テキストサイト論を書く多くのサイトにサイトレビューというものを見かける。
サイトレビューには賛否両論があって、すなわちそれはレビューするべきではないという意見と、その逆である。
まずは何故このように賛否両論に分かれるのかということから検証。
前回サイト論を書いたときに来たメールのほとんどに含まれてきた言葉でもあったが、それは選択性に多く依存できるという点。
レビューの多くが批判であるという観点から考えて、わざわざ批判しているサイトに文中リンクまで貼ってそのサイトを
見ることに意味はあるのかということです。批判されたサイトは当然いい気分でいられるはずもないので反撃にでる。
こういった一連の流れは見ているものからすると必ずしも面白いものではなく、下手をすると当事者だけがネット上で
喧嘩を繰り広げるという結果に陥る。当事者は自分なりの意見に固執するわけですから喧嘩(論争)は半永久的に継続されることになる。
当事者と閲覧者との合間に生じるすれ違いからサイトレビューに対しての賛否両論が生じるものと思われます。
これが生じる原因の一つが秩序であると思われます。世間に普及している評論文に準じての批評文には多くのサイトレビューに近い観点からの
指摘がなされている。それは世間においてのある一定のルールの下で表現される限り、一定の枠組みの中で当事者と閲覧者とのバランスが保たれる。
だからこそ批評家と呼ばれる人種が存在する。しかしテキストサイト界にはその枠組みが存在しない。厳密にはしているのだがその規律はとても曖昧で
必ずしも全ての閲覧者及び当事者が同じ認識の下で理論を繰り広げているわけではないのである。
おれ個人の意見としては(とは言うものあくまで論理的かつ正当化して書きます)サイトレビューというものは存在していいものだと思います。しかしながら
それは傍若無人に好き勝手に批判の対象を作れという意味ではありません。おれが一定の基準を定め、それに準じてレビューしろというわけにも当然
いきませんが、今までにテキストサイト界という狭い枠組みの中で育まれてきた多くの秩序があると思います。それと共に世間一般で育まれてきたルールが
存在します。その範疇でのレビューというものは面白いですし、閲覧者にもある程度の理解、及び反論を促す結果になると思うのです。
現実の段階ではそれがなされていないように思われます。当事者自身は反響を促しているという錯覚にも陥りますが実際にそれを好き好んで見てる人は
数が限定されています。前回もお話しした選択性から考えると矛盾が生じるように思われますが(見たくない人は見なければいいなど)それはあくまで
サイト管理者が個人的なものとして限られた場合であり、それが他サイトに影響を及ぼす場合であれば現実社会と同じくして一定のルールを保つことが重要視
されるわけです。具体的なルールをここで掲示するつもりはありません。それは社会の枠組みにで生きている我々には当然備わっているものと思いますから。
ではサイトレビューの面白いところを最後に書きます。まずはやはり選択性でしょう。レビューされたサイトは良くも悪くも批評の対象になっているわけですから
閲覧者はレビューされたサイトを見て判断するという選択性を持っているわけです。一定のルールの下で意見交換の場を設けるということは選択された
サイトにとっても新しい発見、論理構造の変換などの選択が可能なわけです。頭の中で構築されるロジックはある一定の知識に限定されて構築されるわけですから
他のロジックから見た自サイトの捉え方があまりにも自分のロジックから離れているものならば自分の論理構成をある程度組替えるこのが必要なこともあるのですから。
次に、やはり成長が挙げられるでしょう。テキストサイトという狭い枠組みではありますが現段階で停滞することはあまりにつまらない。それには上記であげた意見交換は
必要不可欠であると思われます。
これを書いていて自分の文章にも疑問を感じます。そう言ったものをレビューしてくれて、新しい考えを身に付けるということはおれにとってもありがたいことですから。
戻る
|