリアスは本国からの指令で、宇宙空間での作業を何度も行っている。そしてその後には、必ずと言っていいほど月での仕事も「ついでに」課せられているため、「消毒行程」自体は慣れっこだ。 しかし、この「消毒をされる」という行為そのものの与える屈辱感には、どうしてもなれることができない。 もっとも、月人が神経質になるのも、わからないではないから、ここは黙って従っておくに限る。なんと言っても、月は重要なお得意先なのだから。 かつて月を襲った「月死病」は、月のドーム内を暴れ狂い、瞬く間にその人口を3分の一以下にまで減じさせた。 それと言うのも、地球からの移民時代、厳密に消毒されてきたため、月にはまったくと言っていいほど、病原菌が存在しなかったからである。 「月死病」の悪夢から数十年経った今も、月の人々の病原菌に対する恐怖は、それこそ病的なまでである。特に、かつて「月死病」の原因菌を運んできたと目される地球人は、目の敵(かたき)にされていた。 しかし地球人も、かつての負い目があるから、今でもこうして月やその管理区域内に入る前に屈辱的な殺菌行程を踏まされることを、表立って強く批判することが出来ないのであった。 その代わりと言ってはなんだが、「月死病」の教訓を踏まえ、地球の大都市や空港など、主な施設は全て、徹底的な消毒と無菌対策がとられたのである。 はじめの頃こそ、月に対する謝罪を含めたパフォーマンス的な意味合いが強かったが、数十年たった今では、むしろ病原菌の根絶と、徹底的な殺菌は、地球でも当たり前となっている。 子供たちの健康なども考えれば、むしろ今までが不潔すぎたのだと言う声さえあがるほど、今では地球も充分に清潔な世界になっていた。 少なくとも、除菌志向が定着したあと生まれたエリアス達の世代などは、それに何の疑いも違和感も感じていない。 だからこそ、自分たちをさも病原菌の巣窟であるかのような扱いをする月のやり方には、正直なところかなりの反感を感じているのだ。 それでも地球の半分を占める中華帝国に対抗するためには、月の資源と技術は不可欠である。 そんな弱みと反感の入り混じった複雑な思いの反動からか、エリアスは月で無菌処理をされたあと地球に帰ると、真っ先にバーで飲んだくれる。 そこでひとしきり月の人間の潔癖をネタに悪態やブラックジョークを言いながら、朝まで飲んだくれるか、女の子を引っ掛けて夜の町へ繰り出すのだ。 彼の国、アメリカの男としては、至極当たり前のコトである。
「これはこれは。ずいぶんとお若い方ですね? いや、失礼」 殺菌行程の後、大分待たされてようやく顔を出した月側の代表者は、そう言って笑顔を見せた。 いつもの通商係ではなく、もっとずっと大物のようだ。そんなことを言う男もずいぶん若く見えるが、月人の見かけは大抵地球人より若いので、本当のところはわからない。 「さぞかし優秀なお方なのでしょうな?」 相手の無表情からは、このことばが皮肉なのか賞賛なのか判断しづらかったので、エリアスはあいまいに笑った。 「エリアス・ファッショです」 「パイロン・リーです。よろしく」 まるきり心のこもらない握手を交わした後、柔らかいソファに身体を静めたリーは、両手を組んで膝に置き、さて、と話をはじめた。 「それで? 今回はどのような御用で?」 内心で(わかっているだろうに)と腹を立てながらも、ここで彼らの機嫌を損ねるわけには行かないので、エリアスはあくまで下手にでながら交渉をはじめた。 「じつは、月から送られてくるはずの物資の件なのですが」 送られてくるはずの物資、などと遠まわしな言い方をしているが、要は月製のミサイルの納品が遅れているために、それを催促にきたのである。 エリアスは、21世紀末に先進国を襲った超大地震からようやく復興したアメリカの、その部門の責任者でもあるのだ。 「ああ、そのことですか」 リーは言われて気付いたとばかりに大きくかぶりを振ったが、彼が最初から、この交渉の内容に見当をつけていたことは明らかである。 少々むっとしたエリアスは、しかしリーの次の言葉で仰天した。 「我々は、もう、貴国と取引をするつもりはありませんよ」 「な、なんとおっしゃいました?」 「ですから、月は、もうアメリカとは、いや、地球上のどんな国とも取引をするつもりはないと言ったんです」 あまりの予想外な言葉に、エリアスは上手く言葉を発せないでいる。その様子を、余裕を持っておかしそうに眺めながら、意地悪な顔でリーが続けた。 「地球時間で明日の午前零時をもって……まあ、あと10分もありませんが……我々は中華帝国からの完全独立を宣言します。同時に即刻、中華帝国への宣戦を布告します。もっとも、実際に戦いになることはないでしょうが」 「ど、ど、どう言うことですか?」 「おや、優秀な方の割に、勘が鈍いようですな?」 どうやら先ほどのリーの優秀なお方という評価は、皮肉をこめたものだったようである。 「そんな、そんなことができるわけない!」 思わず叫んだエリアスの声は、中継ステーション、通称「殺菌ステーション」中に響き渡るかと思われた。肩をすくめたリーは、あくまで冷静な表情を崩さずに、話を続ける。 「どうして、出来ないとお思いです?」 「中華帝国は、あなたたちの故郷じゃないですか。いや、そんな郷愁は若い世代では薄れているかもしれないが、それにしても、そんなことは不可能だ」 「だから、なぜ?」 「いくら月に物資が豊富だとは言え、あなたたちの戦力では、あの巨大な中華帝国と戦うことなどできるわけがない!」 「まあ、そう興奮なさらずに。なるほど、確かに我々は作った武器を軒並み帝国に接収されています。手持ちの武器など、ミサイル数発がいいところでしょう」 「ならば……」 ここでリーは口調を変え、堂々とした、いや、むしろ傲慢とさえいえるほど自信に満ちあふれた声を出す。 「だからと言って我々に武器がないと言うことではない。それどころか、我々には強力な武器があるのだ。目に見えない。そしてしかし、あっという間に君たちの世界を滅ぼす、最強の兵器がな」 「なんですと?」 エリアスはいぶかしげな顔でそう聞き返した。 「なぜにこれほどまでに月の人間が、君たちの殺菌にこだわると思う? もちろん、君たちのもたらす病原菌が怖いからじゃない。実はこの月は、多種多様の病原菌にあふれているんだよ」 「まさか。月ほど無菌の場所はないでしょう」 「それは我々が意図的に流したデマさ。君たちは月人が「月死病」の恐怖のあまり、地球人を病原菌の塊の原始人のように考えていると思っている。しかし、それも我々が意図したのだ」 話の内容が見えないのか、エリアスはぽかんとした顔で、話の続きを待っている。その顔に皮肉な嘲笑を浴びせながら、リーは言った。 「いまや、地球の主だった都市、空港、その他の主要施設は、ほぼ無菌状態だといっていいだろう。むしろ我々は、無菌なはずの月からやってきたヒトやモノに、地球ではもやは根絶されたはずの病原菌が発見されることをこそ、恐れていたのだ」 「月からの病原菌……」 「そうだ。この殺菌ステーションは、君たちの菌ではなく、我々の菌を殺すために作られた施設なのだよ。君たちの清潔さを、より純度高く守りつづけるための」 そこでリーはにやりと笑うと、エリアスに片目を瞑って見せた。 「私の言いたいコトが判ったかな?」 どうやらそのようだ。エリアスは、恐ろしい想像に顔色を失っている。 「かつて我々を絶滅寸前にまで追い詰めた「月死病菌」に、大腸菌の繁殖力を遺伝子操作で組み込んだ、「新月死病菌」、いや「地球死病菌」こそが我々の武器なのだ」 「細菌兵器……」 「まあ、広い意味ではそうともいえるな。しかし、「地球死病菌」は決して毒ではない。もちろん、我々にとっては、という意味だが。我々月人は、幼いうちに予防接種と称して「地球死病」への耐性を持たされているのだ。この菌で死に至るのは、君たち清潔な地球人だけだよ」 「そんな……そんなことはさせない!」 いきなりそう叫ぶと、エリアスはリーに襲い掛かった。 もともと1G下で暮らすエリアスと、1/6Gで暮らすリーとでは、体力的に始めから勝負にならない。リーはあっという間に、エリアスに捕らえられた。 「こんなことをしても無駄だよ。もう我々のミサイルは発射準備を終わっているのだから」 しかし、そんなリーの言葉には構わず、エリアスは携帯を取り出して、本国へ事の次第を連絡した。 かなり激しいやり取りが会った後、エリアスはほっとした様子で携帯をきる。その安堵の表情を不審に思ったリーは、しばらく無言で考え込んだ。 やがて、エリアスの安堵の意味に思い当たると、会心の笑みを浮かべる。 「なにをやろうと、もう間に合わない。時計を見るがいい。零時まで後3分だ。そして我々は、独立宣言、宣戦布告の後、すぐに「地球死病菌」を満載したミサイルを発射する」 「すぐに?」 エリアスが反応した言葉に我が意を得たのだろう。リーは強くうなずいた。 「そう、すぐに、だ。おっと、それは国際法に反するなどと言うなよ? 国際法と言うのは、あくまで地球上の国同士が守るものであって、我々月の人間には関係ないのだから」 嬉しそうにそう言ったリーの顔は、しかしすぐに曇る。エリアスがニヤニヤと笑っているからだ。 「なにがおかしい?」 エリアスは、大仰に両手を広げると、アメリカ人らしいオーバーなアクションで話し出した。 「私がここへ来るのはですね、大抵いつも「ついで」なんですよ。ある厄介な仕事を、宇宙空間でやった後のついでに、ここへの交渉役としてやってくるんです。私の本当の仕事はね、月との連絡役なんかじゃないんですよ」 リーが無言で先を促すと、エリアスは先ほどのリーのように、皮肉な笑いを浮かべて言った。 「スターウォーズプロジェクトの総合責任者、これが私の肩書きです」 「スターウォーズプロジェクト?」 「そうです。かつてまだ我が祖国アメリカが世界最大の国家であった頃、共産圏からの大陸間弾道ミサイルを宇宙から破壊するために考案された、攻撃衛星によるミサイル迎撃構想のことですよ」 「な……」 驚愕に見開かれたリーの目を見ながら、エリアスは満足そうに微笑んだ。 「空中で分離拡散する、核弾頭を積んだミサイル数百発を、同時に攻撃破壊する軍事衛星。こいつを秘密裏に軌道に乗せるために、私は何度も宇宙へ出ていたのです。こいつにかかれば、あなた方のミサイル数発など、物の数ではありません」 「貴様らアメリカは、中華帝国に肩入れする気か!」 「何をおっしゃる。地球への攻撃に対して、中華帝国だのアメリカだの言っている場合ではないではありませんか? それにこの事件は、中華帝国に対するわれわれアメリカの「貸し」になりそうですしね」 「中華帝国がそんなことを気にするわけがない」 「そうとも限りませんよ? 彼らがあくまで月を自分たちのものだと主張する気ならね。管理不行き届きの責任は、世界中が咎めるでしょう。また、もし自分たちの責任でないと言うのなら、月は中華帝国のものでなく、世界の共有財産だと認めなくてはなりません」 ギリギリと歯噛みするリーの顔をおかしそうに眺めながら、エリアスは晴れ晴れとした顔で言った。 「どっちに転んでも、我々アメリカの果たした役割は大きい。この事件はきっと、「強いアメリカ」を取り戻す、最初のステップになるでしょう。アメリカ国民を代表して、あなた方にはお礼を申し上げないといけませんね?」 怒りに我を忘れて飛び掛ってきたリーを簡単に組み伏せると、エリアスは大声をあげて朗らかに笑った。 その姿はまさに、「強くて陽気な、本当のアメリカン」であった。
「いずれ国際社会が、月への処分を決めるでしょう。それまでの間に、せいぜい細菌にあふれた薄汚い月を、しっかり掃除して置いてくださいよ? 我々のためにも、ね」 そんな嫌味を残して、救国の英雄エリアスは中継ステーションを後にした。ぶるぶると拳を握り締めたまま怒りに震えていたリーは、エリアスがエアロックの向こうに姿を消すと、突然脱力して倒れこむ。 あわてて周りの者が駆け寄った。 「大丈夫ですか? リー様」 「ああ、大丈夫だ。緊張が緩んだんだろう」 心配そうに見つめる人々に向かって、リーは片目を瞑ってみせる。 「私は俳優じゃないからな」 そのセリフに、一同はきょとんとする。しかしまた、彼らが全幅の信頼を置くリーのおどけた様子に、人々は安堵した。 何があったかはわからないが、リーがこうしておどけている以上、あのアメリカ人が言ったように、月が地球に侵略されることは決してないのだろうと言うことを確信したからだ。 きっとそのうち全てが終わったら、リーがきちんと説明してくれるに違いない。今までもそうだったし、これからもそうに決まっているのだ。 リーは両脇を支えられて立ち上がると、轟音を上げて飛び去ってゆくエリアスの宇宙船を眺めながら、小さく笑った。 「エリアス。残念だったな。君たち大雑把なアメリカ人がコソコソとやっていることに、我々が気付かないとでも思ったのか? 我々はとうの昔に君たちの衛星を発見していたのだよ。もっとも、そこでいきなり衛星を壊すような、バカなマネはしなかったがね」 ようやく力が戻ったのか、リーは支えていた者に礼を言って、ひとりで立った。相変わらず視線は、エリアスの宇宙船に向いている。 宇宙船はいまや、地球に向かって一直線に飛ぶ、光の筋になっていた。 「ミサイルなんて必要ないのだ。エリアス、君と君の宇宙船こそが、我々の武器なのだから。君と君の宇宙船には、消毒薬の代わりに「地球病菌」を仕込んだマイクロカプセルが大量に付着させてあるのだよ。大気圏突入の熱から菌を守るための、小さな、だが高性能のカプセルがね」 宇宙船の姿が、地球の光の中に消えてゆくと、リーは大きくため息をついて、それからまた笑った。 「君の詳細な報告を聞いた地球人は、君を隔離するかもしれない。しかし、その時はすでに遅い。君自身が宇宙から地球に向かって、細菌入りのマイクロカプセルを散布する係りとなるのだ」 リーはくるりときびすを返すと、しっかりとした足取りで自分の部屋に向かった。少し休養を取っておかなくてはならない。 数日後に控えた、本当の独立宣言までには、もう少し体力を回復させなくてはならないのだ。 もっとも、それを聴くことのできる地球人が、数日後に果たして何人残っているかは、甚だ疑問であるが。 「君は、救国の英雄になり損ねる代わりに、死と病を運ぶ蒼ざめた馬に乗った死神なるのだ。死と病を運ぶ蒼ざめた馬。これは確か、君たちの聖書に書かれていた予言だったね?」 リーはブツブツとつやきながら、廊下の奥に消えていった。 |