人間失格





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みなさん太宰治の「人間失格」って読んだことあります?

最近ふと思うんですよ。人間が「人間」として生きること

は実はたいそうなことなんでは、なんてね。

今日たまたまこの小説を読み返して書きたくなっただけ

でこの小説読んでない人はちょっときついかな。

それでも書きたいんで書きます。

すいませんね、気まぐれで・・・・





おれ太宰って大好きなんですよね。

読んだことない人はぜひ読んで欲しいです。

彼の文章はなんともいえない暗い雰囲気が漂ってて

読んでるとなんともいえない気分になるんです。

さてさて、テーマは「人間失格」なんですけれど



みなさんどうなれば「人間」を

失格になれると思いますか?



この物語の主人公は自分が「人間失格」であるという

観念を持っているのである。

それがこの物語をもっとも短く説明したものになると思う。

おれは、これからこの主人公について、「人間失格」

について自分なりの観念を書いていこうなんて思う。



生まれつき「人間」という資格をもってうまれてきた

存在がその唯一の自信をも「失格」という形でなくし

てしまう。

しかしそれは、自分自身が実は無くしたのではなく

自らの意思により捨ててしまったことを主人公は気づく

ことはないのだ。

この物語の中で主人公の抱く人間への不信、疑惑は

「人間」という存在として生まれてきたものが、

「人間」という資格と共に授かるものなのだ。

皆がこの念を所有し共有していると理解し、

自分の中に観念化してこその人間社会の中で

主人公はチャンスを与えられながらも気付こうとしない。

気付くことを、受け入れることを拒んだのだ。





おれがなぜ太宰の作品にこれほどまでに感心を抱く

のは、全てこんなとこにあるんだろうな、なんて思う。

それはさ、太宰の抱いていた一生をかけての苦悩を、

太宰は自分の作品一つ一つに意識的にぶつけてる

んだろうってこと。



人間の多くが、そしておれ自信が大きく苦悩として

抱いていることにおれが、そして多くの人が共感を

抱くんだろうね。



人間において「失格」って概念は実はものすごくあやふや

であるとおれは思う。人は人を「失格」なんて言う資格

はないし自分で自分を「失格」なんて言うもんでもない。



しかし、実際には自分に嫌気がさす人だっているだろうし、

自分を全て肯定できる人間なんてこの世にはいないだろうね。

その延長線上に太宰の「人間失格」の主人公がいるわけだ。



本人がそんな意識に囚われるのはやはり観念的なものであろう。

自分が人間としてふさわしくないものと認識したそのときに

にやってくるのだ。自分がそう認識したものが自意識の

説得性の源になるのだろう。本人にとっての唯一の必然性

となっていくわけだ。



しかし、おれはそれは無知ゆえの必然性であると考えている。

それは自分という、唯一の絶対的存在に固執した結果であるの

であろうと。そのような唯物論的思考は周りの全ての視界を

妨げる。妨げられた思考は自分という最も狭い範囲の中で自分の

観念を孤立化させ暗闇の底へと突き落とす。

このようなものが「人間失格」という自虐的観念を持つものに

なるのであろう。



自分の世界観を持ちつつも、自分の世界観の境界を破る決意、

あらゆるものを見ようとする圧倒的な意欲こそが「人間失格」

という自虐的観念からの逸脱につながるものであるとおれは思う。









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