愛する人へ

私の願いは、それほど大それたものだったのでしょうか?

私はただ、あなたを見ていたかった。

一方通行でも、愛せるだけでよかった。

他には何もいらない……はずだった。

でも。

愛されたいと思ってしまったのです。

もう少しだけ、もう少しだけ、私を見て欲しかった。

たった、それだけだったのに……

すべては失われてしまいました。

私は、あなたのためなら、この命さえいらないと思っていました。あなたのためなら、世界を敵に回してもいいと思っていました。

けれど、あなたの望んだのは、もっとも残酷な結果。

あなたの望んだ、たったひとつのもの。

それは……

私のいない世界。

あなたはそれだけを望むと言う。

絶望。

むなしさ。

そういった類(たぐい)の何かが、私の心を満たしてゆきます。

あなたが望むのならば、私はよろこんで……ええ、よろこんで死ぬつもりだったのです。

だけれども、私の命は思いのほか往生際が悪く、私はたったそれだけのことがなかなか実行できないでいるのです。

あなたのためなら、何でもできると思っていたのに。すべてを捨ててもかまわないと思っていたのに。

それでも。

私の命は生きたがるのです。 みっともなく、未練がましく、この世界にすがろうとするのです。

あなたを守って死ぬのではなく、あなたの代わりに死ぬのではなく。 あなたの不快を失くすため。 ただそれだけのために死ぬことが、やはりとてもつらいのです。

自分の死に、もう少し意味を持たせたいと思ってしまうのです。

なんてだらしないんでしょう。 なんて情けない姿でしょう。

あなたが嫌悪するのも、仕方ないようです。

ああ、でも……

あなたに手紙を書いているうちに、なんだか勇気が出てきたようです。いや、勇気ではないのかもしれません。

こうして文章にして改めて読み返してみると、私の想いがどれほど絶望的なのかを、嫌と言うほど実感させられます。

そう。

私の背中を押すのは、勇気ではなく、絶望です。

でも、決してあなたのせいではありません。 私が勝手に夢を見て、私が勝手に絶望した。 それだけのことです。

ああ、あなたへの言葉は、後から後から、いくらでも湧いてきます。 でも、こんなことをいつまでもダラダラ書いていたって、何の解決にもなりません。

だから、そろそろ私は旅立とうと思います。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ここまで読んで、やりきれなさに、純一は大きなため息をついた。

もう、けっして取り返しはつかない。 二度と昔に戻ることは出来ない。時は決してさかのぼらない。

そんなことはわかってる。

そんなことはわかっているのだ。

 

恋は、純一にため息と言うクセだけを残して消えた。 純一は美冬(みふゆ)と別れる前より、ずっとたくさんのため息をつくようになった。

どれだけスキでも、どれだけ努力しても、ドラマのような結末など、そうそうあるものじゃない。好きな気持ち、努力、そう言うのは相手に気持ちがない場合、鬱陶しがられるだけだ。

そしてそれを認めることが出来ず、自分の気持ちのままに突っ走ってしまえば、本人が「純粋な想いのままに努力しているだけだ」と言い張っても、それは空回りどころか、妄執となってしまう。

そう、ストーカの誕生だ。

幸いにと言うか、純一にはそれほどの妄執はない。

もちろん心から美冬がスキだったし、そのために一生懸命がんばったことは間違いない。だけれど、それが徒労に終わったからといって、過ぎ去った過去にしがみついたままいられるほど、 純一は激しい性格ではないようだ。

次の恋、なんて考えるには早すぎるけれど、終わった恋を認めるくらいのことは出来る。つらいけれど、それを認めなければ、先に進むことは出来ないから。

彼はそう思っていた。

ただひとつだけ、何よりもやりきれないこと。

それは、美冬を奪っていったのが、大介だったということだ。

純一とのことで悩んでいた彼女の相談に乗っているうちに、いつの間にかそうなってしまったんだと、川原の土手に純一を呼び出した大介は、苦しそうな声で言う。そのそばで顔を伏せたまま、美冬が黙って立っている。

純一はあっけに取られるしかなかった。

大介が美冬と付き合うことに対してじゃない。

友達の彼女に手を出しておいて、いつの間にか、とか、仕方なかったなんて言い訳を臆面もなく口にする大介の神経に、唖然としてしまったのだ。

この男は、いまさら僕に対して何を繕(つくろ)おうと言うのだろう。

もしかして、僕の許しを請おうというのだろうか?

人の彼女を奪っておいて、これからも友達で居ようなんてとんでもないことを言い出すつもりだろうか?

まさか「僕を殴れ」なんて言い出すんじゃないだろうな?

そんな風に危惧していたら、驚いたことに、大介は本当にそんな青春ドラマじみたセリフを吐いた。悲痛な表情、少なくとも悲痛に見える表情で自分を殴れと言ってきたのだ。

冗談じゃない。

美冬を奪われた上、どうしてそんな茶番劇に付き合わなくちゃならないんだ? バカにするのもいい加減しろ。

そう叫んだ純一に対して、大介は信じられないセリフを吐いた。

「僕は美冬がそれほど好きなわけじゃない。ただ……お前の彼女だったから……」

この言葉には、純一も美冬も、目を丸くして大介の顔を見るしかない。

何を言っているのだ、この男は?  頭がおかしいんじゃないか? それって、 たとえ本当にそう思っているのだとしても、本人の居る目の前で言うことか?

唖然とする純一の横で、 美冬は一瞬の驚愕が去ると、立ちくらみでも起こしたかのように、その場にしゃがみこんでしまった。

「そんな……そんな……」

それ以上、声が出てこない。

当たり前だろう。その美冬の姿を見て純一は叫ぶ。

「大介! お前っ!」

「言っただろう。だから、僕を殴ってくれよ」

殴りかかりそうになったところにそう言われ、純一は少し冷静さを取り戻した。そばでは、美冬がその大きな瞳から、ぼろぼろと涙を流している。

「大介君、どうして?」

美冬の当然の言葉に、大介は表情を凍りつかせて言った。

「どうしてだって? その鈍感さが、どれほど僕を傷つけたか、君にはわからないのだろうね。確かに昔は、君のことが好きだった。だけど今は……」

大介は途中で言葉を切ると、苦痛に満ちた顔で純一を見る。それからもう一度、美冬に顔を向けると、これ以上はないほど冷たい声で、厳しく言い放った。

「君が僕のために出来ることは、この世から消えてくれることだけだ」

美冬がショックで声も出せないで居るのを尻目に、大介はそれきり口を閉ざして表情を凍らせた。 まるで、まるきり彼女に関心を失ったように。

その顔を見て、純一は大介の本当の目的がわかったような気がした。 美冬が純一の彼女だったから、手を出した。 そう言われて初めて、すべてのピースがはまり、パズルが完成する。

大介の目的は、復讐なのではないか、と。

純一は幼い頃から、大介のものを取り上げてきた。裕福な家に生まれた大介は、珍しいものをたくさん持っていたのだ。純一はそれをいつも取り上げて、自分のものにしていた。

おとなしく引っ込み思案な大介は、純一が伝家の宝刀を取り出すと、何も言えずに曖昧にうなずき、悲しそうに肩をすくめるしかなかったのである。

伝家の宝刀、それは。

「もういいよ。くれないなら、絶交するからな」

と言う、恐ろしく残酷で、傲慢なセリフだ。

しかし純一は、大介の持つ珍しいものを手に入れたいと言う醜い欲望をむき出しにして、何の罪悪感もなく、このセリフを吐いていたのだった。

子供の頃にありがちな話と言えば、それまでだろう。

事実、純一はそんなことをずっと忘れていた。高校に通う頃には、そんなセリフをはくほど、純一と大介は仲良くなかった。

なぜなら、大介はいじめられていたからである。

華奢な身体にきれいな顔、引っ込み思案な性格の大介は、格好のいじめの的だった。そして、大介と仲良くすると言うことは、純一もそのいじめの対象になる可能性を秘めている。

いじめられるたびに悲しそうな瞳でこちらを見る大介を、純一は黙殺した。

大介と何のこだわりもなく話せるようになったのは(今思えば、それは純一の一方的な思い込みだったのだが)、社会人になってからだ。

純一と大介は、町で偶然再会し、旧交を温める。

ある日、純一は大介に呼ばれて一軒の居酒屋へ向かった。再開してからこっち、いつも冗談で「合コンでもあるときは、呼んでくれよな?」なんていっていたのを、大介は律儀に覚えていたのだ。

その席で純一は、美冬に出会った。

大介が

「きれいな子だろう?」

と我が事のように自慢するのも、純一の頭には入ってこない。そのくらい、美冬を見た瞬間から、純一は完全に彼女にイカれてしまった。

真っ白な肌。大きな瞳。長い黒髪。そして、その大きな瞳を見開いて、長い髪を揺らしながら屈託なく笑う笑顔のまぶしさに、純一は魅入られてしまった。

合コンが終わったあと、大介と肩を並べて帰りながら、純一は彼に向かってとうとうと美冬のすばらしさを語り続けた。大介は悲しそうな顔をしながら。

「そんなに気に入ったのかい?」

と、聞く。純一がもちろんだとうなずくと、大きなため息をついて、それからにっこりと笑った。

「じゃあ、彼女ともう一度会える機会を作ろうか? もっとも、それで駄目でも、僕のせいにはしないでくれよ?」

「本当か? ぜひ頼む。いやぁ、持つべきは友達だな?」

「ははは、現金な男だなぁ……」

あの時すでに、大介は美冬に恋していたのだろうか?

きっとそうなのだろう。

そして純一はまた、大介の大切なものを奪ったのだ。

彼としては、それを取り返しただけだ、と言う気持ちなのかもしれない。

しかし……

だからと言って、やっていいことと悪いことがある。

美冬の気持ちが大介に傾いてしまったことは、悲しいけれど仕方ない。それに関して、純一はどうこう言う気はない。

だが、美冬を前に大介が言ったせりふは、決して口に出してはいけない類のことだ。これだけは許せない。

純一は夕日に染め上げられた土手の上で、大介を睨みながら立ち尽くしていた。

と。

「ぁぁぁぁぁぁああああああ……」

突然の叫び声に、思わず振り返る。

純一の視線の先で、美冬が恐ろしいほど空虚な悲鳴を上げながら、駆け出してゆくところだった。

「美冬!」

あわてて追いかけようとする純一の腕を、大介がつかんだ。

「放っておけよ。それより、大事な話があるんだ」

ものすごく真剣な目をした大介に、しかし、純一はあらん限りの罵声を浴びせた。

「黙れ! お前がやったことは、決して許されないことだ! 確かに、お前が惚れていた女を横取りした僕が悪かったのかもしれない。僕はお前が惚れているなんて知らなかったんだから、責められる筋の話じゃないと思うが、それはまあいい」

大介は純一の剣幕に押され、何か言おうとした口を閉ざした。

純一はかまわず叫ぶ。

「だがな、お前が美冬にしたことは、どう言い繕ってもいいわけの利く話じゃない。美冬だって悩んでいたはずだ。僕を裏切ったことに、罪悪感を感じていたはずだ。お前はそれを包んでやるべきだったんだ! それを言うに事欠いて、「美冬がそれほど好きなわけじゃない」だと?」

「それは……」

「黙れ、黙れ、黙れ! お前は僕に責められると思って、最低の逃げ口上を言ったんだよ! 僕には、お前らを責めるつもりなんてなかったのに! 僕は美冬を追う。お前はもう、 僕らの前に顔を出すな。お前の顔なんて、二度と見たくない」

純一はそれだけ言うと、駆け出した。

駆けて、駆けて、駆けた。

心臓が爆発しそうだったが、かまうものか。悲鳴を上げたときの美冬は、明らかに精神の平衡を失っていた。あのままでは、最悪の事態だってありうる。

純一は思いつく限りの場所を探しまくった。

彼女の実家にも電話をした。

しかし、美冬はどこにも居ない。

みつからない。

焦燥が純一の心を焼く。

どこだ。

美冬、どこに居るんだ。

しかし、美冬は見つからなかった。

純一は、疲れきった身体を引きずって、自分のアパートに帰ってきた。

すると。

部屋に、明かりがついている!

美冬か!

純一は疲れを忘れて階段を二段飛ばしに駆け上がると、部屋の扉を開けて叫んだ。

「美冬!」

美冬はそこに居た。

真っ白な美しい顔のまま、純一のベッドで眠っていた。

 

永遠に。

 

警察から解放され、純一はようやくアパートに戻った。

美冬の自殺騒ぎが純一のせいではないとわかって、追い出されることはなくなったが、しかし、大家さんの態度は、驚くほど冷たかった。

その冷たさは、純一のせいではないと判って罵るのをやめたときの、美冬の両親の態度に似ていた。頭では納得しているが、感情が納得していないといった類(たぐい)の冷たさだ。

やり場のない憤りを、とりあえず形のある「純一」と言う対象にぶつけたいのだが、それが出来ない悔しさ、歯がゆさみたいなものが感じられる冷たさだ。

なぜ僕がそんな扱いを。

そういう気持ちもあったが、それよりも純一は心も身体も疲れきっていて、とにかくひとりになれたことがありがたかった。

くたびれ果ててアパートの扉を開けると、郵便受けに一通の封筒が入っている。表にも裏にも、差出人どころか、住所、いや、切手さえ貼っていない。

だれだ?

思った瞬間、純一の脳裏に電光が走る。

美冬か?

彼女の遺書か?

純一は震える手で、封を切った。 中には数枚の便箋が入っていた。とにかくひっぱりだすと、純一はむさぼるように読んだ。が、読み進むうちに、なんだかおかしいなと思い始める。

これは僕に宛てられた手紙ではないのか?

純一はひたすら続きを読む。

やがて……

 

世界が暗転した。

 

そうしてそれから純一は、誰も居ない部屋の片隅で膝を抱えたまま、何度も何度も手紙を読み返している。読めば読むほど、すべての原因は自分にあったんだと言うことを確認させられる。

もしかしたら、誰が悪いなんてないのかもしれない。

でも。

もう、すべてがどうでもいい。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

私の願いは、それほど大それたものだったのでしょうか?

(中略)

そう。

私の背中を押すのは、勇気ではなく、絶望です。

でも、決してあなたのせいではありません。 私が勝手に夢を見て、私が勝手に絶望した。 それだけのことです。

ああ、あなたへの言葉は、後から後から、いくらでも湧いてきます。 でも、こんなことをいつまでもダラダラ書いていたって、何の解決にもなりません。

だから、そろそろ私は旅立とうと思います。

ええ、 私は旅に出ます。

美冬の死は、意図していました。彼女は繊細な、少なくとも自分では繊細だと思い込んでいる女でした。そして、今回のことで悩み、なんども自殺しかけてしました。

それを止めていたのは私です。

もちろん、親切や同情なんかじゃありません。美冬はいつも自殺をしようとする前に、私に電話をかけてきました。私はそのたびにすぐさま飛び出し、彼女の命を救ったのです。

そうするうちに、私の彼女の間に、一種の信頼関係が出来上がりました。彼女にとっては友情だったのでしょうが、私にとってはサーカスのショーをやる時の相手に対する信頼みたいなものです。

彼女の自殺未遂は、だんだん激しくなり、いつしか私と彼女は空中ブランコのパートナーのように、きわどいタイミングを見切ることが出来るようになります。

これで準備が整いました。後は簡単です。

私に思いもかけない裏切りを受けた彼女は、それでも無意識に私とのタイミングを計り、自殺します。本人は未遂のつもりだったのかもし知れませんが。

もちろん私は、助けにゆきませんでした。空中ブランコから飛んだ彼女が差し出した手を、無視したのです。こうして私の復讐は、意外とあっけなく終わりました。

そして私は、あなたに最後通牒を突きつけられました。これも、美冬を見殺しにした報いなのかもしれませんね。

でも、私は死にません。あなたを独占し続けたあの女の居るところへなど、行くつもりはありません。私はあなたの望むとおり、あなたの前から姿を消します。

もう決して、あなたの前に姿を現すことはないでしょう。

でも、お願いです。

時々でいいから、私のことを思い出してください。

さようなら。

ごめんなさい。

 

愛する純一へ

大介

 

追伸:

男が男を愛すると言うのは、それほどに罪なことなのでしょうか?

そして、私の願いは、それほど大それたものだったのでしょうか?


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