えっとですね、さっきまでドトール(喫茶店)で掲示板、メール
などで寄せらた皆さんの「無駄なこと」に対する見解など思い
出していて、おれもいっちょ書くかなってことになりました。
普段の文章はPC上でそのまま打ってるものなんだけど今回は
手書きのものをPCにアップしました。もちろん書いていた場所は
ドトール。あと、おれが昔書いた小説の序論の部分をのっけます。
とりあえず、それもドトールで書いたものなので同じ空間で書いた
ものとして読んで見てください。
人々が本を読み、会話をし、物思いにふける。
なぜこんな文章を載せることにしたのかというと
この絶対的に孤立した空間をつくりだすこのこのコーヒーショップは、
その意味で小さな相対性を創造している。
一つのテーブルごとに作り出させる空間を相対化した形象だ。
流れゆく個々の灯火を支えるこのコーヒーショップは、
ある絶対的なルールの下に運営されている。
流動的でなければならないということだ。
人はこのルールを暗黙のうちに観念として受け入れている。
ひとはこのルールの下でのみ創造できるあらゆるものを創造しようと試みるのだ。
流動的であるがゆえにその場に残すことのない、その場においてのみ存在させることに意味を持たせる。
そのルールの下でひとは傍若無人に振る舞い、無表情に浅はかな空想にふけるのかもしれない。
その絶対的空間を個々に作り出すこのコーヒーショップで一人雄三は、
一人皮肉に満ちた目で観察している。
雄三は一人椅子に腰掛けている。
皆無である。雄三は思う。
この空間を創造している個々の存在は、
一時間、二時間後には存在しなくなり、変わりに新しい存在として現れる。
しかしその空間は意味を持たない。
持っているとしたならばコーヒーショップとして存在しうるものではなくなってしまう。
だからこそコーヒーショップはすべての人を受け入れ、
すべての人を送り出す。
雑多な人々の臭いで息苦しくなり、動悸を感じる。
吐き気なのかもしれない。
隣に座るおばさんの無意味な貧乏ゆすりに
その女性のゆすられる人生を想像させられ嫌気とむなしさを覚える。
片隅に座る女子高生の携帯をいじるボタン音が耳鳴りのように響いてくる。
雄三は人々の皆無な会話を盗み聞き、皆無な行動を覗き見、研ぎ澄まされた五感で椅子の、
テーブルの、床の、壁の、天井の模様を、傷を,染みを、そしてそれらの囁きさえも観察している。
やはり皆無なのである。
雄三は思う。
意味を持つべき模様や傷や染みが意味を持つものにどうしても思えないのだ。
雄三は考える。
きっとここには個々が個々としてのみ存在し、その個々は決して関係性を持つことはないのであろうと。
そうしたものはやはり椅子や、テーブルや、床や、壁や、天井にも同じ観念が働くのだろうと。
雄三は不意に安堵感を覚えた。
動悸を感じていた自分に微笑した。
そこで雄三は、はっとした。
再び動悸を感じた。
ついさっき感じたものよりも強く、激しく。
安堵感を覚えた雄三に恐怖という不透明な暗闇が覆い被さってくる。
絶対的個々としての空間をやはり自分も作り上げているのだ。
つまりは、関係性を無意識のうちの絶っている。
俗物からの孤立を感じ雄三は身震いをした。
何かとの関係性を求めて雄三はコーヒーショップから出ようとした。
店を出る雄三はだれの視界にも入らない。
隣にいたおばさんも店の片隅の女子高生も元々彼が存在していなかったのごとく
おばさんは貧乏ゆすりをし、女子高生は携帯をいじり続ける。
雄三は小走りに店を出た。
ドトールで左隣に座ってた子たちがこんなことを
しゃべってました。
会社の研修でフランスに行くはずだったんだけど
テロの影響で中止になっちゃったんだよね〜〜
そういうときだけはテロ起きてんだなだ〜〜
って感じでガッデム!!!!
って感じだよね〜〜〜〜〜
まじテロむかつく〜〜〜
あんたらがガッデムだろうが!!
てめ〜らの脳味噌は
ブロントサウルス並かっての!!!
ってなことで
こいつらも無駄なもんだな
って思ったんだけど結局人間ってのが見る世界は
虚構の塊なんだなってMチカ的には思うんです。
なんかそういうことを書くのにおれの小説の序論はけっこう
わかりやすいかなって感じたもんで載せたんです。
人間って虚構的意識をまったく、現実をありのままに見ようと
してるときでさえどっかで虚構として物事を見ている。
人間ってのは事あるごとにそのつど暫定的に現実世界を意識の
中で決定しながら思考や行動を決めてるんだと思う。
だからおれたちは無意識に互いに姿の異なった多数の世界像を
前提としながら生きている。つまりは一人一人が虚構を現実
のもととして認識しつつ生きているわけだ。
人間には先天的に演繹的な形式論理学的思考が備わって
いる。もちろんその思考形態は生きていくうえでさらなる
高尚な位置へと変容する。
そういった独自の揺ぎ無い観念をもったおれたち人間はその思考の
元に社会との関係性を作り生活している。
だから最限りない論理の集合体からなる人間社会において
おれは無駄なものなどないと思う。
いや、もちろん、あるとは思ってますよ。
そりゃもういっぱいね。
これはあくまで人間の関係性において、社会性において
の話であると理解していただきたい。
つまり全ての行為が人間の、社会の論理の上でなんらかの
作用をし、そうやって社会は成り立っている。
だから無駄なものなどないってことです。
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