きつい授業A

       応用倫理という授業を3年次にとりました。うちの大学での授業2年目のその先生は、医師なのに文学修士をとり、倫理哲学を研究している人。

       1年目の授業があまりにうけて、私がとったその年は受講人数がなんと3倍に膨れ上がったという前評判。

       大きな教室にぎっしりと詰まった学生。先生の経歴やシラバスから、脳天気にもかなり期待して授業に臨みました。

       こんなに苦しい授業になるとはつゆ知らず…。

       最初の授業、医療者が重度熱傷の患者さんに温浴させ(これはかなりの激痛を伴う処置)、その患者さんがもう死なせてくれと訴えるケース。

       患者さんが何ともいえない声で呻くその横で、その訴えに耳も貸さず淡々と処置に徹している医療者のビデオ。学生達は静まり返って見入ってます。

       そしてその光景は、私の新人時代、日常そのままでした。温浴装置の中、大勢の医療者に取り囲まれ、大きな声で泣き叫ぶ患者さん…。蘇る音・匂い…。

       ディスカッションの時間、学生達は医療者の横暴さと患者さんの権利について、これでもかといわんばかりに話題に花が咲いていました。

       席に座っていた私といえば、それまで味わったことのないほどの居心地の悪さ。「違う、違うんだよ、医療者側だって事情はあるんだから…。」

       何か言わなきゃ、心の中ではそう繰り返してみますが、いざ発言しようと思っても、情けないことに具体的な言葉が何も見つかりませんでした。

       追い討ちをかけるように、先生の的確な医療者に対する批判。悲しいやら、情けないやら、どっと落ち込んだ初日でした。

       私の個人的な体験として、私も関わっていた患者さんが裁判を起こし、医療者側が敗訴していることもあって、

       その後もケース検討やディスカッションが続いたその授業は、医療者の存在意義までも自分の中でわからなくなるほど、苦しいものとなりました。

       後半では「健康」の概念もテーマに挙がりましたが、「保健師」という固有名称をもって、こてんぱにやられてしまいましたから…。

       けれど、授業の度にすごく苦しかったけど、もう出るのやめようと思う反面、ここで逃げたらもうずっと考えないだろうなという思いがありました。

       ずっと心の中でくすぶっていた後悔、前期のレポートでは何も本質に触れられなかったほど痛かったけど、後期のレポートでやっと言葉にしました。

       裁判を起こされた意味、あの光景で自分は何を感じ、自分は何をすべきだったのか、自分にとって大切にしたいものは何なのか…。

       授業の最初の頃、一般の学生さん達に混じってのディスカッション、自分の経験を通しての意見が何も出せませんでした。

       いくら思いがたくさんあっても、言葉にして表現すること、それが出来なければ人には何も伝わらないのです。

       医療者の中だけにいると、その作業をしなくてもなんとなく分かり合えてしまうけど、それはすごく怠慢なこと。

       誰かに伝えるために言葉を紡ぐ、そのためにはとにかく考えてみる。もしかしたら私はそのために大学に導かれたのかもしれない。

       今はそんな風に考えています。

       そして、なかなか馴染めなかった先生だったけど、一番痛いのは先生自身なのかもしれないと、授業が終わってはじめて気が付きました。

       その先生は多分、もうずっとこの居たたまれない気持ちを抱えながら、それでも誰かに伝えていこうと覚悟を決めている人なんだと。2005/03/20