大石太神宮ともいわれ、天照国照彦天火明尊。『先代旧事本記』の天孫本記は、この神のまたの名を饒速日命・天火明命などといい、高天原から河内の哮峯に天降ったのち大和の鳥見に遷り、長髄彦の妹を娶って物部氏の祖宇麻志麻治命を生む、と伝える。
『延喜式』神名帳は、筑後国三井郡三座のうちに「伊勢天照国照御祖神社」を記すが、久留米市御井町の高良大社の末社と当社に比定が分かれ、他に『筑後国神名帳』の三潴郡「正六位上大石兵男神」を当てる説もある。
古代の郡界が不明のため本来の所在地は定めがたい。矢野一貞は『諸社拾実鈔』で当社を式内社としているが、その論拠は注目に値する。いわく「社後の土中に許多の齎瓮埋もれたり、掬うべし、千年外の祭器なること疑いなし」今、大石村と庄島村の界いに小川あり、此わたりにて白鳥川と云い、此源は三井郡国分村より出て、同郡中村を過ぎ西久留米(三潴郡)を分かち、府下三本松町、池町を経て大石と庄島を分かち筑後川に入る。此川や古の郡界なりけむ。(中略)此地必御井に属すべき地勢なれば此御社こそ式に載れる御祖神社なるべし。神号の均しき、社伝の拠のある、神実の甚古記、祭器の許多残れる、地理の接はれる、相殿の神等の厳重なる由緒ある。彼是以て思い定べし。
神社のある大石町は現在市街地になっているが、台地と筑後川の自然堤防の上に、大石神社遺跡・速水遺跡・南崎遺跡など弥生時代中〜後期の遺跡がひろがっている。大石町の当社の神体は、本殿土間にある巨石で、支石墓の上石あるいは古墳石室の蓋石かと推測されているが、江戸時代の『筑後志』や社伝は、この霊石が年々肥大するという伝承を伝える。また石の大きさは「方九尺」、別に「方三尺」という。この巨石を祀る伝承が神社発許にひきつがれているとすれば、祭祀はより古く、巨石は磐座であるかも知れない。
またこの神社も、社名と祭神から見て物部氏の日神祭祀に関連していたと思われる。例祭は10月26日。 (奥野正男)
◆「消された大王饒速日」(神一行著)に饒速日命を祀った神社として、天照神社(福岡県鞍手郡宮田町)、伊勢天照御祖神社(福岡県久留米市大石町)があると記されている。ところが地図には伊勢天照神社がない。大石町に1つある神社の名前は佐岐神社。とにかく訪ねて見ることにした。そうして伊勢天照御祖神社を発見した。正面の鳥居には「伊勢御祖神社」と刻まれた額が上がっている。地図で佐岐神社になっているのは何故かと思って調べると末社の中に佐岐神社があった。祭神は不明。また、正面から見て左手の参道の鳥居の額が佐岐神社になっていた。
地図上の名称が、立派な神殿がある伊勢天照御祖神社でなく、末社の佐岐神社になっているのは何故か。饒速日命を歴史から抹殺しようとする意思が、明治政府の神社統合の際にも働いたとのではないかと、勘ぐりたくなる。
(見野 容)
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