木の日記-16

(九州。少しだけグルメ)
■3月1日(土) 雨

 出張で九州。
 昨日は福岡で打ち合わせをし、今日熊本のバスターミナルの視察をして帰る予定であった
が、予約していた便が航空管制システムの不整合で欠航に。混乱が続きそうだったが、内心
は「しめた!」と思った。絵の道具はいつだってカバンに入れてある。ふふふ。

 即決、駅でレンタカーを借りて、熊本市郊外にある「寂心さんのクス」を描きに行った。

 「寂心さん」は熊本城を築いた殿様で、その後出家してお坊さんになった。そのお墓の脇にク
スが植えられていたらしいのだが、現在はクスが巨大に生長してお墓を飲み込んでしまったと
のこと。H先生の本で知った。  

 で、でかい。

 地元の人が大切にしているらしく、柵で二重に囲われている。外側の柵内には入っても良さ
そうな雰囲気なのだが、躊躇していると、地元の人がやってきて外の柵の内側でお墓の世話を
始めた。

 「その辺で、絵を、描いても、いいですか?」と目と身振りで聞くと、にこりと笑ってくれた。

 雨が激しく降ってきて風も吹いていたが、しゃがんだ姿勢で左手で傘を差しながら、雨で濡れ
たボードを肘と膝で押さえて、右手の指に挟んだティッシュで拭きながら、油性の筆ペンで描い
た。(我ながら根性あると思った。)それにしても立派な木だったので、非常に満足した。

 
熊本市北迫・寂心さんのクス 
 空の便はまだ混乱している。
 新幹線で帰ることも考えたが、えーい面倒だもう一泊、と雨の中を車で二時間走って宮崎県
椎葉村に向かった。この村のこともH先生の本で知った。

(宮崎県椎葉村)

 椎葉村は柳田邦夫の民俗学の発端となったという山人の暮らしを今に残す村だ。その中心
部には現在では民宿や土産店が並ぶ観光地となっている。とはいえ、夕暮れの街をしばらく歩
くと何ともいえない独特な雰囲気がビンビンと伝わってくる。
 空腹だったので「そば・うどん」の幟に誘われて目の前にあった土産店のふらりと入った。もう
店は閉まる寸前だったが、人の良さそうなおばさんが片付けた食器や食材をまた出してとろろ
そば(うちたて・温)を作ってくれ、さらに土産物の椎茸の煮物なども試食にと奨めてくれた。い
ろいろ話をしながら食べたのだが、訪ねてきた近所のおばあさんも加わって、初めて会った人
たちとは思えないくらい親しくなった。
 この村の歴史の本が読みたいと言ったら、歴史好きのご主人のいる近くの民宿(素泊4,000
円)を紹介されて、本を貸してあげて欲しいと電話までしてくれた。

 民宿の二階の部屋に通されて荷物を降ろしてから、1階のお風呂を出て部屋に戻ると、ヤマ
メと山菜の天ぷらと芋焼酎の徳利が置いてある。

 「今日は3月1日で解禁日。ヤマメば朝釣ったとですよ。食べてください。」 民宿のおばさんが
廊下から顔を出してにっこり笑った。

 外では春一番が雨を窓に叩きつけて荒れ狂っていたのだが、部屋は静かで、ひとりで美味し
い天ぷらを食べ、芋焼酎の杯を傾けながら、郷土史の本のページを繰る。

 我ながらオシャレな夜だったのだが、何ページも読まないうちに寝てしまった。(ハハハ)

■3月2日(日) 晴れ
 
 隣室の釣り客の起きる気配で起床。自分も負けじと暗い内に宿を発って、「大久保のヒノキ」
に向かう。

 6:00。椎葉村の北のはずれの山の奥にあるひっそりとした大久保集落。電柱と簡易な舗装
がなければ100年前の山の暮らしそのままという神秘的な佇まいの集落だ。
 樹齢800年という大久保のヒノキはそのまた奥の森の中にあった。
 
 まだ薄暗い雨上がりの森の中でその木を見た瞬間、胸が張り裂ける思いがした。

 何故ですか?
 何故、そんなに涙を流しているのですか?(涙といっても、もちろん木に「目」なんかありません)

 ヒノキは、湿った森の空気の中で「怒り」とも「悲しみ」とも「喜び」ともつかぬ表情で何かを見
つめて立っていた。そのお顔は東大寺南大門の金剛力士か興福寺の阿修羅像、右膝半月板
を断裂しながら曙を寄り切って土俵に仁王立ちした時の貴乃花のようで(少しずっこけたが)えるほ
ど感動した。
 
  
椎葉村・大久保のヒノキ
 あなたは誰ですか?


 大久保から少し下った十根川神社には那須大八郎宗久(なすのだいはちろうむねひさ)が植えたと伝
えられる樹齢800年という「八村スギ」がある。

  今から800年ほど前、壇ノ浦の戦いから山に逃れた平家の残党を討つべく源頼朝の命を
受けて、この地の山中で息を潜めて暮らす彼らを発見した刺客=那須大八郎宗久(与一の
弟)は、その哀れさにしばし絶句して討つのを躊躇したという。そしてこの地で監視をすること三
年。頼朝の帰還命令により、その間に見染めた残党の娘=鶴富姫と彼女の身籠った子を残し
て都に去った。大八郎は平家の残党を残らず討ったと都に報告したらしいが、真偽は分からな
いという。(鶴富伝説 一度読んだだけで、うろ覚えなので信用しないでください

  椎葉村・八村スギ

 こちらは力強くも穏やかで超然としたお顔をしておられた。(もちろん木に「顔」なんかありませんけどね)

 昼過ぎに村の中心部に戻って鶴富姫が暮らしたという鶴富屋敷(那須家住宅=観光地)で休
憩。中を見学せずに縁側で腰掛けていると、切符売り場のおばあさんが話しかけてきて、また
しても仲良くなった。また必ず来てと約束させられた。ここでは年配の女性にもてるらしい。

 そういえば大久保集落は椎葉姓の一軒を除き那須姓だった。

 昨日の土産店のおばさんにも挨拶し、また必ず来ると約束して椎葉村を後にして、宮崎県五
ヶ瀬町笠部の「祇園大ヒノキ」へ。

(宮崎県五ヶ瀬町)

 地元の人に聞きながらやっと辿り着いた「祇園大ヒノキ」は里山の森の中にひっそりと佇んで
いた。柵はなく、まだあまり人の目に触れていないような初々しさのある木だ。

 力強いのだが、どことなく悲しげで、なにかを愛しむようでもあった。

  五ヶ瀬町笠部・祇園大ヒノキ

 あなたはもしかすると、、、。



 (熊本空港)

 8時30分。「全日空、東京行き最終・・・便にお乗りのお客様は・・・」のアナウンスに弾かれ
て、焼きたての「きんつば」を頬張りながら、幸福な日曜画家(=邨)は悲しいサラリーマンに戻
るための切符をゲートのカウンターに差し込んだ。





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