その名はエース

「かおるっ! かおるっ! あんたいったいどこ行く気なんだい? こんな夜中にっ! いい加減におし、このバカ息子」

「うるせえ! 俺はかおるじゃねえ! エースって呼べ!」

「なに言ってるんだい、このバカ! こんな夜中にバイクでふらふら出かけるなんて、あんたボーソーゾクなんじゃないだろうね?」

母親に怒鳴られ苦虫を噛み潰したような顔をしながら、井上薫(いのうえかおる)は家を飛び出した。夜中の二時過ぎのことである。

彼はかおると言う優しい響きを持つ自分の名前が非常に嫌いで、コトあるごとに「俺はかおるじゃない。エースと呼べ」と騒いでいる。もっとも、母親を筆頭に周りの誰も、そんな風に呼んでくれる者はいない。

なので、せめて我々くらいは彼をエースと呼んであげることとしよう。

きゅるるる…ビィン!ビンビンビン!

愛車「イナズマ号」にまたがったエースは、50ccのエンジンを勇ましく唸らせて走り出した。国道をトラックにあおられながら、向かう先はいつものファミレス。アクセルはもちろん全開の60Km/h。

なぜかって? 若い男の子が急ぐ理由なんて、大体わかるだろう?

威勢のわりに、女の子にはからっきし意気地のないエースにとって、友達が連れてくる女の子たちは、異性との唯一の接点なのだ。

駐車場にはいつものように、エースの友達ふたりと、女の子がふたり、何が楽しいのか嬌声を上げながらじゃれあっていた。

エースはクラッチを握って空吹かしする。ミッションつきの50ccオフロードバイクは、ビィィンビィィンと可愛らしいエグゾースト(排気音)を響かせながら、彼らの元へエースを運んだ。

「おう、かおる!」

「あー! かおるちゃんだぁ!」

「やかましい! エースだっつてんだろ!」

挨拶代わりに小突きあうと、エースも彼らに混じってダベりだす。彼にとって、もっとも「生きてる」時間であった。

小一時間もダベったろうか。喉が渇いたエースは、ファミレスのハス向かいにあるコンビニへジュースを買いに行った。ちょいと気を利かせてみんなの分を買い込むと、スキップしかねないほど軽い足取りで戻る。

と。

友達と女の子たちの間に、男がふたり、割り込んでいるではないか。

ふたりの男は、明らかにタチの悪そうな、ガラの悪い連中である。一人は背が高くて、汚い金髪を後ろで結んでいる。もう一人はスキンヘッドで、鼻にピアスが入っている。

何事かと駆け寄ると、友人たちは困ったような顔でエースを見た。

「どうした?」

エースの言葉に友人が答える前に、背の高いロン毛の男が、ニヤニヤしながら話しかけてきた。

「いや、別になんてことはないんだ。俺たちはこっちの彼女たちと遊びたいんだよ。で、おまえらが彼氏だったら悪いと思って聞いたら、彼氏じゃないって言うからよ。彼女たちに、俺たちと遊ばないかって聞いたんだ」

そこでもう一方の鼻にピアスをした男が、後を引き継ぐ。

「そしたら、彼女たちは男の子たちに聞いてくれって言うんだよ。で、こいつらに話したら、おまえがリーダーだって言うじゃねえ? で、おまえが来るのを待ってたんだ」

リーダー?

エースの頭の中は、はてなマークでいっぱいだ。

まて、落ち着け、落ち着け。

自分に言い聞かせているうちに、少しづつ事態が見えてくる。

つまり、このタチの悪そうな男たちに絡まれて、女の子たちは男どもに助けをもとめた。ところが男たちもビビってしまって、俺に責任をおっかぶせたと言うことなのか。

一瞬、えらく腹が立ったが、考えてみればエースだって、同じ状況では同じような対応をしただろうと思い直し、とりあえず気を静める。

「よう、リーダー。どうなんだよ? 俺たち、女の子連れてっていいよな?」

「ここは、民主国家日本だ。女の子たちが行きたいと言うのなら、俺たちにとめる権利はない」

鼻ピアスは一瞬面食らったあと、ゲタゲタと笑い出した。

「なるほど。確かにお前の言うとおりだ。おまえら別に彼氏ってワケじゃないんだもんな? オーケー、それじゃ女の子たちは俺らがつれてくぜ」

嘲笑しながら、男たちは女の子の肩を抱く。

エースは肩をすくめて友達を見やった。すると、友達ふたりは明らかな軽蔑の視線でエースを見ている。

え? なんでだよ? おまえらが厄介ごとを俺に押し付けたんだろう? なんで俺がそんな目で見られなくちゃならないんだ?

言おうとして出かかった言葉が、次の瞬間に引っ込む。

思い当たったのだ。

エースはある意味本気で女の子たちの自主性を重んじたのだが、彼らにしてみれば、あの男たちにビビって女の子を渡した根性なしにしか見えない、と言うことに。

そこで連れて行かれる女の子たちを見てみれば、彼女たちもエースに侮蔑の視線を投げかけている。

なんだよ、俺が悪者かよ?

自分らこそ事態から逃げてエースに責任を押し付けたのに、まるでエースが一番悪いんだとばかりに侮蔑の視線を投げる友人や女の子に対して、彼は本気で腹が立ってきた。

むしろ、たとえたちが悪くても、少なくとも自分を偽らず、人に責任を転嫁しない男たちふたりのほうが、よっぽど好感が持てるってものだ。

「あ、ちょっと」

エースの声に、男たちは振り返る。その顔に浮かんだニヤニヤは、明らかに因縁をつけてエースにけんかを売ろうと言う姿勢が見て取れた。

「俺も、その子達と遊びたいんだよね」

男たちは、暴力の予感に、にやりと唇をゆがませる。ところが、そのあとのエースのセリフは、彼らの想像を超えていた。

「だから、俺も一緒に行っていいかな?」

こんなとき見られる反応と言うのは、いくつもない。男(エース)の器を面白がって、本当に遊びに行こうと言うか、なめられたと思って逆上するか。

ノッポロン毛と鼻ピアスは、残念ながら後者であった。

「あ? ナニ言ってんだ、おめえ? ヤっちまうぞ? もう、おめーらに用はねえんだから、とっとと消えろ」

ここへ来てようやくエースは、事態が取り返しのつかないことになってしまったことに気づく。

もちろん、このまま「すいません」と頭を下げて行ってしまえば話は終わるのだが、エースは、自分がそうできないことをよくわかっていた。

しかし、それでもこの物騒な男たちに面と向かってケンカを売ると言うのは、なかなか決心できることではない。

エースは黙ったまま、去るでもなく突っかかるでもなく、そこにただ立っていた。やがて、痺れを切らせた鼻ピアスが、今まさにエースにつかみかかろうとする、その寸前。

「どうでもいいけど、そこ、どいてくれねえかな?」

間の抜けた声が発せられた。

虚を突かれた一同は、声のほうに振り返る。

「俺の単車が出せねえんだよ」

のんびりとした口調でそう言ったのは、全身黒ずくめの男だった。髪の毛、瞳の色はもとより、革ジャン、Tシャツ、革パンツ、ブーツ、腰にぶら下げたメディスンバッグ、全てが黒一色。

「なんだ、てめえ!」

脊髄反射でそう怒鳴るノッポロン毛と鼻ピアスも、戸惑いは隠せない。

もちろんエースよりは彼らガラの悪いふたり組みのほうが、よほどこの男の側に近いことは間違いないのだが、それでもどうやらこの男が彼らと毛色が違うと言うことはわかったようである。

「メシ食い終わったから帰りたいんだよ。でも、そこにおまえらがいると、俺の単車が出せないんだ。わかるか? 日本語通じる?」

ここでようやく、ふたり組みにも自分たちの違和感の正体がわかった。この男は恐れていない。いや、それどころか明らかに二人を馬鹿にして、なめている。それこそが彼らの違和感の正体だった。

「コノヤロウ。ナメてんじゃねぇぞ?」

「無理。おまえらダサいもん」

ナメられると言うことに対して、ほとんど病的なほど敏感に反応するこの手の人種にとって、こういうふざけた態度は、何よりの起爆剤である。彼らは瞬時に化学反応を起こして、一気に沸騰した。

「野郎!」

叫びながら突っかかってきたノッポロン毛のコブシは、猛烈な勢いで男を襲う。

ゴツッ!

離れていた女の子たちにまで聴こえるほど、大きな音が響いたのとほぼ同時に、ノッポロン毛は悲鳴を上げた。

「痛てぇぇぇぇ!」

彼の必殺のコブシは、黒ずくめの男が差し出したヘルメットを、過たず貫いたのである。いや、もちろん本当に貫いたわけではなく、彼の小指側のコブシの骨は、折れて上に向かって飛び出していた。

医学用語で言う、ボクサー骨折である。もちろん、怪我の名前がわかったとしても、彼の痛みが癒されるわけではないが。

逆上して男に挑みかかろうとした鼻ピアスを、ノッポロン毛が制する。やられた借りは自分で返そうと言うのだろう。彼は痛みをこらえて根性を出しているわけではない。怒りでアドレナリンが分泌されている間、人間は痛みを感じづらくなるのだ。

「てめえ、殺してやる」

「いや、こんなんで殺されたら、死ぬに死ねないって」

相変わらず飄々とした口調でそう返す男に向かって、ノッポロン毛はナイフを出した。

「ハッタリじゃねえ。てめえぶっ刺して、刑務所に行く覚悟はできてるんだ」

悲壮な顔でそう脅しかけるが、相手はまったく意に介していない。

「つーかさ、刺す前からなんで先々のことまで心配してるんだよ、おまえ。ガラの悪そうな割に、意外と計画性のある人生送ってたりするんじゃねえの? 就職する前に退職金の使い道を考えるくらい、気が早いと思うぜ?」

「うるせえ!」

ナイフを突き出して、ノッポロン毛は男ににじり寄る。男のほうは、これまた完全に彼をなめた態度で、女の子の方に手まで振っている。

「くらぁ!」

叫びながら突き出されたナイフは、きらきらと宙に舞った。男の投げたヘルメットが、ナイフを握った右手に直撃したのだ。

と、次の瞬間には、男のブーツのつま先が、ノッポロン毛の胃袋に深々と突き刺さっていた。一瞬硬直したあと、彼は身体を折って這いつくばり、げえげえとまわりに吐瀉物を撒き散らした。

みなの視線が吐き続けるノッポロン毛に集中している隙に、男は風を巻いて鼻ピアスに襲い掛かる。駆けてきた勢いで飛び上がると、男は両足をそろえて鼻ピアスの胸板を蹴りつけた。

「ド、ドロップキック……」

エースの呟きが聴こえたのか、男はエースに向かってにやりと笑いながら親指を立てて見せた。そして次の瞬間には、ブーツのカカトで男の全身を蹴りつけ、踏みつける。

「ストンピングだ……」

鼻ピアスが鼻血を流しながら謝るのを聞いて、男はようやく攻撃をやめた。両手の突き上げて勝利のポーズをとる姿は、一昔前のプロレスラーだ。

ほうほうの体で逃げ出す二人を尻目に、男はエースに近寄ってきた。半分ビビりながらも、助けてもらったことは間違いないので、エースは頭を下げた。

「ありがとうございました」

「あ? ああ、いいよ。俺が好きでやったことだ」

男はそれだけ言うと、停めてある自分のバイクに向かって、つかつかと歩き去ってしまう。

あとに残された者たちは、しばらくその後姿を眺めていた。

やがて、友人の一人がしゃべりだす。

「なんだよ、かおる。おめーてんでだらしないな」

「まったくだ。普段偉そうなこと言ってるくせに、あいつらにビビってたじゃねえか。口ばっかりだな」

「そーだよー、かおるちゃん私らを売ったでしょ。もう、最悪ぅ」

「何が、みんしゅこっかよ。わけわかんないイイワケして、あたしらに責任を擦り付けちゃってさ。ダサいったらありゃしない」

どの口がそういうことを言うんだろう?

エースは怒るより、あきれるより、むしろ感心してしまった。

彼らの中では、とうの昔に記憶の都合の悪い部分は全て削除されてしまったのだろうか?  思い出させてやろうか。

「へえ、俺が悪いってんだな? ヤツラに絡まれて何も言えないどころか、その場にいない俺に全てを押し付けて、様子を伺っていたおまえらが、俺が悪いって言うわけだ?」

「え、いや、あの……」

「なんだよ、逆切れかよ」

「ビビってたのは、自分も同じじゃん。なにカッコつけてんの? バッカみたい」

ものすごい内圧が、エースの中で膨れ上がった。友人たちへの殺意が、鎌首をもたげる。エースは据わった目のまま何も言わずに、ノッポロン毛の落としていったナイフを拾い上げた。

黙ったまま振り返ると、友達……いや、友達だったヤツラに向かってナイフをかざして見せた。彼らの中に、緊張が走る。

不意に。

エースは高らかに笑い出した。笑いながらナイフを天高く放り投げる。街灯にきらめいたナイフは、うわっと言いながら避けた元友人の間に、涼やかな音を立てて落ちた。

エースは笑いながら、いつの間にか泣いていた。

こんなもんか。

こんなもんだったのか。

友達なんて言ったって、ちょっとリスクが絡めばこんなもんなのか。

悔しくて。

悲しくて。

全てがわずらわしくて。

エースは大声で笑いながら、ぼろぼろと涙を流した。

と。

バルルルン! バルバルバルバルバルバル!

見たこともない巨大なバイクが、彼らの前にやってきた。先ほどの男だ。

その場の全員が見守る中、男はヘルメットを脱ぐ。エースはそのまま男を見つめていた。

「痛いか?」

男はポツリとそう言った。

その目は確かに、エースの悲しみの理由を理解しているかのように思えた。それで、エースは黙ったまま、ゆっくりとうなずいた。

「じゃ、どうする? もう、こいつらとは縁を切るか?」

あたりまえだ! こんな思いをして、どうしてこんなヤツラと一緒にいられる? そう叫ぼうとした。叫ぼうとしながら、エースの瞳は彼らの姿を捉えた。

あれ?

なんだろう?

彼らの姿が、やけに小さく、弱弱しく見える。

なんだ、こんなに小さなヤツラだったのか。こんなに弱弱しいヤツラだったのか。エースはなんだか、さっきよりずっと泣けてきた。

仲間だと思っていたやつらが、あまりに小さいことに気づいたから?

違う。

じゃあ、どうして?

どうしてだろう?

エースは葛藤する。

「自分も同じだから。そして、失いたくないからだよ」

男はエースの心を見透かしたようにそう言った。

そんなわけあるものか! こいつらは俺に責任をかぶせた上に、それにほっかむりして、俺を攻め立てたんだぞ?

「おまえだって、同じようにしたかもしれないだろう?」

「俺の心が読めるの?」

「まぁな。俺も昔、同じような思いをしたことがあるんだ」

「そのとき、あなたはどうしたの?」

「これからおまえがするのと、同じことをした」

言われてエースは、自問自答する。

どうする? こいつらと縁を切るか? こいつらのしたことは許せるか? 俺がもし同じ立場だったら、やっぱり同じような態度だったかもしれない。それでも縁を切るか?

逆に言えば、こいつらの誰でも、俺と同じ状況になったら、俺のように考えるかもしれない。じゃあ、許すか?

許す? 何を? 自分だってしたかもしれないことを?

長いこと黙ったまま、時は流れる。

友人たちも、禅問答のようなふたりのやり取りをカケラも理解していなかったが、それでも今離れてはいけないと言うことは感じているのか。誰一人動かない。

やがて、エースは顔を上げる。

「今日、俺が感じたことは、ものすげえ大事なことのような気がします。いまはまだ、何をどうしたらいいか分からないけれど、一個だけ分かりました」

「何が分かった?」

「答を出すには早すぎるってことです」

黒ずくめの男は、にやりと笑う。

「切るのはいつでもできるだろう? そんで、切るには勇気がいるだろう? ヒトとの関係を切るってのは、その人間の器がイチバン試されるときなんだ。覚えとくといい」

自分しか見えてない人間は、人を思える人間より、きっと傷つきやすいんだろう。今はそんな風に思うだけでいい。いつか、答えが見つかるだろう。

エースは男に向かって、思いっきり吹っ切れた明るい顔で言った。

「ありがとう」

男は笑って親指を立てる。次の瞬間には、爆音とともに走り去ってしまった。その後姿を見つめながら、エースは思う。

俺が感じたことを、こいつらに話してみよう。時間はかかるかもしれないけど、どうしても伝えたい。

だって、こいつらは友達だから。

「なあ、かおる。あのヒトと何を話してたんだ?」

もちろん、全部話してやるさ。そして、みんなで考えよう。

ダチってのがなんなのか。生きてくってコトがなんなのか。

そして、答が出たらいつか、もう一度あの男に会ってみたい。会って色んな話をしてみたい。

そして、それにはどうすればいいか、エースには充分よくわかっていた。

友達に向かってにっこりと笑いながら、男を真似て親指を立てる。

 

「なあ、単車の大型免許、取りにいかねえか?」


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