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2004年7月炊出風景(炊出は皆様からの献金で成り立っています。)
ある日、40がらみの労働者がたずねてきた.来意をきけば「金を500円貸せ」という.わたしは100円硬貨一枚を出して「これをあげるから、しんぼうして帰ってくれ」といった.その労働者は居直ってたんかを切った.
「牧師っていい商売じゃねえか.自分らはこんな立派な家(教会堂)に住んで、ぜいたくしていて、大の男に100円玉一つやって神様に喜んでもらえるってんだからなあ」.あやまって帰ってもらったが後味が悪かった.この男もイエスさまの変装のように思われ、「いよいよお迎えに来られたんだな」とうなずいた.
子どもたちがまだ、学校から帰っていない午後、わたしは妻を二階の書斎に呼んだ.
「イエス・キリストがどうしても山谷に行けとおっしゃる.長い間苦労をかけた末に、またこんなことを言ってすまんが許してほしい」.
妻はだまってわたしの顔を見つめていたが、「何を言い出すのかと思ったら、なんて、バカなことを言うんですか.義子は今高校の受験準備最中ですよ.あなたは少しでも子どものこと思ったことはあるんですか.それに教会はあなたが落ちついてやってくれると皆で喜んでいるのに、何を言い出すんですか」.
「とにかくぼくは山谷に行かねばならないんだ」.その時妻の平手打ちが私の頬に鳴った.真っ青な顔でむしゃぶりついてきた.「山谷になんか行かしません.妻にもそれを言う権利はあるんです.お願いだからやめてください.」わたしは言った.「でもぼくは行く」.本箱の本は飛び散り書斎は修羅場となった.わたしは終始沈黙と無抵抗で彼女の為すに任せた.正直とまじめ一途に仕えてきた道が、こんな無法者によって踏みにじられるのを許すことができなかったのだ.せめて最後に、わたしに言いたいことを言い,したいことをするがよい.ほかにはけ口を持たぬ妻なのである.ただわたしはイエス・キリストへの服従に生きようとあえいでいるのではないか.それに水をさすことはできないのだ.臨時役員会を開いた.趣旨の説明には変わりはない.ただし、今回は出家の用意をしている.聞き入れられない場合の辞表もポケットにひそませている.
反響は妻の予想通りだった.
わたしは言った.「どなたもわたしの主張を正面から受けてはくださらない.わたし個人の使命だったら、こんなにまでみなさんには頼みません.浅草北部教会の福音宣教の使命なのです.社会事業をするとは一度も申し上げていません.底辺にあえぐ人たちの苦痛を『主のもの』として真剣に受け取るためには牧師に『そうせよ』と主が言われるのです.わたしを引きとめるなら、なぜ『わたしが代わりに行く』と言う方がいらっしゃらないのですか」.
そんなことを話すと気まずい沈黙がしばらくつづいた.わたしがポケットの辞表に手をふれたとき、笹本さんがぽつりと言った.「先生の決意のとおりやってもらったらどうですか」.前川さんが「お祈りをしましょう」といった.みんな懺悔をし泣いて祈った.
重荷を負える者、悲しむ者、捨てられた者とともにある教会とは具体的にどんな教会か?
わたしは今もなお出発点に立ちながら山谷ドヤ街で求めつづけている.
山谷伝道所の設立者、故 中森 幾之進 著「下へのぼる歌」より抜粋 日本基督教団出版局1973年