向田邦子賞を許せない!









2002年5月23日
私は「向田賞に対するへそ曲がりの感情」と題してこのような書き込みをします。















向田賞は向田邦子が不慮の事故死を遂げて、その功績を記念して作られた賞と認識しています。










しかし向田邦子は確かに晩年素晴らしい仕事をしましたが、ある時期まであまりいい仕事はしていなかったと思います。

それは倉本聰氏も安易な姿勢のホンだったと何かで書いていましたが、確かにそういう印象で主流におもねるようなホンだったと思います。














ところが「反主流」の山田さんが辛口ホームドラマで新しいドラマを開拓すると、まるでマネをするように向田邦子も辛口ドラマを書き始めたのです。

なんだこいつと思いました。







「冬の運動会」「蛇蠍のごとく」「あ・うん」も実は当時私はそういう意識があって見ていません。


山田贔屓の私にとって向田邦子はしゃくにさわる奴だったのです。





























それで小説も書き始め、すぐに直木賞もとったりして、ホントかよなんて思って読まなかったのですが、あまりに評判で、しゃくだけど読んでやろうという気持で読みました。






するとこれが面白いのでびっくりして、後追いで仕事振りを追いかけていたら、亡くなってしまいました。
不運としか言いようがありません。







そしてしばらくして向田賞が出来ました。



























第1回受賞は市川森一氏。

対象作品は「淋しいのはお前だけじゃない」。

納得しました。





視聴率も悪く商業的には惨敗でしたから、こういう光りのあて方もいいと思いました。
































しかし第2回に山田さんが受賞した時、私はとても腹が立ちました。





















納得行きませんでした。


















受賞作品が受賞に値しないということではありません。



























直木賞をとろうと、亡くなってしまおうと、私の中では向田邦子より山田太一の方が上なのです。
































山田太一賞があって向田邦子が受賞するのなら許せるけど、何故序列が下の者の賞を山田さんが受賞するのか、私は許せませんでした。












おかしいじゃないか。



また山田さんも何故賞を受諾するのだと口惜しくなりました。






















もう贔屓の引き倒しもここまでくれば皆さん唖然とされるというところでしょうが、冗談じゃなく今もってこの受賞は許せません。



山田さんも向田賞を育てるために受賞されたのだろうと無理矢理自分を納得させています。


































それから幾星霜、向田賞まだやっているのかなあ、なんて思っていたらもう20年なんですね。驚きました。














久しぶりに現代ドラマをチェックしてみたら陳腐な受賞者のオンパレード。

勿論ある時期ドラマに失望していたので受賞作品は見ていませんが、「受賞作家」の現在の仕事は見させていただきました。







それはもう、ちょっと調子が悪くてボルテージ落ちているとかそういう類いの仕事ではありません。

明らかに根元から作家じゃない奴らが多数受賞しているということが分り呆れました。










「作家性なき時代に受賞者なんか出すな!向田邦子が泣いてるぞ!」

へそ曲がり男は月に向って吼えるのです。




























と書き込みましたところ、ある女性からこのような質問が。











「主流におもねるようなホン」というのはあいどんさんの中でどんなもののことですか?


大多数の大衆から受け入れられるということは、広がりを重視するあまり深さに欠けるという意味合いなのでしょうか。















そしてある男性からはこんな書き込みが。



年齢だけでみれば 
向田さん、昭和三年生まれ
山田さん、昭和十一年生まれ

上か下か、作品の内容では同等だとおもうんですけど、いちおう向田さんのほうが年上で
目上になりますね。いちおうご参考に(笑)。



あの手の賞は、年ごとに意味が失われ行くとおもうんですが、それでも業界の慣例行事として
必要なものだそうですよ。社員旅行とか忘年会と同じで。受賞者は、たんなるネタじゃないで
しょうか。
テレビ文化に貢献、といいつつ、映画「刑法第39条」が代表作の大森氏が受賞したのは
意外でした。







































これに対して私は「主流と反主流 」と題してレスをします。















○○さん

>「主流におもねるようなホン」というのはあいどんさんの中でどんなもののことですか?
大多数の大衆から受け入れられるということは、広がりを重視するあまり深さに欠けるという意味合いなのでしょうか。





これは膨大な説明を要することですが、出来うる限り手短に語りたいと思います。



まず脚本というものは決して自由に書かれているものではないということです。あらかじめ、なんと言いますか自動車教習所のコースのように決まっているのです。



スタートがあり、右折するところがあり、S字クランクがあり、坂道発進があり、加速するところがあり、減速するところがあるという按配で、順番の多少の違いはあっても1時間ドラマなら1時間のコースというのが決まっています。



そのコースを確実にこなしつつどれくらい独自性が出せるか、それが脚本家の力量だと思います。終始一貫ステレオタイプに書いてコースをこなす人もいれば、どのポイントでも独自性を出す人もいます。



























向田邦子に関してはある時期まではステレオタイプでした。

今にして分かることですが、とにかく原稿料を稼がねばならなかったようで、結果としてものかきとしてはありきたりなホンを書いていたと思います。




また、ドラマ界としては大家族人情ドラマという主流があり、その流れの中でポジションを獲得していました。喧嘩してても実は心は通じ合っているという十年一日の如き人間観で物語を量産していたわけです。言ってみれば橋田壽賀子への道を歩んでいたということです。




こういうライターは沢山いて、その中の一人でしかありませんでした。勿論そういう物語に多くの視聴者が心癒されていたわけで、そのことは別に良いのです。












問題はものかきとしての「こころざし」です。


大家族人情ドラマに反抗し「三人家族」という小人数家族を書いたり、家庭というものはそんなに温もりに満ちたものであろうかという、主流ドラマの人間観そのものに疑問符を投げかける作品を果敢にも書いた山田さんとは較べるべくもないのです。




向田邦子にはそのチャレンジが感じられませんでした。勿論全ての向田作品をチェックしていたわけではないので、どこか知らぬところでチャレンジしていたのかも知れませんが。


















「私も真面目なの書きたい」と言って金ドラで「幸福」を書き始めたと大山勝美氏がキネ旬インタビューで言っていましたが、その前後が転機となったのではないかと思います。



それまで身過ぎ世過ぎの仕事として「個」を出す事を控えていたのではないでしょうか。

はっきりと「個」を出し始めたときこの人は凄いものかきに変貌してしまいました。

そこから先は皆さんが今も熱愛してやまない世界に入っていくわけです。











□□さん


>あの手の賞は、年ごとに意味が失われ行くとおもうんですが、それでも業界の慣例行事として必要なものだそうですよ。社員旅行とか忘年会と同じで。受賞者は、たんなるネタじゃないでしょうか。

うーむ。私は□□さんのように大人になれない。

私は怒り狂っちゃう。




あの、それで山田さん昭和9年生まれだと思いましたが。井上ひさしなんかと同じと思ってたんだけど、山田さんどっかで年令詐称してる?





















すると別の男性がこのような御意見を。









あいどんさんの気持ちはわかるのですが、あいどんさんの論理からすると、向田邦子女史よりも優秀な作家・作品には賞を与えることは出来ないことになってしまうんじゃないでしょうか?


ショー(あいどん注:「向田賞20周年記念ショー」)が始まったとき、市川氏が「この賞はテレビドラマにおける芥川賞のようなもので、シナリオ作家に対する唯一権威のある賞です」とおっしゃっていました。



小説でも、芥川龍之介が一番で、賞を受けた人の方が格下と言うのではないのだし、冠が"向田邦子"なだけであって、選考したり、スポンサーではないのですから。

ショーのパンフレットにもその目的として"名前を放送界に記録する"とありますから。

うちの女房は誤解していて、私がトークショーから帰ってくると「"ままや"やってた和子さんも出席したの?」と聞いてきました。
「おいおい!」と右手でつっこみを入れました。





□□さんの掲示板にも書いたのですが、大変おもしろく楽しかった。

と言うよりも嬉しかったんですね。

目の前に山田氏や市川氏を見て、聞きかじったことがあるような裏話などを話してくれて、嬉しくて笑いが止まらなかった。





ところで、トークの内容なんですが、現状のシナリオ作家業界を憂う話になると、どこかで聞いたような内容ばかりだったんです。


市川氏は、「テレビ局主導で脚本を作る作家が多くなった」と嘆いていましたが、その内容は以前あいどんさんが書いておられたことと全く同じで、もしや市川氏があいどんさんでは?と思えたほどでした。



そして早坂氏は「戦う作家がいなくなった。職人として局の要望に応えるように書くのも大事だが、その中で自分を殺さずにいかに自分を表現することが重要だ」とおっしゃっていました。これも以前あいどんさんが三谷氏を評して書いておられたと思います。




そこで私はピン!ときました。この掲示板は業界の人に監視されている。あいどんさんの意見は盗用されているのだと・・・。




















それに対して私は「向田邦子と伊藤博文 」と題してレスします。












△△さん、こんなへそ曲がりのいちゃもんに暖かい反応をいただき有難う御座います。


>あいどんさんの論理からすると、向田邦子女史よりも優秀な作家・作品には賞を与えることは出来ないことになってしまうんじゃないでしょうか?





うーむ、そういう意味ではないのですが、これは本当に個人的な思い入れですから、一般化出来ないんですね、もう。







例えばですね、今はもう伊藤博文のお札なくなっちゃったみたいですが、あの頃伊藤博文がお札の顔になると決まった時、反対した人たちがいたわけですね、随分。








聖徳太子と違って何しろ明治の人だから結構ゆかりの人々や親族が生きていらっしゃったわけで、それで当然人間ですから、いろいろ生臭いこともあって今もって恨みを持っている人がいたわけです。



所詮お札の記号に過ぎないのだけど、それが割り切れず生々しいものが蘇ってしまう。
偉人ではあろうが、その事のみで済ますわけにはいかないということで、反対していた人々がいたわけです。


















何かその感情に似ていると思います。恨みはもっていませんが。















向田賞という記号と割り切れば問題ないことなのですが、過去のいろんな先入観があって、山田さんの時はまだ2回目ですから、審査委員長に山田さんが迎えられたとかそういう扱いならともかく、なにか向田邦子の下位に置かれたかの如き口惜しさを覚えたのです。あくまでも私の先入観のなせる感情に過ぎません。



もし万が一山田さんがこのような私の心情を知ったら「なに馬鹿なこと言ってるんだ」と笑われてしまうと思います。向田邦子ワールドも山田太一ワールドもこの世の貴重な財産であり、等価なわけですからね。

























しかし、□□さんも言うように「向田賞」もセレモニー化してしまっているという印象です。




一回目市川、二回目山田、三回目早坂と続けば権威ある賞だと誰でも思います。だから続く受賞者もそのレベルであるという認定を貰ったことになると思います。












こういう励みになるような賞がなければライターもやりきれないでしょう。

こういう権威は必要です。













でも今は権威だけが一人歩きし始め、形骸化しつつあると思うのは私だけではないと思います。考えるべき時が来ているようです。














>ところで、トークの内容なんですが、現状のシナリオ作家業界を憂う話になると、どこかで聞いたような内容ばかりだったんです。



大御所の方々と意見が同じとは恐れ入りますが、でも業界の病巣はみんな気づいていることだと思います。口に出しているか出していないかの違いだけだと思います。






















そして□□さんが「記憶の違い 」と題してこのような書き込みを。








思い返してみれば、向田邦子さんの記憶に残っている作品って、年輩になってからのもの
ばかりですね。

「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」「蛇蝎のごとく」「あ、うん」「隣の女」
「冬の運動会」「幸福」
ぼくだとこれぐらいの記憶しかありません。




古くからのドラマファンのあいどんさんなら「大衆受け」するイージーな向田作品もご存じのようですから、また考えも違うんでしょうね。










TBS「水戸黄門」の脚本で有名な「葉村彰子」(具流八郎と同じライターの共同名義)に向田さんも加わっていたというのは、「パパと呼ばないで」が再放送されて初めてしりました。




山田太一さんだと、かなり昔の「それぞれの秋」からシナリオ本がでていますが、やはり映画界出身のライターは優遇されていたという証拠なんですかね。






























そして私は「○○モノ」 と題して書き込みます。










どこの業界でもそうですが、書く方は「作品」と思っているけど、業界は「商品」としか思ってないんですね。


新人が業界に食い込んで行く為には必ず「○○モノ」というパターンを踏襲したお話を書かねばなりません。その「○○モノ」を確実にこなしつつ独自性をアピールするというかなり高度な技術を必要とするわけです。

















市川森一氏は「怪獣モノ」から入って来ているし、早坂暁氏は「刑事モノ」あたりが一番多かったと思います。



山田さんは一寸特殊で木下恵介氏が「木下恵介アワー」というテレビの枠を獲得出来たおかげでその中で書くことが出来たわけですね。

パターンとしては「人情モノ」という類型になるんだろうけど、何と言っても巨匠木下恵介監修のもとですから「作家性」を出しやすい環境にあったのではないかと思います。



ある企画集団の中に入って「○○モノ」を量産し続けざるを得なかった向田さんとはやはり境遇が違ったのではないでしょうか。


















映画監督でもそうですがプログラムピクチャーばかり撮らざるを得なかった時代があった訳です(今でも似たようなものですが)。

でもその時代の物を今見ると才能のある人、志のある人というのはやはり「○○モノ」というパターンの中でセンスを発揮しています。常々というわけには残念ながらいかないけど、数をこなす中で成長して行ったあとがうかがえます。










同じように向田さんもセンスを発揮したものもあります。どれとはっきり覚えているわけではないのですが、少なくとも向田さんの変貌をこのような形で私が意識しているということは、幾多のライターの中で向田さんを気にしていた証拠だと思います。










「商品」と「作品」の狭間で今も作家は懸命に汗をかいていると思います。




私のような「ドラママニア」はすぐ「作品」として云々と言ってしまうのだけど、まずは「商品」としての鋳型をいかにクリアーするかということで現場の人達は苦労しているわけで、批判しながら申し訳ないとよく思います。






でも気持ちはひとつ「感動する商品」「一人よがりでない作品」を熱望してやまないのです。 
































というところで年寄りのイチャモンに始まった向田賞論争はひとまずピリオドとなったのでした。
みなさんも一言いいたいということが御座いましたらドラマファンまで。






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