「・・・ぽろっ・・・」
「・・・ポタッ・・・」
「・・・カタン・・・」
「ばさばさばさばさ〜〜〜っ!」
一瞬だが、確かに<その時>、この部屋から全ての音が消えた。
次の瞬間、並んでいるデスクの各所で、不快な音が発生した。
そして、全ての業務も止まった。 ・・・確かに一時停滞した・・・。
なんでもないデスクワーク・・・のはずだったもかかわらず、それぞれのデスクの住人・・・ロイ・マスタング准将の部下4名は、信じられないミスをした。
おまけに気が付くまでに数秒を要した。
「わ、わ、わ、、、煙草の灰が〜〜〜!」
「うわーーーっ! 修正不可の書類にインクこぼしちゃったよ〜〜〜!」
「あ・・・折角ここまで計算したのに・・・。 クリアおしちまった・・・。」
「えええ〜〜〜っ! 折角揃えたのに!」
・・・順調にこなしていた仕事なのに・・・揃ってがっくりと肩を落とした部下達。
そろそろと頭を持ち上げると、このミスの原因となった(であろう)人物に向かって恨みがましい視線をよこす。
視線の先は当然、彼等の上司・・・マスタング准将だ。
彼は、ちょうど彼の副官が煎れてくれたコーヒーのカップを、受け取っているところだった。
「ん? どうした?」
「・・・みんなどうしたの? ミスっちゃったようだけど・・・。」
集まった視線を不思議そうに見つめ返す2人・・・よもやこちらが<原因>だなんて微塵も思っちゃいない。
「なんだ? 君たち・・・何か?」
「あ・・・あなた達のコーヒーも煎れてあるの。 今持ってくるからちょっと待って。」
「・・・別にコーヒーの催促しているわけじゃないッスよ? 中尉。」
ハボックが、のろのろと彼女の最初の誤解を訂正する。
「ホークアイ中尉? 今、何て言いました?」
ブレタの声に避難の色が混じっている。
「えっ?・・・だからちょっと待っててと・・・。」
「そうじゃありませんよ〜その前です。」
「・・・そのコーヒーが、准将の手に渡る直前のことですよ。」
「は? このコーヒーが悪いのか?」
すでに二口ほど口を付けていたロイが、口元からカップを放して、カップと部下達を交互に見やる。
部下の視線は、あくまでも「恨みがましい」。
「そうッスよ! それを准将に渡すとき・・・。」
「中尉? なんてこと言うんですかぁ?」
「・・・少し休憩なさって下さい・・・ってヤツかしら?」
「・・・それがどうした?」
「ついでに『そんなに根を詰めなくとも・・・』ともいいましたよ。 確かに。 ねっ? 中尉?」
「・・・ええ・・・言ったわ。 それが?」
4人の非難めいた説明をいくら聞いても、リザにはピンとこない。 が、どうやら、自分が口に出した労いの言葉に原因があるようだ。
「マスタング准将? 少しお休みになられては? そんなに根を詰められなくとも間に合いますよ。」・・・と、確かに言ったコトは言ったが・・・それがなに? ・・・ やっぱりわからない・・・。
「だから〜それに驚いたんですよ。」
「そうですよ〜そんな台詞を、この部屋で聞く事が出来るだなんて、俺達、微塵も思っちゃいませんでしたからね。」
「そりゃもう・・・驚いたのなんのって。」
「そうッスよ・・・コーヒーの香りは、さっきから漂ってきていたから、中尉が准将にもってきたんだなって、すぐにわかったんですがね。」
「よもや、あんな言葉が飛び出すなんて・・・。」
「そうそう。 長年この体勢で仕事してますけど・・・経験なかったッスからね。」
「そうですよ〜よもや准将が、根を詰めるほどデスクワークしていることなんて・・・。」
「・・・今までになかったと?」
次から次へと言われる台詞をじっと聞いていたロイだったが、ついにぽっそりとそれらを要約する。
「その通りッス。」
「その通り。」
「その通りだと思われます。」
「そう、その通りですよ。」
さすが、彼が見込んだ部下だけあって・・・見事な同意。
「まあ・・・ぷぷぷっ。」
言いたいことをいいながら、自分のミスった書類をセッセと片付け出す部下と、それを憮然と聞いている上司を見比べて、問題発言してしまった本人は、こらえきれなくて笑い出す。
笑い出したリザを横目で睨みながら、ロイは不機嫌きわまりない声を出す。
「・・・どうやら、原因は私ではなく君なようだが?」
「あら?・・・私になるのでしょうか?」
「そうだ。・・・私のせいではないぞ。」
「そうですよね。 准将は仕事をなさっていただけですよね?」
「・・・そうだ。 きちんと自分の仕事をこなしていて・・・何が悪い?」
「ですが、彼等は、原因は准将だと・・・申しておりますが?」
「発言したのは、君だろう? 私は・・・仕事をしていただけだぞ?!」
「確かに・・・そうですね。 直接の原因は、私の一言だったのかしら?」
「まあ、そうですけど・・・。」
「その通りだろうが?! 私のせいでは、断じてないぞ?!」
「ですけどねえ。 そもそも・・・准将が・・・。」
「准将が「真面目」に「きちんと」仕事をしていたから・・・ですよね? ホークアイ中尉?」
「ええ・・・まあ・・・。 准将? 申し訳ありませんでした。 私もつい・・・珍しい光景だったモノで、口が滑りました。」
「・・・あのな・・・。」
「つい、労って差し上げたくなりましたモノで。」
「・・・・・」
・・・なぜ、真面目に仕事をしていた自分が一番の悪者にならなくてはいけないんだ?・・・
ロイの頭の中は、疑念と不審感と理不尽で一杯になる。
「中尉? 駄目ですよ? 甘やかしちゃ。」
「ボクも今の状態で手一杯です。 この調子で仕事してくださいね。」
「そうですよ。 昔と違うんですからね。 あの調子でさぼられちゃ・・・。」
「いや・・・人は褒められるとその気になると言うのも事実ですので、たまには、効果的なのでは?」
「そうね。 たまには褒めて差し上げなくちゃいけないわね。」
「・・・お前達・・・言いたい放題いいやがって・・・! そのできあがった書類をまとめてケシ炭にしてもらいたいらしいな?」
リザまで一緒になって・・・すっかりからかわれている状態なロイの頭に血が上る。
無意識のうちに引き出しに手をかけて、例の手袋を取り出そうと手が動いていた。
しかし、リザをも味方に付けた部下の集団は・・・強かった。
「あ・・・それは、困ります。 そんなコトしたら・・・。」
「准将の仕事だって増えちゃいますよ?」
「室内では火気厳禁にしましょうや?」
「あ、それは困る。 俺が煙草、吸えなくなっちまうのは困る!」
「じゃ、火花厳禁ではいかがですか?」
「あら♪ ファルマン、それがいいかもしれないわ。」
「お前達な・・・中尉まで、何、調子に乗っている?」
「あら? 私は褒めて差し上げているのですけど?」
「・・・褒めている・・・つもりかね?」
「はい。 准将が頑張っていらっしゃるから。」
「・・・それでも、褒めていると?」
「そのつもりですが・・・そう聞こえませんか?」
「・・・私はいつもきちんと仕事しているぞ?」
「はい。 准将に戻られて、中央勤務になってからは、とても真面目に仕事に取り組んでいらっしゃいますね。 実際、私達の仕事もとてもスムーズですし。」
「・・・そこからか?」
リザとしては、至って真面目に「褒めている」・・・つもりである。
確かに、<北>から戻って、再び司令官の地位についてからは、至極真面目に仕事をこなしている。
それこそ、不眠不休だ。 自覚もあるのだから、褒めてもらっても当たり前だろう・・・と、自負もする。
それに反して、その前は・・・と問われれば、そこは違ったな・・・との自覚もある。
・・・昔のことはいいじゃないか・・・ムシのいい事も考えてみるが、そんなことはこの副官にはお見通しらしかった。
「ええ・・・その前は・・・。 蒸し返しましょうか? あれこれと・・・ファルマンもいますし?」
「中尉? どの事例がよろしいですか?」
「・・・もういい・・・。」
<昔を持ち出すなよ>・・・自分が言い出す前に言われてしまっては、話を打ち切るしかないではないか!
ロイは悔し紛れに、ポスンと椅子の背もたれに大きく背中を預けた。
「そうですか? それでは、私はみんなの分のコーヒーを持ってきますので。」
「・・・・・」
折り目正しく踵を返す彼女の背中を、ドアの向こうに見送る。
・・・悔しい・・・なぜ、上官のはずの自分が、部下達に寄ってたかって、こうまで言われなくてはいけないのだ?
・・・見てろ・・・聞き耳立てる暇がないくらい・・・仕事を廻してやる!
ロイの決意は固かった。
その日以来、部下達はそれまでとは違った意味で、残業をこなさなくてはならなくなったらしい。
・・・できる上司はあまり刺激しないほうが身のため・・・
つきあいの長い部下達も、この人物をそこまでは、読み切れなかったらしい。
ちなみに次の日からのペースに見事についていけたのは、かの副官だけだったらしい。
