※気合が乗りすぎたのと、コーナーの都合上2本に分けることができないので、今回はかなり長めの文章です。覚悟してご覧下さい。 ガラメキ温泉との出会い、それは仕事のために買った群馬県地図上だった。流石は温泉天国・群馬。地図を眺めていると、温泉マークの多いこと多いこと。そんな中、前橋の北西、榛東村の山奥にあるガラメキ温泉(以下ガラメキ)という表記を見つけた。
そう思ってしまったが最後。既に温泉マニアになりつつあった私を止めることなど誰にもできない。当初私は、あちこちにある温泉センターへ行く感覚でガラメキへと向かった。 地図で見ると、ガラメキへ通じる道は国道とも県道とも書かれていない。おそらく農道か何かなんだろう。そして、そこに通じている道は、隣の旧箕郷町を走る県道28号線だけ。…となれば、ここを登るしかないんだろうなぁ。
そしてセカンドコンタクト。その時、私は愛車を修理に出しており、代車でのトライとなった。車高が高いし、何よりも私の車じゃない。ならば遠慮は不要。入口を越え、100メートル程車を進めるが、道はどんどん狭くなり、ついに幾つもの大きな石が通せんぼ。 これ以上は無理と判断した私は、地図上でガラメキに通じる可能性のある、もう1本の道へと向かった。そちらの道を進むと川が流れている。かかっている橋を渡り車を進めるものの、これまた余りに細い道に阻まれ断念。こんちくしょう。 ここまで足掻いてみて、私は初めてガラメキという存在に不安を持った。よくある町営の温泉なら、こんな天然の要害に作るはずがない。ひょっとすると何か分かるかもしれないと、インターネットで調べてみる。 『ガラメキ温泉』で検索してみると、結構な数のページが見つかった。その中で特に参考にさせてもらったのは、『Moon Hill Land』『関東周辺立ち寄り温泉みしゅらん』『梅成亭』、以上の3サイト。特に『Moon Hill Land』の月岡さんには、メールでアドバイスを頂くなど、大変お世話になりました。ありがとうございました。 言い伝えによるとガラメキは2世紀末、仲哀天皇の頃に発見されたらしい。その後1500年頃、文屋綱秀という人物が湧き出す温泉に「我楽しむの地なり」と感激し、家を建てて住んだという。どうやらこれがガラメキ(我楽目嬉、賀羅芽木、柄目木、賀良目木など)の語源になり、温泉場としてのスタートとなったようだ。 ところが戦国時代、戦火で建物は焼失し、住人も離散。その後、江戸時代末期になって地元住人が再興。明治時代前期に温泉成分分析が行われ、数軒の温泉旅館もでき、温泉地として開発が進んだ。明治〜大正の頃がガラメキの最盛期で、湯治客が絶えることはなかったという。 時は流れて昭和。日本の敗戦後、付近の現・陸上自衛隊相馬ヶ原演習場を米軍が接収したことに伴い、ガラメキの旅館に撤去命令が出る。旅館などは取り壊され、今となっては大自然の中に、幾つかの石碑、旅館跡と思われる石垣、そして温い源泉の湧き出る地中に埋まった土管があるだけなのだという。 その後は、知る人ぞ知るマニアックな温泉として定着。一度、土砂崩れで埋まってしまったが、再び掘り出され今に至っているという噂。
そんな訳で、2002年8月31日の昼1時過ぎ、私はガラメキへ3回目となるアタックを敢行した。以下、その時の様子を『川口浩探検隊』風にお届けします。 上記の入口から3コーナー登ったところにある駐車スペースに車を停める。他にも数台の車が停まっている。おそらく私と同じガラメキか、付近にあるロッククライミングの聖地・黒岩目当てなのだろう。
徒歩で入口を抜けてしばらく進むと、左のような分岐が現れる。ここまでは以前に来たことがある。その時には、左手のゲートは閉じられていた。これは罠なのか? ここでは左には行かず、右の本道を進む。
瓦礫を踏み越え更に奥へ進む。すると、再び道を沢が横切っている。ここは最初の沢に比べて流れも穏やかで、足場になる石もある。石を使ってリズミカルに沢を越えることができた。『風雲たけし城』を彷彿させる一幕だ。
皮肉にも石碑のそばには、山からのせせらぎが流れてきており、小さい水飲み場のような溜まりができていた。手ですくって口にしてみると、冷たくて非常に美味しい。我々(だから1人だろ)の足は力を取り戻した。祈りを捧げてくれた当時の人々に感謝したい。
ガラメキと反対側に足を向ける。するとそこには「●らめ来」(●部分は判読不可)と刻まれた石碑が。これで、ここがガラメキであることは間違いない。
ガラメキのそばには不動明王碑が。その昔、湯治客の持ち込んだ、大層立派な不動明王像がこの石碑のそばに置かれていたのだが、数年前に像だけ何者かに持ち出されてしまったらしい。罰当たりなことをする輩がいたもんである。
ガラメキ奥の斜面を少し登ると、温泉宿の名残だろうか、上の方に石垣が見える。こういう物を見せられると、最盛期のガラメキを見てみたい衝動に駆られる。一部が崩れているところを見ると、ガラメキが埋まったのはこのせいなのかもしれない。
…さて、満を侍してガラメキのそばへ。地面に埋まった土管、蓋の隙間から流れ出す温泉、割れたプレートには『…温泉』と書かれている。話に聞いていた通りの姿。ただ、土管の周りは土砂の山に囲まれており、一度埋まって掘り出されたという噂は本当のようだ。
蓋を開けてみる。蓋のサビが中に落ちて温泉の色が曇り、入るのにちょっと躊躇してしまう。まぁ、温泉温度は30℃くらいだっていうし、そのくらいは大目に見ても…。そう思って温泉に手を入れてみる。
どう考えても30℃なんて温度じゃない。見ると、周囲の土砂の山の隙間から流れ出た沢の水が、どんどん土管に流れ込んでいる。このせいか…。ガラメキを元の温度に戻すためには、周囲の土砂を全部撤去し、沢の流れを元通りにするしかないのかもしれない。
一所懸命自分に暗示をかけ、スパパーンと服を脱ぐ。生まれたままの姿になって周囲の自然に元気を分けてもらうと、私は気合を入れて土管に飛び込んだ。 深さは腰の辺りまでだった。やはり温泉は冷たい。しかし、いざ入ってみると、我慢できない程ではない。底から湧き上がる気泡に身体をくすぐられながら、肩まで浸かってしばしボーっとする。清らかな流れのそばに埋まった土管の中から見る自然の風景は、何だか不思議なものだった。「こんな場所ってあるんだなぁ」と。 10分くらい浸かっていただろうか。顔のそばにアブがたかってきた。手拭いを振り回して応戦したが、なかなか諦めてくれない。「まぁそろそろいいか」と思った私は、土管から出て身体を拭くと、急いでトランクスを履いた。その時、何やらエンジン音が近づいてきた。私の他にお客さんが来たらしい。 1人のおじさんが近づいてきた。相手が男ならこのままでいいだろう。トランクス1丁で挨拶を交わす。おじさんは、ほぼ年1回のペースでガラメキを訪れているらしい。土管の周囲を見て、「やっぱり埋まっちゃってたんだなぁ」と一言呟く。そして、温泉に手を入れて更に一言。
呆然とする私をよそに、おじさんはエンジン音を響かせて帰っていってしまった。「…そうか、オフロードバイクって手があるのか」と感心するのと同時に、その冷たい温泉に浸かっていた自分が、どうしようもなくバカに思えてきた。だって、毎年楽しみに来る人が、何もせずに帰ってるんですから。 服を着てガラメキを後にする時、もう1度振り返ってみる。やはりそこには、石碑と土管があるだけだった。結局、私が訪れたのは遅すぎたのだ。もっと言うなら、さっき来たおじさんだって遅すぎたのかもしれない。だってここにはもう、世間話をする他の湯治客も、温泉を管理する女将さんもいないんだから。 改めて思う。温泉っていうのは何なんだろう。暖かいお湯が湧くから温泉なのか、人間が温泉として管理して初めて温泉になるのか。私は、今では後者が正しいんじゃないかとはっきり感じる。人がいなくなってしまった段階で、ここは温泉ではなくなってしまったんだ。 逆に言えば、どんなに評価の低い『温泉』であっても、そこには大勢の従業員がいて、その維持のために汗を流しているのだ。それって素晴らしいことなんじゃないだろうか。 ガラメキは1999年の9月、県と村の協議で温泉源泉台帳から抹消された。新しい地図では、もうその名前を見ることはできない。恐らくその理由に、私と同じような考えもあったんじゃないだろうかと思う。 ただ勘違いしないでほしい。私はガラメキが嫌いになった訳じゃない。今のガラメキを見て、昔のような繁栄と地位を取り戻してほしいと切に願うだけなのだ。もう難しいのかもしれないが、ガラメキが再び『温泉』になった時には、手拭いだけじゃなく浴衣も持参で、喜んで浸かりに行きたいと思っている。
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